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<47> 葉の刻印を持つ者

 少女は赤い舌でちろりと指先をなめると、ゆっくりと数歩前へと歩み出た。

それにたじろぐことなく、ルーデンスは対峙する。


「人の子の王よ。そなたは、人の子らの罪をどう贖うつもりか」


 声音には非難の色が濃く混じり、その雰囲気は圧倒させるに十分であったはずだ。

それでも、ルーデンスは背筋を伸ばしたまま落ち着き払っていた。


「ナナエは、生きているのですね?」


 物怖じせず、確認するように尋ねたルーデンスを、少女は面白そうに目を細めて笑った。

この異様な室内の有様を意にも介さないような彼の態度を、少女はいたく気に入ったようだった。


「否、とも是とも」

「では、死んではいないのですね」

「さよう」


 少女は軽く飛び上がったかと思うと、台座の中央、ナナエのすぐ横に腰を掛けて座った。

ルーデンスのすぐ後ろにはビクビクとした様子のマリーが控え、更にその後ろにはコルレが酷く青ざめた顔で、エナを守る様に立っていた。


「……本来」


 少女は足をぶらぶらと揺らしながら楽しげにその口を開く。

そして、チラリと扉の外を見やった。

気配はすっかり殺していたはずのトゥーゼリアは、その少女と目が合い、驚きのあまりゴクリと喉を鳴らした。

明らかに人とは違う異質な雰囲気をまとった少女に、蛇にでも睨まれたように背筋を冷たいものがが走る。

心がざわめきたち、妙に心臓の音が騒がしく思えたのだ。



「かような粗悪なモノ、わが契約を受け継ぎし血族の娘を害するにあたわず。されど、この愚かな愛し子は蓄えた魔力を……いとも簡単に捨て置いたが為に、辛い目におうておる」


 ナナエの髪を一撫ですると、その場にいる者全てに言い聞かせるように、少女は言葉を続ける。

それに、ルーデンスらは黙って耳を傾けた。


「我が愛し子は、今まさに黄泉への道へと踏み出さんとしておった。……魔力が足らぬのだ」

「魔力さえあれば、助かる、と?」

「そうさな。それだけでは恐らく止められぬ。……否、われに止める気が無いと言うべきか」


 少女は物憂げにナナエの頭をなでると、すぐさま、睨むようにしてコルレとエナを見据えた。


「愚かな人の子よ。われが……契約を受け継ぎし者が、この地を守ってきたというに」


 淡々と静かに紡がれた言葉とは裏腹に、コルレとエナはその余りにもの威圧感に押しつぶされそうになり、へなへなと腰を抜かす様にして座り込んだ。

その言葉を向けられていないマリーですらも、あまりの恐怖に指先が震えるのを感じた。


「われは、この地を壊すことに何の躊躇いもない。唯一の慰めであった愛し子たち達の想いも、消えんとしておる。……お主達、ヒトには酷く、失望させられとうたわ」

「ですが!ナナエは失望などしていないではないですか。生きたいと望むものを逝かせるのがあなたの愛なのでしょうか」

「……愛し子を再び目覚めさせ、愚かなヒト共の地の悲しみに晒せと?」

「ナナエが死を望むはずがありません。この地を壊すことを望むはずもない」


 キッパリと断言するようにルーデンスは少女を見据えた。

すると少女は満足気にクスリと笑って見せる。


「さすがは葉の刻印を授かりし者、と言ったところであろうな。……愛し子は今、われの力にて魂を留めておる。生も死も、お主達次第さな」


 そこで初めて、ルーデンスの表情が少し和らいだ。

そのやり取りをトゥーゼリアは不可解な気持ちで見つめていた。

話が全く見えないのだ。

妙な威圧感と雰囲気を持ってはいるが、一見ただの少女にしか見えない彼女に、王であるはずのルーデンスが気圧されまいとしているようにも見える。


「さて、そこな者。お主も出てくるがよかろう。同じ葉の刻印を持つものとして、お主たちいずれかに対価を払うて貰おう」


 物陰に隠れたまま、困惑気味のトゥーゼリアを少女は出てくるように促す。

そこで初めて存在に気付いたかのように、コルレはビクリと体を震わせた。

意を決してトゥーゼリアが静かに部屋の中へと入ると、少女はちいさく頷いた。


「目覚めさせるに必要は、一つに魔力。二つに愛し子の捨て置いた魔力。三つに契約じゃ」


 そう言うと少女はルーデンスとトゥーゼリアを交互に見やり、何かを決めたように頷いた。


「人の子の王よ、お主が適任さな。我が愛し子を愛するなら、我と契約を結べ。さすれば、われが力を貸してやろうぞ」

「お待ちください」


 ピクリとその言葉に反応したのは、ルーデンスではなくトゥーゼリアであった。

納得がいかないと言った面持ちで名乗りを上げ、すぐさま膝を折る。


「どうかその契約は私に」


 ここまできて、ただ眺めているだけで。ルーデンスにナナエの命を預けたまま何もせずにいるなど考えたくもなかった。

縋るような思いで、トゥーゼリアは少女の前に膝を折ったのだ。


 しかし、少女は軽くトゥーゼリアを一瞥すると、小さく首を横に振った。


「お主ごときでは魔力が足りぬ。その命も軽い。……かのものを選んだのには魔力と、そして王という重き命を贄にするためじゃ。罪を犯した人の子らにはこの代償を払ってもらわねばならぬ。重き命には重き命で贖う。当然であろう?本来ならばこの地の守護の対価には足りぬ程。われの情けに感謝するといい」


