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<31> 天使と大人

「ナナエ様?」


困ったような笑顔でシャルが少しだけ首をかしげた。

それでもナナエの気分は落ち着きそうもない。

肩を震わせながら微妙にしゃくりあげ、その瞳には涙が滲んでいる。


「ええっと……いいんですけどね?食べるか泣くかどっちかにしませんか?」


ナナエの手にはマカロン。

しゃくりあげながらも口はもぎゅもぎゅとマカロンを食んでいた。


「……だって、ムカつくし。悔しいし。悲しいんだもん」


涙を拭おうともせず、柳眉は上がったまま。

悲しくて泣いていると言うよりは、腹を立てて、感情が高ぶりすぎて泣いていると言う感じだ。

明らかに昼にトゥーゼリアと何かあったのだとわかる。


シャルが昼に昼食をもって来たときには不機嫌さ最高潮で、声を掛けるなり「いらない」と突っぱねられた。

夕食を持って再び来てみれば、幾分落ち着いた様でもあったが、相変わらず不機嫌そうな顔で食欲がないと突っぱねる。

それでも食い下がれば、飲み物やスープ類を少し口にしただけだった。

トゥーゼリアのことには関係なく、ナナエはここのところ食事が全くすすまない。

そんなナナエを心配して、シャルが取り寄せたマカロンを差し出してみれば、ナナエは微妙に口元が緩んだ。

そうして手にしたマカロンは、次々とナナエの腹の中に消えていく。

食事が入らないのにスイーツが入るとは異次元な胃である。


「結局のところ、ナナエ様はどうなさりたいんでしょう?」


とりあえず食べ物を口にしたナナエに安心して、シャルはため息を一つついた後、そう問いかけた。

するとナナエは瞬時に眉間に皺を深く刻ませ、手にしたマカロンをじっと見つめる。

その唇は少し突き出ていて、明らかに不愉快なことを思い出したというような顔になった。


「……側に居て欲しいに決まってるじゃない」


憮然とした表情で怒ったように言い捨てる。

その様は年に似合わず妙に可愛らしくて、シャルは思わず吹き出しそうになった。

が、ギロリとナナエに睨まれて咳払い一つで誤魔化す。

ナナエの手のマカロンがぐにゃりと形を変えているのはきっと気のせいだろう。


「トゥーゼリア様に、そういえば良いだけではないでしょうか?」

「……ムリ」

「どうしてですか?」

「負けたみたいで悔しいからに決まってるじゃない」


そんなこともわからないの?といった感じの表情で、言うことは実に子ども染みた答えだ。

それがまたおかしくて、シャルは再び笑いそうになるのをなんとか耐える。

が、鼻が少し鳴ってしまったのをナナエは聞き逃さない。


「今、笑ったでしょ?」

「……いいえ?」

「笑った」

「気のせいです」

「鼻で笑った!なんでそんなになっちゃったの!前は天使みたいだったのに!」


”天使ってなんですか”と突っ込みたいところを押さえて、シャルはにこやかに微笑んでみせる。

それをナナエはジト目でにらみ返した。


「負けたっていいじゃないですか」


シャルがそう言うとナナエはバツが悪そうに視線をそらした。

全く手の掛る大人だ、と思いながらもシャルは笑顔を絶やさぬようにして寝台の端に手を軽く置いた。


「負けたってなにも困らないでしょう?」

「う~……」


ナナエは唸るような声を出しながら俯いて、手元のマカロンを指先で弄ぶ。

マカロンのさっくりと軽い表面の生地にはひび割れがこれでもかと言うほどつき、破片はパラパラと寝台の上に落ちていた。


(ああ……掃除しなきゃ……)


