<35> それぞれの思い。
ここもだ。
通された部屋で、夫人から告げられた内容にセレンはギリリと歯噛みした。
表面上はバドゥーシの言いなりになってはいるが、王家とそれなりに懇意にしてきた貴族をリフィンと共に回っている。
しかし、このオラグーン北部の貴族たちの説得が上手くいかない。
いや、説得すら出来ないといったところか。
夫人は黒の地味なドレスを身にまとい、沈痛な面持ちだ。
この告げられた言葉の内容、そしてこの沈痛な表情。
北部に入ってからと言うもの、既に6件目だ。
全て内容は同じ。
”夕刻、何者かによって当主が首を切り落とされた状態で見つかった”
と言うものだ。
夜ならまだわかる。
しかし、その犯行は常に夕刻だ。
いや、それより少し早い時もある。
とにかく、一番犯行に適している時間、夜間には一切行われないのだ。
その手口も実に鮮やかだ。
争わず、音も立てず。
本当に首だけを持っていくのだ。
そのタイミングは実に様々だ。
当主が執務の為に執務室に篭っているときであったり、家族との昼食を終え、自室に戻る途中であったり。
あまつさえ、侍従が台所に茶を用意に行った隙だったりと、極めて短時間で行われている。
そして、その痕跡は皆無だ。
本当に突然死体が現れたと言っても通るぐらい、何も遺されていない。
相当の手練れが次々に殺しているとしか言いようがない。
「沈黙の訪れ……」
顎に軽く手を添えるようにして、リフィンがボソリと呟いた。
その言葉はセレンももう何度と無く頭の中に浮かび、消し去っていた言葉だ。
そんな筈はない。
そうは思っていても、リフィンのその言葉に、とっさに否定をすることが出来なかった。
「おかしい、ですよね。これは」
「そう、だな」
搾り出すように声を出す。
どうみてもこれはセレンが訪れるであろうと予測した上での犯行だ。
その犯行を追いかけるようにして、セレンがそこへたどり着くのだ。
たとえバドゥーシの手のものだとしても、セレンたちがオラグーン国内で、しかもこの北部で動いていることを知られていないはずなのだ。
それなのに、まるで回る順番が分かっているかのように。
情報がどこからか漏れている、もしくは……情報を握っている身内の犯行か。
ぎゅっと拳を握りこむ。
力いっぱい握った拳は血の気が引き、白く、小刻みに震えていた。
数少ない、セレンと一緒に行動した信頼できる者たち。
その中で裏切り者が居るとは思いたくなかった。
だが、それならばなぜ。
否定したい気持ちと疑う気持ち、それがグルグルと頭の中を渦巻いている。
「疑うべきです」
リフィンが感情を感じさせない声で事務的に言った。
もちろん、私情に流されるべきでないことはセレン自身はきちんと理解している。
ただ、感情がどうにも上手く押さえ込めないのだ。
「わかっている」
そう呻くように言うしかない。
そんなセレンを、リフィンはやれやれと言った顔で見、肩を少しすくめた。
「王子、疑うのは誰がやったかではありませんよ」
その言葉の意図をつかめずに、セレンは訝しげにリフィンを見やる。
するとリフィンは微かに笑ったようだった。
「問題は”誰が、やったか”ではありません。”何故、やったか”です。彼は何かを伝えようとしているのかもしれません」
リフィンはその時、確かに”彼”と言った。
セレンが頭の中から打ち消したその名前を突きつけるように。
* * * * * * * * *
何でも聞いてやると言いました。
確かに言った。
だが。
終始トゥーヤがートゥーヤがーと来るとうんざり顔になるのは勘弁してほしい。
「そもそも、トゥーヤって誰なんだよ?」
その基本的情報がキーツからは抜け落ちていることをナナエは理解していない。
