<37> 未来は今の積み重ね。
背後に感じた殺気に、キーツはひょいと身をよじった。
その直後に壁に突き刺さるナイフとフォーク。
それを横目で見つつゆっくりと振り返ると、キーツの予想通りの顔がある。
トゥーヤだ。
「これは失礼。手が滑りました」
トゥーヤは能面のような顔で淡々と言う。
避けれるようにわざと手を抜いているのをキーツは分かっている。
投げる前にわざわざ殺気を放つのもおかしい。
そう、これはうっかりなんてものじゃないのだ。
明らかに、イビリだ。
「姫さんの”元”執事様は随分と粗雑なんだな。”うっかり”で、ナイフとフォークが飛んでくる様だし」
壁に刺さったナイフとフォークを抜きながら呆れ顔で見返し、キーツは嫌味を言ってみた。
それでも、トゥーヤは眉をピクリとも動かさない。
そうして、キーツが壁から抜き取り差し出したナイフとフォークを黙って受け取る。
大体において、そのナイフとフォークはどこから出したと言うのだ。
今日の昼食は粥で、ナイフもフォークも1ミリたりとも使う余地が無い。
「……ええっと、ごちそうさま~」
遠慮がちに発せられた様なその言葉が聞こえて寝室を覗けば、ナナエが気まずそうに表情を曇らせていた。
手元の粥の皿はほとんど量が減っていない。
「無理してでも食べた方がいいんじゃないのか?」
キーツがそう声を掛けると、ナナエは困った様に笑った。
「……そうは思うんだけど、ちょっと、ね」
「ちょっと?」
「……柚子、苦手なの」
苦笑いをしながら答えるナナエに、キーツは大仰にため息をついて見せた。
「あのなぁ。今は無理にでも体力を温存しなきゃいけないだろ。好き嫌い言ってんな」
「……だから、いつものお粥がいいって言ったじゃん」
「大体において、好き嫌いありすぎなんだよ。ニンジンは嫌い、セロリは不味い、柚子は苦手、春菊は食べたくないとか。姫さんの味覚は子供か!」
そんな説教に拗ねたように少しだけ口を尖らせて視線を外すナナエに、やれやれと言った感じでキーツは肩をすくめ、その皿を受け取った。
「仕方ねぇな。……作り直してくる」
キーツがそう言うと、ナナエは「ごめんね」と言いながらも子どものように顔を崩して笑った。
その顔を見ると、いずれ死んでしまうかもしれないというのがキーツには信じられない。
昨日キーツと久々に会った時、かなり悲壮な顔をしていたのも嘘のようだった。
ナナエの頭を軽く撫でるようにしてキーツがポンポンと叩く。
するとナナエは煩わしそうに眉間に軽く皺を寄せ、パタパタと手を振って、キーツのその手を払った。
その表情も酷く気安く、まるでジュカとゼルダとして村に居るときに戻ったようだった。
「その大人ぶった態度!なんかむかつくわー」
「……いや、姫さんの精神年齢が子ども過ぎるんだろ」
「あ、そうだ。やっぱりコーンをすり潰したのを入れたお粥にして。あれ好きだから」
「えー、また手の込んだものを……」
「食べたくなった!」
「……まぁ、食欲が無いよりましだしな。仕方ねぇか。俺が特別につくっ……」
突然、わき腹に激痛が走り、キーツは思わず言葉を飲み込む。
痛みに体をかがめると、その手にしていた粥の皿をひょいっと掻っ攫われた。
「私がお作りします」
いつの間にかキーツの背後に居たトゥーヤが、無表情なまま淡々とナナエにそう告げる。
それは、決定事項を告げるような有無を言わせぬ雰囲気の口調だった。
ナナエは少しだけ戸惑ったように視線を泳がせながら、小さくそれに頷く。
それを見届けるとトゥーヤは、蹲っているキーツなど視界にも入らないように、さっと部屋を出て行った。
「……キーツ、大丈夫?どうしたの?」
ナナエは状況を飲み込めていないようだった。
無理も無い。
ナナエからは死角になる部分から的確にキーツのわき腹を攻撃してきたのだ。
キーツが突然呻いて蹲ったようにした見えなかっただろう。
(……嫁いびりかよ)
何がそこまで気に食わなかったと言うのだろう。
ただナナエの頭を叩いただけだ。
昨日ナナエの側に上がってからと言うもの、こう言った細かいイビリが度々起こっている。
いや、トゥーヤがあの夜会のことに相当腹を立てて居て、キーツを不快に思って居るのは確かなのだが。