心の中で盛大にため息を吐きながらも、シャルは顔には笑みを貼り付けたまま耐える。

うじうじぐだぐだとされ続けるよりは、これぐらいのことはなんでもない。

寝台の掃除とうじうじの相手なら、寝台の掃除のほうが圧倒的に楽なのは言うまでも無いのだ。


「そう、だよね。勢いに任せて思ってもないこと言っちゃったし。ごめんって言わなきゃいけないこと沢山あるし」

「じゃあ、トゥーゼリア様を呼んできましょうか」


助け舟を出すようにシャルが言うと、ナナエは顔を上げてシャルに真顔で向き直った。

そして手にしていた無惨な形のマカロンを口に押し込み、急いで嚥下する。


「いや。行く」

「え?」

「隣でしょ?さっきシャルが言ってたじゃない。思い立ったが吉日。今言って来る。ジャストナウな感じで」

「は?」


寝台から足を下ろそうとするナナエを、すんでのところでシャルは押しとどめた。

もう何日もずっと寝台の上に居た人間が、そんな簡単に起き上がってフラフラと出歩いて良いわけが無い。


「いや、ムリですよ?」

「病は気から!」

「いやいやいやいやいや!ムリですってば!」


慌ててナナエの肩を押しやれば、その勢いが強すぎたのかナナエはコテンと仰向けに寝台に横になった。

それをシャルは信じられないような目で見る。


「シャルって意外と力強いんだね」


キョトンとした表情をしてナナエが言う。

自分より小柄なシャルに、簡単に押しやられてしまったのに驚いているようだった。


「僕だって男なんですから」


そう言って笑ってはみたものの、シャル自身戸惑いを隠すのに必死だ。


ナナエの体力は確実に落ちている。


無理も無い。ここ何日も食事を殆ど取らず寝てばかりいたのだ。

ただ、それでも。

ナナエが人形のように抵抗も殆どなく、体が後ろに倒れたのはシャルにとっては衝撃的だった。

本人はきっと抵抗したつもりで居るだろう。

このままでは起き上がれなくなる日は近いかもしれない。

そう思うと、父やエナのしたことに腸が煮えくり返るような憤りを感じた。

気取られぬ様に種の除去法を探ってはいるものの、あまり芳しいとは言えない。

知っているのは恐らく父と母、そして次期当主の兄、カズルの3人のみだろう。

吐かせるならカズルしかいない。

そう、シャルが結論づくのは想定内であったのだろう。

カズルは常に母か父と共に居る。

お陰で手を出せずじまいだ。

それでも、ナナエを見る限り急がねばならないと改めて痛感する。


「やっぱり、私トゥーヤのところに行きたいんだけど」


寝転がった状態のままナナエは口を尖らせた。

このまま歩かせれば、ナナエは否が応にでも自分の体の状態を思い知るだろう。

まともに歩けるかどうかすら怪しい。

そうすれば自分の状態に疑問を抱くかもしれない。

ナナエの今のこの状態を作ったのがイェリア家だと言う事実に気がつくかもしれなかった。

それはシャルにとってはとても不本意なことだった。

ならば、ナナエを騙し続けるしかないのだ。

幸い、周りの者皆、ナナエに真実を告げる気はないようだ。

きっとその方が面倒でないからという単純な理由ではあろうが。


――嫌われたくない。


そういう理由はおかしいだろうか。

ファルカ家と共に暗殺などの闇の部分を担ってきたイェリア家の自分が、人から嫌われたくないと思うなど馬鹿馬鹿しいほど笑える話なのかもしれない。

それでも、シャルはナナエに嫌われたいとは思わなかった。

ライドンで、そしてヤボラで過ごした日々は、短くはあったがシャルにとって初めて楽しいと思える毎日だったのだから。


「途中で倒れられたりしたら困ります」


少し眉をひそめてそう言ってみると、ナナエも眉間に皺を寄せて更に口を尖らせた。

納得など出来るはずもないといった表情で、説得するのはとても骨が折れそうだ。


「今すぐ行きたいの」


不服そうにして体を起こそうとするナナエを見て、シャルはため息を吐く。

そして覚悟を決める。

普段のナナエなら少し無理をしなければならないが、今なら恐らく大丈夫だろう。


「ナナエ様、それでは僕がお連れ致しますね」


返事を待たずに体の下に腕を差し入れる。

上半身を軽く起こして、手近にあったショールを巻きつけるようにした後、もう片方の腕をナナエの脚の下に差し入れた。

抱き上げる時に多少ふら付きはしたが、想像よりはずっと軽く、シャルでも問題なく運べそうだ。


