<29> エーゼルとアマーク
面白いことをしてくれる。
随分と舐められたものだ。
ルーデンスは椅子に身を預けたまま執務机を強く足で蹴る。
柄にも無く荒れている、と周りに居た文官達は青い顔で遠巻きに王を見ていた。
顔色は悪く、疲れが色濃く表れている。
次々と届く報も芳しいものではないことがありありとわかる程の不機嫌さを、少しも隠そうともしない。
第一報が届いたと同時に、ルーデンスは急ぎ500名の兵と共に城を出た。
そして見たものは、兵士達の無残な姿と乗り捨てられた馬車だった。
ルーデンスの指揮の元、森を捜索し、なんとかゲインとナテル、ウィリナ、キーツの4人とは合流する。
しかし、ウィリナとゲインは意識不明の重体、ナテルも深手を負っており、身動きできずに居た。
唯一軽傷であったのはキーツのみだ。
森の中に点在としている多くの死体を考えれば、怪我を負っていたとしても4人が生きているのが不思議なくらいだった。
やっとのことで保護した4人をこの王城へ連れて帰らせたのはつい3日前のことである。
兵は半分残し、引き続きナナエの捜索に当てた。
ナナエがキーツに残したと言う言葉、それを考えればナナエの身が危ういものであると容易に想像がつく。
ただ、その場で殺すのでなく連れ去ったと言うことは、時間に少しは余裕があると言うことか。
キーツも戻り1日休んだ後、すぐにナナエの捜索に出向いた。
これ以上は手の打ちようがない。
各町に配置した諜報員から何も情報が上がってこないところを見ると、連れ去った者達は町には一切立ち寄らずに移動したと考えられる。
そうなれば後は地道に手がかりを探していくしかないのだ。
そして、たった今届いた報。
――ソミナ公爵令嬢ウィリナの死亡。
この王城で保護していた。
だが、刺殺されたのだ。
この城の内部まで易々と間者を入り込ませていると言うわけか。
自分の保身のためには娘をも切り捨てる。
見事と言わざるを得ない。
「ニケ」
文官の中でも特に優秀な男の名を、ルーデンスは呼ぶ。
しかし、ニケは机に向かい書類に目を落としたままピクリともしない。
「ニケ」
「遠慮させていただきます」
再び名を呼ぶと、ニケは間髪入れずにそう言い放った。
相変わらず書類から顔を上げもしない。
「愛想がないですね」
「それは陛下だけには言われたくないですが」
「ソミナ公爵を、いやソミナ公爵に関わるもの全て捕縛しなさい」
「お断りします」
「命令です」
ルーデンスがそう言うと、ニケは片眉をピクリと上げて見せた。
この国でこうやって真っ向からルーデンスに逆らってくるのはニケぐらいなものだ。
ニケはここ1カ月の間に新しく王城に上がった平民出の文官だ。
国内の貴族の勢力を削ぐために、今ルーデンスは各所に平民出の優秀な者を採用するようにしている。
ナテルがいずれ王位を継いだ時の下地を今からでも作っていかなくてはならないからだ。
そういう目論見でまず知略に秀でたものを募った。
ニケはその文官への仕官試験で2位に圧倒的な差をつけて主席合格した。
その結果をその目で見、ここまで優秀なものがまともな職にも就かず、実家の酒場の皿洗いをしていたなどとはにわかに信じられなかった。
が、ふたを開けてみれば、人格にかなりの問題があったのは否めない。
「権威主義の筆頭の捕縛に平民出身の私を向かわせるとかどんなイジメですか」
「適当な理由をつけて襲撃に加担したもの全てをとらえて処分なさい」
「陛下は私の話を聞いているんですかね?」
「王家に仇名すものは看過できません。証拠など捏造するぐらいのつもりでやりなさい」
「今回の一件は、陛下の甘さが招いた結果ですよ」
ニケの話を無視して一歩的に命令するルーデンスに、彼はぴしゃりと言い放った。
そうしてルーデンスが今最も抉られたくない部分を平然と、真っ向から抉ってきたのだ。
しかも、当然といった顔で書類からは目を離さない。
「女の戯言などに耳を貸して、処罰すべきチャンスをみすみす見送ったからこうなったんです。綺麗ごとばかりでは生きていける場所ではないと陛下が一番ご存知でしょうに」
ポンポンと耳に痛い言葉を投げつけるニケに、ルーデンスは眉間に深くしわを刻ませ、唇を引き結ぶ。
その周りでは平民出の文官も貴族の文官も、やり取りを遠巻きに見ながらビクビクしていた。
ここ1カ月でニケとルーデンスがぶつかるのはもう何回になっただろうか。
いや、無性にニケを切り殺したくなるのはもう何十回目になるか。
普段ならタイミングを見計らってナテルが仲裁に入るのだが、そのナテルは今は寝台の上だ。
「冷徹で名を馳せていた陛下は一体どこにお亡くなりになったんでしょうね。陛下を誘拐したという女も無罪放免らしいではないですか」
「誘拐などされていません」
「その時に派手に壊していただいた広間や廊下の修繕費、貴族・兵士たちへの医療費・見舞金。今でも国庫を圧迫しているそうですね」
「あれは事故です」
「本来ならば数年掛けて行う予定だった国内各地への菓子店の出店。それを無理やり数週間で行わせて。あれもどれだけの費用が掛ったかお分かりですか」
「元々やるものだったのですから必要経費です」
「……あの女は本当に陛下にとっても、この国にとっても疫病神です」
ルーデンスは怒りに任せて再び執務机を強く蹴った。
するとニケは初めて顔を上げ、チロリとルーデンスを見やる。
その顔には怯えも後悔の色も浮かんでいない。
「厄介ごとしか運んでこない。陛下もそうお考えになりませんか?」