 その少女の言葉にトゥーゼリアだけでなく、マリーも、そして、コルレやエナでさえも驚きの表情を隠せず、その視線をルーデンスへと注いだ。

ルーデンスは、と言えば、微かに青ざめた顔をしつつも、口の端だけ緩やかに上げてみせた。


「まぁ、あなたを見た時からある程度の予測はできていました。ですが……いくらあなたであろうとも、私は簡単にこの命を差し出すつもりはありません」


 ルーデンスが大仰に肩をすくめてみせると、少女はそれに呼応したようにクスリと笑った。


「ほんに人と言うものは、欲が張った生き物さな。己に鞭打つような真似をしてもなお、生に縋る」


 少女はチロリとナナエの横たわる姿に目をやると、再びルーデンスに向き直った。


「……そうさな。どちらにせよ、祭礼までの命かもしれぬに。今刈り取るのも憐れよの」


 その小さい顎をトントンと叩くように指先を動かしながら、少女は軽く瞼を閉じ、思案に暮れるような顔をした。

その、余りにも不穏な言葉に、マリーは再び息を飲み、ルーデンスを見る。

すると、未だ多少青ざめた顔をしてはいたけれども、先程までとは違った余裕のある表情でルーデンスは笑っていた。

それは、まるで”わかっている”と言わんばかりの表情だった。


「では、一つ。賭けをしようではないか、人の子の王よ」

「……なんなりと」


 全く臆することもなく、少女を見据えたあと、ルーデンスは芝居がかった調子でゆっくりと、そして優雅に右手を胸の前へと当て、一礼した。

それを少女は満足そうに眺め、意味ありげにニヤリと笑う。


「7日。7日で愛し子を元に戻してみせよ」

「……ここから、ですか」

「さよう。人の子の王よ。結べ、契約を。……なぁに、目を覚まさせるだけなら左程困難ではなかろうて」

「足りないのは魔力だけ、ですか」


 確認するようにルーデンスが呟くと、少女は笑みを崩さぬまま、肩にかかった長い髪を流れるような動作で軽やかに後ろへとはらった。


「否、とも是とも」

「……これはまた、有難い返答ですね」

「7日の間に愛し子の魂を引き戻し、お主がお主だと認識できるまでに回復させよ。この契約を結べば、即座にわれの力にて愛し子に巣食うおぞましい虫を取り除こうぞ」

「契約が果たせぬ時はどうなるのです?」

「もちろん、お主の命を貰い受けようぞ」

「……なるほど。この賭けを下りる、なんてことは」

「愛し子の魂を旅立たせ、この地に滅びを約束すると言うならそれもよかろう」

「それは、拒否権はないと言っているようなものですね。いいでしょう。契約を」

「契約を」


 繰り返す様にそう少女が言うと、ルーデンスは少女の間近まで歩み寄り、膝を折った。

少女は台座を下り、ルーデンス前に立つと右手の人差し指と中指をピンと揃えて伸ばし、ルーデンスの額に軽くあてた。


「……契約の期間は7日。愛し子がお主をお主と認識できるまでに回復させればお主の勝ちよ。今回の人の子らの愚かな振る舞い、不問にしようぞ」


 少女の指先が微かに光を放ち、そこに居たもの皆がくらりとした眩暈のような感覚を覚えた。

瞬間、ゴトリと何かが落ちる音がはっきりと聞こえた。

ふと見やれば、ナナエの横たわる台座のすぐ横に赤みを帯びながらも紫に輝く、美しい宝石のような物が転がっている。

それを少女は拾い上げ眉をひそめると、投げ捨てるようにしてルーデンスに渡した。


「契約はなされた。さぁ、人の子の王よ、その責務を全うするがよい」


 その言葉を合図にしたかのように、ルーデンス足早に横たわったままのナナエの側へと急いだ。

再び間近で目にしたナナエは、ルーデンスが以前あった時よりも小さく見え、その姿にルーデンスはぎりりと歯噛みをした。

己の采配のまずさをまざまざと目の前に突き付けられ、ルーデンスは悔しさに胸の中がイライラといらだつのを感じたのだ。

しかし、そんな中でもナナエを再びこの手に内に戻せたことの喜びも、また感じているようだった。


 まるで壊れ物を扱うかのごとく、ルーデンスはナナエの体をそっと抱き上げるとくるりと少女に背を向けてみせた。


「……必ず、賭けには勝って見せます。それがたとえ、あなたの面白くない展開だろうとも」


 そこで初めてルーデンスは今までで最も彼らしい表情で少女に視線を向けた。

その顔を少女は満足気に見返し、小さく頷く。


「7日後ではなく、祭礼でお主と再びまみえとうものよ」

「できれば、祭礼などと言うものも無くしたいと、思いますがね」