「えぇ~……流石にシャルに運んでもらうのは……罪悪感が……」


抱き上げたシャルに対して、ナナエは眉間に皺を刻ませながら微妙な表情だ。


「罪悪感ってなんのですか」

「昔から天使に運ばれるのは心の清い子って決まってまして。ネロとか」

「それはどなたでしょう?」

「パトラッシュの飼い主」

「……全然わかりません」

「パトラッシュ疲れたろ……僕も疲れたんだ……なんだかとても眠いんだ……、ってやつ」

「今にも倒れそうですね」

「死んじゃうんだけどね」


その言葉が思ったよりもずっと胸に引っかかって、シャルが顔をしかめると、ナナエはそれには気づかずにくすりと笑った。

だいぶ機嫌が上向きになったようだ。

シャルが部屋に入ってきた時と大違いである。


ナナエを抱いたまま扉のノブに手をかけ、足を使って軽く蹴り隙間を開ける。

そして背中を使ってナナエに当たらないよう扉を大きく開き、廊下へと出た。

周りを気を付けて、気配を探るがカズルやエナは近くにはいなさそうだ。

そのまま、左の部屋の前まで歩き、扉を軽く叩く。


返事は聞こえてこなかった。

再びノックしてみるが、やはり返事はない。


「ん~……ご不在のようですが」

「……部屋、入ってもいいかな?トゥーヤが帰ってくるまで待ちたいから」

「お帰りになられたらナナエ様のお部屋に来ていただけるよう、僕からお願いしますよ?」

「帰ってきたらすぐ言いたいの。私、まだトゥーヤとちゃんと話せてないもん」

「ナナエ様なら部屋に入られてお待ちになってても、トゥーゼリア様は怒らないと思いますが……いつご帰宅されるかもわからないんですよ?」

「それでもいいの。これは勝負なんだから」

「は?」


腕の中のナナエをシャルは訝しむ様に見た。

言っていることがまるで分らない。


「私の方から謝りに来るなんて思ってもいないトゥーヤに、こっちから出向いて大人の態度を見せてあげるのよ。試合に負けて、勝負に勝つ!そういうことよ!!」


不敵にニヤリと笑い、ナナエは人差し指を立てて揺らしながらチッチッチとポーズを決めてみせる。

その馬鹿馬鹿しさに思わず額に手を当てたくなったが、生憎シャルの両手は塞がれていた為、なんとも微妙な表情をナナエに見せることになった。


「シャル、なんか変な顔になってる」

「……申し訳ありません。気にしないで下さい。とりあえず入りましょう」


もう一度だけノックをして扉を開けた。

やはり部屋の中には目的の人物の姿はない。


「少し部屋が寒いですね。暖炉に火をくべましょうか」


ナナエを下ろして暖炉に近づき、覗き込むようにして、開閉蓋を開けるレバーをひねる。

それを全開にした後、暖炉脇に備えてある小枝を暖炉の中の薪のすぐ側にいくつか積んだ。

そうして今度は少量の藁を一束にしたものに魔法で小さく火をつける。

瞬時に立ち上がる煙を全開にされた開閉蓋の下で少したゆらせ、煙の流れを確認した後で摘んだ小枝に差し入れるようにしておいた。

火が小枝に燃え移り、そこから薪に火が伝う。

その炎の揺らめきを眺めていると、何とも言えない温かい気持ちになった。


「すぐに部屋は暖まると思いますが、何か温かい飲み物でもお持ちしましょうか?」


声は掛けてみるものの、ナナエは既にうとうととし始めている。

この部屋に連れて本当に正解だったのか分からない。

しかし、ナナエの悲しそうな顔を見ているぐらいなら、多少のルール違反は犯しても許して欲しいと思う。


ふと、廊下に人の気配があった。


その気配は躊躇いもせずにこの部屋を通り過ぎ、隣の部屋、ナナエの部屋に入っていく。

シャルは誰が見ても不機嫌とわかるような面持ちで扉を睨んだ。


「ナナエ様、僕は少し退室しますが、トゥーゼリア様がお戻りになるまで少し休まれたらどうでしょう?」


シャルがそう提案すると、ナナエは小さく頷いてその体を横たえた。

それを確認して、シャルは一度軽く頭を下げ、サッと部屋から出る。

そしてそのまま向かいの、ナナエの部屋の扉を開けた。






「なにしてんの?」


ナナエの居室から続く寝室を覗きこむ様にしていたソレに、険を含んだ鋭い声で問えば、ソレはビクリと体を震わせた。

ナナエをトゥーゼリアの部屋に移動したのはある意味正解だったかも知れない。


「お、お見舞いに来てはいけない、とは誰も言ってないだろう?」


慌てて言い繕う様は非常に滑稽だ。

