<30> 幕間 ディレックの回想
あの日出会った娘は、貴族らしからぬ快活さを持った不思議な娘だった。
エーゼル国王の遠戚と呼ぶには、余りにも似ているところが無さ過ぎる。
髪の色も瞳の色も、肌の色さえアマークの一般的な民となんら変わりが無い。
そして何よりも。
あの無知なドゥークの新王ジュールに殺された、母、アマークの女王によく似通った顔立ちをしていた。
疑い出せばきりが無い。
最初はそう思った。
髪の色や瞳の色、肌の色。似通った顔立ち。
そんな物は単なる容器でしかないのだ。
そもそも、妹がここに居るはずが無いのだ、と何度も己に言い聞かせた。
それでもその疑いを拭い去ることなど出来ずに、結局アマークから一緒に連れ立ってきた唯一の臣下、メリクに娘の身上調査を命じた。
メリクをもってしても、ナナエの足取りを追うのはかなり困難だった様だ。
まず、この王城に来る前にヤボラの邸宅に居たことはすぐに分かったが、その前を探るのに一度頓挫しそうになった。
やっとのことでオラグーンの港町、ライドンでの居住記録を見つけた後、再びその前を探るのに頓挫しかけた。
居住の邸宅から調べようとしても、登録された主の名は存在しない名前で、明らかに偽名である。
ナナエ・キリヤという名前から探そうにも、そもそもオラグーンの戸籍管理所は王城が落とされた時の混乱の中、焼き討ちにあっていた。
辛うじて、一緒に居住していたという男”リフィン・ルフド・サルヴァス”の方から、オラグーン王家との繋がりをやっと摑んだのだ。
その上での情報は酷くあいまいな物ばかりだった。
オラグーン第一王子の側室であるとか、正妃候補の婚約者だとか、妾だとか。
ともかく、バドゥーシから明らさまに命を狙われているのは確かで、それが真実にしろ、嘘にしろ、オラグーンの王城で過ごしていたのは確実と言うことだった。
しかし、その期間も酷く短かったようだ。
そして、その王城以前の足取りについては全くと言っていいほど追えなかった。
そのナナエの足取りが追えない時期。
そこを前後して、アマークは落とされている。
ますます疑惑が深まったとしか言いようが無かった。
それからすぐにあったのが、あの収穫祭での晩餐会だ。
運良くナナエと同席になると知り、思い切ってあの指輪を使ってみることにした。
あの曰くつきの指輪を。
それを手にして晩餐会に望めば、案の定ナナエはその指輪の興味を注いだようだった。
そこでさり気なく話を持っていき、ナナエに指輪を手渡す。
ナナエはひとしきり光に当ててその輝きを楽しむと、何の気は無しに手のひらの上に指輪を乗せた。
その時である。
指輪に散りばめられた数々の宝石はだんだんと赤みを帯び、ピンクになり、そしてルビーのような赤になった。
間違いようが無い。
指輪はナナエを見出し、告げたのだ。
それはナナエにとっては不幸の始まりだったかもしれない。
宝石の色、ピンクはアマーク直系の女性の証。そして赤が示すのは依り代の証。
依り代の不在は滅びの予兆。
依り代の現出は繁栄の予兆。
父も母も。アマークが、大地が滅びるなら滅びるで構わないと思っていたのだ。
母の願いもこの忌まわしき悪習を断つことだった。
だが、アマーク王家の誰もが臆病だったのだ。
自分たちの手で終わらせた時に起こるなんらかの出来事に責任を取るのが恐かった。
ジュールの手に掛った時、母は、笑っていたように思う。
ディレックに向って微笑んでいた。
母は常々言っていたのだ。
この忌まわしき鎖から抜け出すのには死ぬしかないが、死ぬのを許されていないと。
そんな母を父はいつも悲しそうな瞳をしながら支えていた。
だが、母の瞳は父を見ていなかったように思う。
父の悲しげな瞳は母を見ていたが、母の悲しげな瞳はいつもディレックを見ていた。
その命が尽きる最期の時まで。
いや、ディレックを通した”誰か”を見ていたのだ。