 そうルーデンスが慇懃無礼に返しても、少女は楽しそうに笑うだけだった。

















 少女に見送られるようにして、ルーデンスたちは部屋を後にした。

残されたのは少女と、何故か微動だにしないトゥーゼリアだけだ。

その、トゥーゼリアの姿を少女は嬉しそうに眺めていた。


「お前も契約をしたいと、言うとったな」


自分の行き場を失ってしまった様に動かないトゥーゼリアに向かい、少女は口を開いた。

恐らく今頃、ナナエたちはイェリアの邸宅に戻っているだろう。

何故、情けなく動けもせずに、この場に残ってしまったのか。

それは、トゥーゼリアにもよくわからなかった。


「…………」

「魂を引き戻す役目は人の子の王にくれてやったが、それではお前も不満よのう?」


ニヤニヤと不快な笑いを浮かべつつ、少女はそトゥーゼリアに問うた。


「おっしゃって、いる、意味が、分かりません」


絞り出す様に小さくそう答えると、少女はますますその不快な笑みを濃くしたようだった。


「だが、その苦しみはわれにとっては甘美なもの。今もとても心地よい感情をお前から感じておる」

「……おっしゃっている意味が分かりません」

「わからぬのか?われは人の子の王に愛し子と契ることを許したということぞ?」


 耳元で少女が囁くと、トゥーゼリアは弾かれたように顔を上げ、睨むようにして少女を見た。


「……ナナエ様のお気持ちはどうなさるのですか」

「……知らぬな」

「愛し子といいながら、その気持ちを無視し、悲しませると?」


 低く、地を這いそうなほどの声音で、怒りを隠そうともせずにトゥーゼリアが言うと、少女は嬉しそうに笑って見せた。


「くくく……。愛し子の”為”といいながら、お前も同じではないか。今、あの人の子の王に暗き思いを抱いておろう?」

「言いがかりはおやめください」

「われにはお前のその仄暗い感情が目に見えるのさの」

「なにも感じてなどおりません」

「なんとでも言うが良い。われに言葉遊びなど通じぬ。……さぁ、獣の子よ。われと契約を結べ」

「……意味が、分かりません」


 必死に言葉で抵抗してはみるものの、その言葉に力が無いことはトゥーゼリア自身にもよくわかっていた。

何度も何度も助けたいと、自分のこの手で守りたいと思っているナナエを、何度も何度も自分では助けられず。

あまつさえ、自分がそうありたいと思っている立ち位置には、ルーデンスがいる。

そのことに苛立ちを感じない日はなかったのだ。


「お前にも、同じ契約を。……契約の期間は7日。愛し子がお前をお前と認識できるまでに回復させればお前の勝ちよ。願いを一つ望むままに叶えてみせようぞ。あの人の子の王の代わりにお前をすげかえてやろうか?それとも、人の子の王の命をお前にくれてやろうか」

「そのようなこと、望んでおりません」

「言葉遊びは通じぬ。さぁ、契約を結ぶがよい。お前が望むままに」

「お止めください」

「……愛し子はアマークの女王ぞ」


 顔から笑みを消して、少女はトゥーゼリアに言い放った。

その言葉に、信じられないと言った面持ちでトゥーゼリアは軽く首を左右に振る。


「あの人の子の王は、魔力もさるとて、人の子の王であるが故に、愛し子との契りを許されるのだ。お前はじきに、許可なしに近づくことすら許されぬようになるであろう?それでも構わぬと申すか、同じ葉の刻印を持つものよ」

「ナナエ様が何者であろうとも、関係ありません」

「嘘よのう。一人は寝台へ上がることが許され、一人は近づくことすら許されぬ。理不尽じゃと思わぬか?お前は何のためにここまで来たと?」

「お止めください!」


 遮る様にトゥーゼリアが言うと、少女は再びニヤリと笑った。


「では、こうしよう。……契約の期間は7日。愛し子がお前をお前と認識できればお前の勝ちよ。お前をいつでも愛し子と共にあることが出来るようにしよう。叶わぬ時はお前の命が代償ぞ」

「…………」

「お前が勝てばよいだけさな。お前への褒美に、われが人の子の王の命をくろうても、お前は知らぬ存ぜぬで目を閉じ、耳を塞ぎ、ただ愛し子と共に過ごせばよい」

「…………」

「……さぁ、獣の子よ。われと契約を結べ」


 少女は、先程ルーデンスにしたのと同じように、二つの指を揃えてピンと、トゥーゼリアへと向けて伸ばしてみせたのだった。

誤字脱字等ありましたら教えてくださいませ~。

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