シャルという少年もあの夜に一度会ったきりだし、トゥーヤという男に至っては会ったことすらもなかった。
窓の外から見た限りは、眉をピクリとも動かさない根暗そうな男というイメージしかない。
顔は整ってはいるが、ニコリともしない。
愛想という言葉が裸足で逃げ出すほどのつまらなそうな男である。
キーツの認識と言えばこの程度だ。
キーツから言わせてもらえれば、そこまでナナエが気にするような男か?と甚だ疑問である。
「トゥーゼリア・ファルカって言って、元、だけど私の専属執事」
ああ、ピンときましたその名前。
「村で陛下が愛人にすればいいって言ってた奴か」
「……」
「陛下の方が全然いいじゃねぇか……」
「トゥーゼリア様のほうがいいに決まってます」
突然背後から囁くように言われた言葉に、キーツはビクリと体を震わせてゆっくりと振り返る。
首筋には抜身のナイフ。
間近にはニコニコとしている天使のような悪魔。
「姫さん、姫さん。もしかしてだけど、俺のこと話してない?」
「ええっと、話すタイミングなかったし……ぶっちゃけキーツのこと忘れてたっていうか」
「ひでぇ……ひどすぎる!じゃあ俺もしかして犯罪者のまま?」
「もしかしなくても犯罪者ですよね」
「いやいやいや、陛下からもうお許しがでてるから!」
「ああ、それは残念だなぁ。僕はエーゼルの国王様には忠誠は誓ってないんですよ。だからエーゼルの国王が許しても、僕には関係ないんだよなぁ」
天使の風貌の悪魔はさらりと言ってのける。
その表情はなぜかとても楽しそうだ。
「ええっと、シャル。キーツには屋敷を出た後ずっとお世話になってたの。許してあげて?」
苦笑いをしながらナナエが言っても、何故かシャルはナイフを仕舞おうともしない。
ナイフの刃の面の部分でピタピタとキーツの首筋を叩いている。
「もちろん、ナナエ様がそうご命令するなら、僕もやぶさかではないですよ?でも、ねぇ」
「とりあえず、そのピタピタやめねぇか?心臓に悪い」
「まず、大前提として。僕、あなたのこと、殺したいぐらい嫌いなんですよ」
まるで、”今日の夕食は何にいたしましょうか?”と聞く位の軽い調子でにこやかにシャルが言う。
口調も表情も穏やかでフレンドリーと言っても良いぐらいなのに、口から出る言葉はとても冷たい。
「全く、油断も隙もないですね。イェリア家に入り込むなんて。流石はネコ。こそこそ姑息に動くのが良く似合う」
「……言うねぇ。その、トゥーゼリア様とか言う奴と、お前が居なければここまで来るのは楽勝だったよ。犬の家には有能な人材がよほど居ないとみえる。ああ、お前と、トゥーゼリア様とか言う輩を誉めてるんだけどな?」
キーツが尻尾でパタパタと椅子の側面を叩きながらニヤリと笑うと、シャルは明らさまに眉をひそめた。
確かに、家のものではないキーツがここまで簡単に入り込めるのはおかしいと言えばおかしいのだ。
ここは普通の貴族の家では無いのだから。
「イェリア家を侮辱しましたね?我が一族を敵に回すつもりですか」
「なに家だか知らねぇけど。女に毒を飲ませて、その命を人質にとるようなのはまともな家じゃねぇな」
睨むようにしてキーツが言うと、シャルは一瞬だけ目を見開いた。
そうして下唇を強く噛み、ナイフを退いた。
ナナエも今まで口に出せずに居たことをあっさりと暴露されて、動揺している。
「僕はっ……」
そこまで言いかけて口を閉じ、シャルは黙って俯いた。
その瞳は、後悔や怒り縁取られ、口元は悲しみややりきれなさを含んだように歪められている。
それをナナエは心配気に見つめ、何もいい言葉が思いつかないのか、しょんぼりとした様に唇を引き結んだ。
「お前たちは隠してたかも知らねぇけど。姫さん、気づいてるぞ」
