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<39> 得体の知れないモノ



「なんかやり方がえげつねぇよな」


部屋から出た来たトゥーヤを迎えたのは、壁にもたれかかる様にして待ち構えていたキーツだった。

それを横目でチロリと見て、トゥーヤは眉間に僅かな皺を寄せる。

部屋に戻っていたのだとばかり思っていたトゥーヤは、ナナエに注意を向けるあまりに周囲の気配の読みを怠ったことを軽く後悔した。


「あんな事言ったらさ、姫さんの性格じゃ、あの言葉に縛られるじゃねぇか」


不快そうな表情を隠そうともせずにキーツはトゥーヤを見やった。

それをトゥーヤは否定もせずにただ黙って見返す。


「姫さんを大事大事って言うなら、さっさとあの女と結婚でも何でもしてオラグーンの王子を殺して来いよ」


キーツの乱暴な物言いにも、トゥーヤは何も言わずに視線を軽く窓の外へと向けた。

キーツの言う内容など、とっくにトゥーヤには分かっているのだ。

それが最善の手であると。

ナナエを一刻も早く魔種から、そしてオラグーンの内紛から解放する為にもそうしなければならないのだ。


「安心しろよ?その後はきちんと姫さんをエーゼルに連れて帰るからさ。あとは陛下が守ってくれるさ」


小馬鹿にしたように鼻で笑うキーツの言葉に、胸がチクリと痛みを感じた。

ことを全て成し終えれば、ナナエは助かる。

が、ナナエとは離れなければならない。

それは百も承知のはずだった。

が、その事実を他人から突きつけられることが、これほどまでに胸に刺さるとは思っていなかったのだ。

ナナエが助かるなら、何でも出来ると思っていた。

それが今、何故こんなにも離れがたく思うのか。


「好きになさればよろしいでしょう」


心とは裏腹な言葉を口にしつつ、キーツに背を向ける。

トゥーヤ自身が自分の感情を要らないものとしたのだ。

胸の痛みなど些細なものだ。失うことに比べれば。











トゥーヤが部屋から出て行くのを見計らうと、ナナエは這うようにして寝台の上から身を乗り出し、サイドテーブルの一番下の引き出しをそっと開けた。

そこには小さなシャーレがあり、中には綿のようなものが敷き詰められている。

その中央には魔種と呼ばれるソレが存在を主張するかのように淡く光を放っていた。


「やっぱり、除草剤じゃダメだったみたいね。出来ればそうであって欲しいと思ってたんだけど」


ナナエが語りかけるようにそう言うと、シャーレの中の魔種は、その声に応える様にその表皮を波打たせるかのごとく揺らす。

それを見ながらナナエは同じ引き出しにしまっていた短刀を取り出し小指に小さな傷をつけた。

小指のその傷から流れ出したものは珠のように膨れ、スッとその指を流れ落ちる。

その雫が魔種に落ちると、魔種はひときわ大きく表皮を波打たせた。


「気持ち、悪いなぁ……」


誰に言うでもなくナナエはそうボソリと呟き、再びそのシャーレを引き出しにしまってゴロンと寝台の上に仰向けになった。


胃がムカムカする。


瞼を軽く閉じると、先ほどまですぐ側にあったトゥーヤの少しだけつらそうな表情が浮かんだ。

ナナエもバカではない。

言われるまでも無く、トゥーヤの寄せてくれる好意に気づいていた。

ルディが寄せてくれる好意も、トゥーヤが寄せてくれる好意も、どちらも認識はしている。

しかし、理解が出来ないのだ。


自分には何もとりえがない。

そこまで好意を寄せられるような魅力を自分に感じないのだ。

自分に2人から好意を寄せてもらえるような価値があるなんて思えない。

結局、根本はそういうことなのだ。

自分に自信がもてない。

生い立ちのせいももちろんあるだろうが、生来の気質による部分も大きいだろう。


自分に価値を見出せないから、価値の無いものに好意を寄せる気持ちが分からない。

本当にそんな気持ちがあるのかどうか疑わしいのだ。

さらに、魔力の問題もある。


この世界の人々は、まるで魔力に吸い寄せられるように、魔力の高いものを好む。

そして、ナナエは望まないままに高い魔力を保有しているのだ。

彼らが、そのナナエの魔力に、望まないままに、気づかぬうちに、惹かれているだけだとしたら?