何故、たったこれだけのことで腹を立てるのかが分からない。
「なんでも、ねぇよ。……持病の癪ってやつだ」
わき腹を押さえながらゆっくり立ち上がると、ナナエは不思議そうに首を傾げた。
「そういえば、姫さん。方針は決まった?」
キーツはそう言うと、寝台脇の椅子にドカっと腰を掛けて両手を組み、頭の後ろに回す。
少し仰け反るようにして上半身を少しひねり背骨を伸ばすと、体が引っ張られるように心まで引っ張られたようで、幾分気持ちがスッキリとした。
わき腹には、まだ微妙な痛みが残ってはいたが。
「とりあえず、除去する方法はシャルもトゥーヤも探してくれてるみたいだし。私は、さ……」
そこでナナエは少しだけ難しい顔をして顎に軽く触れるようにして指を置いた。
その仕草に、ナナエの不安さが滲み出ているようで、それがキーツにはもどかしい。
「よく言うじゃない。やらないで後悔するより、やって後悔しろって」
何かを決めたようにナナエは唇を真一文字に結んだ。
顎に添えられている手とは反対の手は強く握り締められており、そのせいか、血の気を失ったように白くなっている。
「なら私はやって後悔する」
「……そうか」
「偉い人は言いました」
そう言って、至極真面目な顔をキーツに向けて、顎に添えていた手を離すと、その人差し指をピンッと上に向けて立てた。
「未来は予測するものではない。選び取るものだ」
「お、おう……」
「なら私は、生き残る未来を選ぶ。死んでも生き残ってやるんだから」
「……死んじゃだめだろ」
鼻息も荒く矛盾した決意を語るナナエに、キーツが冷静に突っ込みを入れる。
すると「あはは!そうだった~!」っとパッと破顔した。
その表情は昨日とは比べ物にならないほど明るい。
「あんまり動けないから、キーツに色々お願いすることになると思う。だから、協力してくれると嬉しいな」
「それは、今更、だろ」
「……うん、ありがとう。じゃあ頑張ろう、同志よ!」
ナナエは少しおどけてウインクをしながら、オーバーリアクション気味で握手を求めるように右手を差し出した。
それを、やれやれと言った面持ちで、ワザとらしくキーツはその手を握り返す。
ナナエは嬉しそうにはしゃいでみせ、その手をきつく握り、上下に振った。
その様子は本当に子どものような明るさで、半分は本気、そして残りの半分は、自分を奮い立たせようと無理に作っているようにも見える。
「ナナエ様。粥が出来るまでの間、果汁でも……」
その時、そう言ってトレーを片手に入ってきた者があった。
まるでカラクリ人形のようにぎこちなくゆっくりと首を回すようにして振り返ると、そこには少し顎を上向き加減にしてキーツを見下ろす能面のようなあの顔。
その視線は、しっかりと握られたナナエとキーツの手に注がれている。
そして殺気が……漏れている。
どうやら、また怒らせたらしい。
握手すらダメだというのか。
(……ああ、最悪だ)
キーツは観念したように瞼を閉じてうな垂れた。
ナナエには決心したことがある。
ただ助けを待っている、ただ時が流れるのを待っているのはとにかくダメだと思った。
自分のことだからこそ、自分が動かないといけない。
それは当たり前のことだ。
病気だ何だと甘えてばかりじゃ何も進めないのだ。
そんな甘ったれてた自分自身に説教をしてやらなくてはならない。
「キーツ、私ね。除去法を探るんじゃなくて、作ってみようと思うの」
ナナエが真剣な顔をして言うと、キーツも真剣な顔で頷き返す。
素人のやることだ、そんな簡単なことじゃないとわかってはいる。
でも、今のナナエにやれることなんて限られている。
それに、一刻も早くトゥーヤにあんなことを止めさせないといけない。
奇麗事なんか言うつもりは無い。
生きたい。ただそれだけだ。
自分を生かす為に、誰か他の人が犠牲になっていると聞かされてもあまり実感が湧かないのは確かにある。
だけど、自分が良く知らない他人の命よりも。
トゥーヤにその行為を強いているのがとても耐え難いように思えるのだ。
何度もトゥーヤを説得した。
正論を振りかざしてみたり、怒ってみたり、宥めてみたり、あまつさえ泣き落としまでしてみたのだ!