その言葉にシャルは覚悟を決めたように顔を上げる。
その真剣な瞳は真っ直ぐとナナエを捉えていた。
「ナナエ様。僕はナナエ様を害そうとは思っておりません。むしろ、お助けしたいのです。もちろんそれは、トゥーゼリア様も同じです。どうか、それだけは信じてください」
* * * * * *
――今日で7人目。
あたりをつけた順番に仕事を行ってきた。
そろそろ、気が付いたころだろうか。
北部を回っているのが王子にしろ、大公にしろ、トゥーヤの仕事だとわかる筈だ。
その為に、痕跡を残さないという痕跡を残した。
自分が王子に、オラグーンに逆らい、叛意を示しているのだと気づくはずだ。
ナナエの為にオラグーン王家に刃を向けているのだ。
その事実を認識し、トゥーヤに殺されないよう警戒をするべきなのだ。
あくまで従順に事を運ぶ。
貴族たちを殺し、エナと婚姻を結ぶ。
血の契約、婚姻を結んだのなら、妻への裏切りは許されない。
裏切れば、血の契約の反故の代償としてトゥーヤの命は契りの神ザクスによって失われるだろう。
その上、イェリアとファルカ、両家の対立は免れない筈だ。
そして、互いの一族が対立すれば……その時、一族を守れるトゥーヤが居なければ、それは非力な者たちが血で購うことになる。
自分の身を守れないもの達が狙われるのは世の常だ。
ファルカ家次期当主として、それを看過することは出来ない。一族を守らねばならない。
まだまだ未熟なマリーを始め、すぐ下の妹には子が生まれたばかりだ。
己の不手際のせいで、それらを危険に巻き込むなどあってはならない。
だからこそ、イェリア家当主の前でエナに誓うのだ。
必ず王子を殺す、エナを愛すと。
だから、と。ナナエの魔種を取り除き、自由にさせるのだ。
ナナエはシャルに託せばいい。
きっとナナエを守ってくれるだろう。
後は簡単だ。王子を殺しに王子の前へ行き、王子に殺されればいい。
そうすれば約束を違えた事にはならない。
ナナエを、ファルカ家の一族を、己の心を守るにはこの道しかない。
もう道筋は決まっている。
エナとの婚姻も早めるべきだ。
これ以上王子の行く道を阻んではならないのは重々承知している。
ナナエの体調も少しずつではあるが悪くなっている。
だからこそ。
早々にナナエを解放し、王子に殺されるべきなのだ。
トゥーヤの死を知った時、ナナエは悲しんでくれるだろうか。
そんな馬鹿な考えが頭をよぎる。
そうであって欲しいと思う。
そして、忘れないでいてくれたら、と思う。
トゥーヤと言う者が、が生きていたと言うことを。
短くはあったが、ナナエの側で共にあったことを。
ナナエの部屋の前まで来て、トゥーヤは首を傾げた。
いつもは気配がナナエのもの一つか、シャルと二つの筈が、もう一つ正体不明の気配がある。
そしてなにやら部屋の中の雰囲気がいつもと違って明るい感じがした。
訝しく思いながらもドアノブに手を掛け、静かに開ける。
そのまま居室を抜け、寝室へと向った。
寝台の前には見慣れぬ男の後姿。
そして、久しぶりに見た、ナナエの晴れやかな笑顔があった。
「ただ今戻りました」
そう声を掛けると、ナナエの顔が一瞬強張る。
それでもすぐに、昔のようなにこやかな笑顔を見せた。
「おかえり、トゥーヤ」
今日はだいぶ調子がいいようだ。
表情も明るく、顔色もいつもよりもずっといい。
それはきっと、目の前に居るこの素性も知れぬ男のせいであることは火を見るよりも明らかだった。
だが、そんな男が来ているという話は、下では一切聞かなかった。
そもそも、今この状態のナナエの元に普通の客を通すのを許す筈が無い。
「お客様、ですか?」
警戒を怠らないようにして、トゥーヤは疑問を口にした。