扉とカズルの間に入るようにしてシャルは立ち、腕を組む。

そうすることでカズルの退路を絶った。


「母様から部屋にも近づくなと言われたはずだけど?」

「っは!父上から許可は貰っているさ。あの鼻持ちならない次期当主様を煽ってやれってね」


小馬鹿にするように鼻で笑い、カズルは胸を張る。

我が兄ながら、本当に浅はかな男だ。

自分からノコノコと一人になってくれるとは。


「なるほど」


シャルがニヤリと笑うとカズルは僅かに鼻白んだ様だった。

袖口から取り出したナイフを両手で弄ぶところを明らさまに見せ付ける。

すると、カズルの顔色は目に見えて悪くなっていった。

10以上も年の違う弟に恐怖を感じる様はなかなか見ごたえがある。


「兄さんさぁ。アレの取り方知ってるよね?教えてくれないかなぁ」


視線は手遊びを続けているナイフに注ぎ、笑いながら話す。

ナイフに映ったカズルの顔が微妙にゆがんでいるのが面白い。


「次期当主でもないお前に、話すような事じゃない」


ビクビクとしながらも、その言葉はシャルを拒絶する。

それは予想通りの返答だ。

そんな簡単に口を割るとは最初から思っていない。


「あぁ、兄さん。忘れている見たいだから教えてあげるけど」

「……なんだ?」

「兄さんが死んだら、僕が次期当主、だよ?」


その言葉と共に、カズルに向ってナイフを放つ。

そのナイフはぎりぎりカズルの髪の毛を掠めて壁に突き刺さった。

それを避けることも出来ずに、カズルは息を呑む。


「兄さん、死んでくれないかなぁ?なんて思ってたりするんだけど。兄さんは死にたくないよねぇ?」

「…………」


再び取り出した2本目のナイフを、またカズルに向って放つ。

今度は頬と耳を少しだけ掠める。

赤い糸のような跡がつき、すぐに盛り上がった血が球のようになった。


「家族に手を出すのは一族の掟に反するぞ」


震える声でカズルは告げた。

直系重視、年功序列。全くもって馬鹿げた掟だ。


「やだなぁ、兄さん。これはさ、兄弟喧嘩、なんだよ?……うっかり殺しちゃうかもしれないけどね」


3本目のナイフを放つ。

カズルの心臓に向けて。

……どうせ当たらない。


「坊ちゃん、悪ふざけが過ぎます」


ナイフを叩き落した影が、カズルとシャルの間に立った。

コルレだ。

左手には吸い飲みを乗せたトレーをもっている。

コルレが薬湯を持って来ると分かっていたから、だからこそカズルはここへ来たのだろう。

シャルに捕まっても逃げ出せるように。

2本目のナイフを投げた時点で、コルレの足音に気づいていた。

だからこそ心臓に向けてナイフを投げたのだ。

いつもよりもずっと早いコルレの訪れは、恐らく父か母の差し金だろう。

それはシャルを牽制する為でもあるだろうし、カズルが余計なことをしないための予防線でもあるはずだ。

面白くはないが、除去法を手に入れるまでは引き下がるしかない。


「薬湯なら僕が預かる。お前はもう下がれ。そこの次期当主様を連れて行くといい」


奪うようにしてコルレからトレーを受け取る。

コルレはそれでもたいした感情も見せずにシャルに頭を軽く下げると、”カズル様、出ましょう。お客様もお見えになっているようです”とカズルに声を掛けた。


「姫はどこにやった」


情けない声で、それでも次期当主としての威厳を保ちたいのか偉そうにシャルの前にカズルは立って言った。

シャルは大仰にため息をついてみせ、袖口から4本目のナイフをチラリとこれ見よがしに覗かせてやる。

カズルの顔色は青い。


「そんなんだから、その年で恋人すら出来ないんだよ。デリカシーがなさすぎ。お手洗いだよ」


鼻で笑いながら言ってやると、カズルは青かった顔色を急激に赤く変え、シャルを睨む。

そうして、わざと大きな足音を立てて部屋を出て行った。


今日、客が来るなど初耳だ。


ナナエが居る今のこの屋敷に誰かを訪れさせるなど疑問だ。

だが、これはチャンスでもある。

カズルがその客の元へ呼ばれている。

おそらく父も母も同席しているだろう。


ならば。


父の部屋、母の部屋、カズルの部屋。

その3室を調べさせてもらおうではないか。


シャルはコルレから取り上げたまだ温かい薬湯をテーブルの上に置き、そのまま足音もさせずにドアの外へと消えた。




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