しかし、トゥーヤの意思は揺らがなかった。
エナと婚姻を結び、王族に寝返りそうな貴族は殺し、セレン王子も殺す。
その一点張りだ。
ここを逃げ出して皆で対策を考えようと言っても、「不確かな確率にナナエ様の命を賭けることは出来ません」と取り合いもしない。
結局のところ、トゥーヤの目の前でナナエが助かって見せるしか方法が無いのである。
ならば、ただこの寝台の上で手をこまねいてばかりいるわけにはいかない。
自分の出来ることで、何か活路を見出さなければならないのだ。
運良くナナエにはこの世界での薬の知識がわずかばかりある。
もちろん、そんな大層な知識量では無いのは分かっている。
でも、やらないで後悔するよりもやって後悔するべきなのだ。
素人の付け焼刃でも、何とかするしかない。
シャルから貰った魔種の現物を手のひらの上で転がしてみる。
確かにあの森でエナから先の道のりが険しいから飲むようにと貰った滋養薬とそっくりだった。
透明な紫色のゼリービーンズのような形をしていて、これを噛まずに飲み込むように言われたのだ。
そして、その翌々日から熱が出た。
恐らくあの時から、ナナエの体の中でこの魔種が育っているのだ。
少しずつナナエから魔力を吸い上げ、成長しているはずだ。
シャルから魔種の話を聞いて、一人のときにこっそり試したことがある。
それは魔法を使えるかどうか、だ。
やはり、というか当然というか。
どんなに念じても魔法が使えない。
もちろん、この世界に来るまではそれが普通だったのだから、使えないからと言ってどうというわけでもない。
ただ、恐ろしく不安なのだ。
ナテルのように生まれつき魔力を一切持たない者なら兎も角、余るほど持っていた自分が魔力をなくした時に、自分はどうなってしまっているのだろうと。
魔力を枯渇させるまで生きながらえているとも思えないが。
「”種”ってことは寄生植物、かぁ……」
「ん?」
幾分憂鬱になりながら呟いたナナエに、キーツが訝しげに視線を投げ返す。
その顔をチロリと横目で見て、ナナエはため息をついた。
「冬虫夏草って知ってる?」
「ああ、虫から生えてる植物だっけ?」
「あれね、冬の間虫の中でキノコの菌が育ってるわけよ。で、夏になると養分を吸われた虫が死んで、そこからキノコ、つまり草が生えるから冬虫夏草。簡単に説明すると、だけどね」
突然うんちくを語りだしたナナエを、キーツが困惑の表情で見返す。
ナナエの表情も先程と違って陰鬱な表情になってきているのに気づいた様だった。
「その虫ってさ、少しずつ栄養を吸われて体の中に菌が繁殖していって死ぬんだけど。……死ぬときは突然転がって死ぬわけじゃないんだって。枝にしがみついたまま死んだり。毒針を出したまま死んだり、伸び上がって死んだり。一説では菌が脳に指令を出して歩かせたり、飛ばせたりしてコントロールしてるって話が……」
「そ、そうか……」
「そうするとさ、脳の中がいつから菌に支配されてたのか分からないよね。外から見たら姿も行動も虫なのに、中身はもう菌に支配されてるのかもしれないわけなのですよ」
「お、おう……」
「仮にこの魔種が冬虫夏草タイプだったとして。私はいつから私じゃなくなっちゃうんだろう。……っていうか!今こう言っている私が既に私じゃないのかも!とか思うと軽くホラーじゃない?……ねぇ?」
いかにも恐ろしい事実を告白しているといった風情で、青ざめた虚ろな表情で視線を外しながらナナエはキーツに言った。
確かに話している内容は恐ろしいといえば恐ろしいのだが、と、キーツはいまいち反応に困りながらも相槌を打つ。
「ああ、まぁそうかもな」
が、そうどうでもいいような受け答えになってしまったキーツに対して、ナナエが眉間に皺を寄せて睨みつける。
「私が真剣に話してるのに!」
「そうかも知れないけど。……姫さん、緊張感は無いよな」
「なんでよ!」
「あーはいはい。脱線はそこまでにして。”真剣に”今後の事話そう、な?」
「私は真剣だっつーの」
「了解了解。んで、何から始めようか」
キーツが話をさらっと流してしまうと、ナナエは不服そうに口を大きく歪めた。
あるかどうかも分からないことに不安を感じて悩むより、確実にあることを回避する可能性を探るほうが優先とキーツが思うのは当然だろう。
「で、どうするかもう、一応は決めているんだよな?」
キーツがそう言うと、ナナエは握った拳に顎を乗せ、優に一拍、間を置いてから口を開く。
「植物ってことは、除草剤利かないかな?」
その余りの緊張感の無い呟きに、キーツはガックリと肩を落としたのだった。