その”誰か”をディレックは良くは知らない。
知っているのは名前だけだ。
アマーク第一の王、ハーヴィン。
ディレックが生まれる前に亡くなった、ディレックの実の父親だ。
母はディレックを見なかった。
いつもディレックを見ながら見ていなかったのだ。
ナナエの記憶はディレックにはあまり無い。
生まれたのはディレックが4つの時だったのだからさほど覚えていなくても仕方はないだろう。
ただ壊れそうなほど小さい赤ん坊だった。
ディレックは初めての妹に喜んだ記憶がある。
しかし、母と父は違ったのだ。
明らかに落胆したような、戸惑うような、泣きそうな顔をしていた。
その理由が分からなくて、乳母に詰め寄ったものだ。
乳母は「きっと女の子が生まれてしまったからでしょう」と言った。
男だから良くて、女だからダメ、そんなのはおかしい。
僕は妹が出来て嬉しいのに酷い。
そう言って泣いて父を困らせた。
だが今ならわかる。
あれはそんな理由ではなかったのだ。
それからしばらくしてすぐに、ナナエはいなくなった。
残ったのは王女、フィリアナ・ルノーラ・サウル・アマークが生まれたと言う記録だけだ。
妹の行方は杳として知れなかった。
父は何度も八方手を尽くして妹を探し続けたのだ。
しかし、母は一切妹の名を口にすることは無く、探そうともしなかった。
結局、何年も探した挙句につかんだ情報は。
母が賢者に妹を託したと言う噂と、その賢者の死だった。
幼いナナエを非情に捨てた、とナナエ自身は思っているかもしれない。
だが違う。
母はナナエを逃がしたのだ。
その託した相手が賢者、と言うことは暗に異界渡りの可能性を示唆していた。
賢者の死はそれを漏らさせない為の、母の凶行だ。
自分のような辛い思いをさせないために。
誰を傷つけても娘の平穏を祈ったのだろう。
異なる世界で、自分はつかめなかった平穏と幸せを願って。
そこまでたどり着いた父は黙した。
それ以来、妹を探そうとするのをやめたのだ。
ただ、日がな一日中、祈るようなことが増えた。
居なくなった妹の為に。
アマークの国土は非常に小さい。
目玉になるような特産品も無く、軍備も殆ど備わっていない。
そんな国、通常であれば赤子の手をひねるより容易く落とせるだろう。
しかし、そんな弱小国に手を出せない理由がある。
それが依り代の存在だ。
手を出さない、その代わりに依り代を外に出さない。
それが不文律になっていたのだ。
混沌の女神ディダス。
妬みの神とも呼ばれる女神の依り代が生まれる血筋。
ディダスが望むのは心。
大地の豊穣と引き換えにその心を捧げる贄がアマークの血筋だ。
母はその心をディダスに差し出した。
そうしてこの大地に豊穣が約束されたのだ。
しかし長い月日を経て、再び綻びが見え始めた。
再びその心を差し出す必要に迫られた時に、母の元にその印は現れなかった。
そのまま母は殺された。
そうして、父も。
父は盾になりながらもディレックを逃がし、最期に言ったのだ。
「フィリアナを探し、逃がしなさい」と。
そして、ナナエが現れた。
ナナエは贄の為に呼び戻されたのだとしか考えようが無い。
父は恐らくこうなることを予想していたのだろう。
だからあの言葉を遺したのだ。
母が最期に見ていたのはディレックの実の父。
父が最期に心配したのはたった一人の実の娘。
ならば、ディレックは……?
ディレックの血縁はもうナナエだけだ。
ナナエが生まれて以来、アマークの血を繋ぐことに母は消極的になった。
ディレックにはナナエ以外に兄妹がいないのもそれが理由だ。
結局妻も持たず、ディレックも母に倣う様にして血を繋がなかった。
ナナエがいなければ、ディレックはもう一人なのだ。
そのナナエを再び異世界へ送るなど……再び一人に戻るなど許容できるわけがない。
そしてディレックは考える。
ナナエとディレック。
本当に捨てられたのはどっちだったのだろうと。