それは、ナナエ自身に好意を寄せているのとは違うのだ。

ナナエが好きなのではなく、ナナエの魔力が好き、なのだ。

ならば、魔力が無かったナナエだったら、もし魔力がなくなってしまったら。


また一人になってしまうのだろうか。


元居た世界で、ナナエは多くの時間を一人で過ごしてきた。

顔見知りや、友達と言ったものが居るにはいたが深く関わることは殆ど無かったと言ってもいい。

そして、ナナエ自身も何故か他人にそこまで興味が持てなかったのだ。

例外があるとすれば……1人だけ。

同じ施設で育った男の子が居た筈だ。

その子の事をふと思い出し、ナナエは苦笑いを浮かべた。

正義感の強い子で、ともすればいじめられがちなナナエを、何時もヒーローのように助け出してくれたのだ。

あの子はナナエが元の世界でただ一人だけ興味を持てた人だったかもしれない。

それも、その子にこっぴどい振られ方するまでの話だったが。


もちろん、そんなナナエを引き取ってくれた養父母には感謝をしている。

とてもいい人なのは分かっていたし、少なからず好意を抱いていたし、好かれるように努力をした。


だが、何か違うといつも思っていた。


何をしても、自分は代用品なのだ。

本物になることはできない。

誰かの一番になることなんて、願えるような価値も無い。

そんな希薄な存在だ。

元の世界に戻りたい、そんな執着も時間が経つごとに薄れ始めている。

仮に、元の世界に帰れたとして。

そこに待つものは何なのだろう。


自分が居なくても。

自分と言う存在が消えても。

何事も無く世界は流れていて、何事も無く自分と言う存在を忘れ去られていたという事実を目の当たりにするだけではないのか?

そんな辛い思いをしに帰ることに、何の意味があるのだろうか。


世界は既に私の代用品を見つけているはずなのだから。


そう考えただけで、背筋にスッと冷たい風に撫でられたような感覚を覚える。

元居た世界、そして今の世界。

執着を持ってしまったのは、もうはっきりしている。

たとえ、まやかしの感情であったとしても、今、ナナエを必要だと言ってくれる人の存在がここにはある。

そんな世界に執着を持てない訳が無い。


そこまで考えてナナエは酷く自分が計算高くなっていることに気づき、下唇を噛んだ。

何の努力もせずに、欲しい物だけを与えてくれようとする、周囲の人々の優しさに漬け込んでいる自分が恥ずかしかった。

好意を返すことが出来ないのに、無償の好意を望む。

それは、なんと酷く愚かしいことなのだろう。

そんな価値など無いのに。


ネガティブな感情に浸りそうになり、軽く頭を振った。

両手で軽く顔を覆うようにして、薄く目を開ける。

そのまま手を離してしっかりと目を開けると、ふと、先ほど傷つけた小指の指先に視線がいった。


「気持ち、悪いなぁ……」


再びそうやって独り言ちた。

指先には乾いた血が少しこびりついていて、傷自体は既に綺麗になくなっている。

魔力、のせいなのだろうか。

こういった小さな傷は、いつの間にかなくなっていることが多い。

村で襲われたときも、顔の腫れこそひきは遅かったが、あの男に付けられた筈の鎖骨の傷は気が付けば綺麗になくなっていた。

何かがおかしい。


そういえば。


この世界に来たときの頭の傷。

血の量からしてもかなり切れたはずだった。

あの傷はいつ消えた?

包帯を巻くほどの傷が消えたのはいつ?


何かがおかしい。


自分の体の中で何かが変化しているのだろうか。

シャルも魔種の進行具合が不思議と遅いと言っていた気がする。


再びゾクリと背筋を冷たいものが走った。

自分の中の自分の異常さに恐怖を感じたのだ。

自分の体なのに、自分の体ではないような、そんな不気味さを感じる。


「ホントに、気持ちが悪い……」


ナナエは自分の体を抱きしめるようにして身を縮こまらせた。

得体の知れない自分の体の中に、得体の知れないものが生きている。

全てを投げ出してしまいたい気持ちに駆られても、自分の体は切って離すことなど出来ようもない。


今感じている気持ちの悪さはどこから来ているのだろう。

得体の知れない魔種の形態か。

除草剤を飲んだ為に起きている生理的なものか。

それとも、得体知れない自分自身への恐怖なのか。


ふと、窓の外に目をやれば日が傾きだしていた。

少しだけ薄暗くなった室内に幾分不気味さを感じる。


――キィィ


そんな、ごくごく僅かな軋みの音と共に窓がひとりでにゆっくりと開いた。

その様子に、ナナエは声も出せずに息を呑むようにして窓を凝視する。

迫ってくる夕闇に染まりきらない白い手がぬっと伸び、窓枠に手を掛けるのが見えた。

薄い黄緑に塗られた爪がキラリと夕日を反射する。


一瞬、マリーかと思ったが、マリーはそもそもマニキュアなどしない。

それに、指や手はマリーよりも遥に細いシルエットだ。

その手が2つ窓枠に掛けられ、ナナエはそれをただ身動きも出来ずに見つめていた。


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