「黙りなさい」
「あの女の為でなければ王弟殿下や騎士団長様を迎えにやるなどなさらなかったでしょう?ここまで危険な目にも遭わなかったはずです」
「あれはナナエのせいではありません」
「……そうです。陛下の対応の悪さが原因です」
ルーデンスを睨むようにしてニケは言い放った。
その言葉にルーデンスはギリリと歯噛みをする。
ニケの言うことは分かっていた。
全ての根源はルーデンスの選択ミスから始まっている。
”たら”とか”れば”を重ねれば際限が無いことは分かっている。
だが、あの時。
村から帰るあの時に、無理にでも一緒に連れ帰っていれば。
今のこの状況は無かったものなのだ。
政務とナナエ、どちらも尊重しようとしすぎた結果、どっち着かずが招いた結果だ。
政務を放り出して駆けつけ、やっとナナエをこの腕にし。
政務が気になってナナエを置いて急いで戻った。
どちらも中途半端にした結果だ。
その部分をニケは的確に突いてきたのだ。
「黙りなさい」
「ええ、黙りますとも。陛下が私に無理難題を押し付けなければ、ね」
「ソミナ公爵は処罰する必要があります」
「わかっています」
「ならば、その方法を考えなさい。それが貴方の仕事です」
そうルーデンスが言うとニケはため息を大仰につき、小さく肩をすくめて見せた。
その態度にルーデンスは苛つき、手元の短剣をニケの机に向かって思い切り放つ。
そして、その短剣は派手な音を立てて深々とニケの机に突き立った。
それをチラリと横目で見て、ニケは再びため息をついた。
「別に、ソミナ公爵やその一派を処罰する為に尽力を尽くすのはやぶさかでないですよ。ですが、条件があります」
「褒美ならいくらでも。……貴族の位でも欲しいですか」
「そんなもの、いりません」
これ異常ないくらいの不機嫌さで答えたルーデンスにニケはにべなくそう答えた。
その目は据わっていて、なにか覚悟を決めたような真剣さがある。
「あの、ナナエという女と関わりを持つのを止めてください」
「無理です」
「無理なことはありません。このままでは陛下の為になりません。いずれ陛下に何かが起こるかもしれませんよ?」
「……その時の為にナテルが居るのです」
「なっ……何馬鹿な事を言ってるんですか!!」
珍しくニケが激昂したように机を叩き立ち上がった。
その様子をルーデンスはまるで他人事のような目で冷静に見つめる。
それをニケは激しい目で睨んでいた。
――コン、コン。
やや遠慮がちに執務室の扉が叩かれ、それまで固まったように表情をこわばらせながら見守っていた他の文官が急いで扉に駆け寄った。
それは、そのノックの主の訪れがこの緊迫した雰囲気を壊すことに期待しているかのようだ。
「陛下、ディレック様です」
その声を聞くやいなや、ニケや室内に居た文官がさっと書類を片付け始める。
仮にも国家の中枢を担う国政の書類をどんなものであっても易々と他国に見せるわけにはいかないのだ。
ルーデンスも執務机に広げられていた報告書などをまとめて机の引き出しに押し込む。
「失礼します」
やや間を置いてから、文官の招きによって優雅に入ってきたのは、アマークの王子、ディレックだった。
普段は自室に篭っていることが多く、ルーデンスの前にはよほどのことが無ければ現れない。
しかも、政務を行う執務室にまで押しかけてくるなど前例は無かった。
「何か、問題でもおありですか?」
気分は最悪ではあったが、ルーデンスは顔に薄い笑いを貼り付けてディレックを迎えた。
ディレックの方はと言うと、いつもと変わらず穏やかな笑みを浮かべたままのんびりと執務机の前に置かれた椅子に、文官に勧められるまま腰をかける。
「いえ、ね。今ナテル殿下のお見舞いに窺わせていただいたのですよ」
そう言って、気を利かせた文官から差し出されたカップを受け取り、香りを楽しんだ後にカップを口に運んだ。
「意外と元気でしょう」
「そう……ですね。だいぶ安定なされたようです」
「それで?」
先を促すようにルーデンスが言うと、ディレックはくすりと笑った。
「先程の、そこの文官とのお話。随分と揉めておいでのようで。外まで聞こえてきました」
「……そう、ですか」
「私が陛下にお願いしたいことは一つだけ。……おわかりですね?」
「わかっています」
「やはり、わかっておいでだったんですね。ナナエのこと、よろしくお願いいたします」
「……どういうことですか」
ルーデンスとディレックの会話に突然割って入ったのはニケだ。
本来、上位の貴族同士の会話に平民が割って入るなどもっての他だといっても過言ではない。
ましてや王族同士の会話に平民が口をはさむなどあってはならないことだ。
それはニケも分かっていたはずだ。
それでも、ほんの数分前までナナエと関わりを絶てと揉めていた事を知っている上でのディレックの発言に納得がいかないようだった。
その瞳には剣呑とした光を湛え、その答えを一言も聞き漏らすまいとしているようだ。
「ディレック殿、我が臣下が失礼を致しました」
「いいえ。主君思いではありませんか。……ただ、彼は誤解しているようですね」
ルーデンスが謝罪の意を述べると、ディレックはニッコリと笑ってニケに向き直った。
「あなたは勘違いをしています。ナナエを守らなければいけないのは陛下の意思ではありません。……義務です」
「……仰ってることが、私には分かりかねます」
「貴方の義務でもあるのですよ」
「どういうことでしょうか」
「果たして貴方には、我が妹ナナエとアイビーの指輪の意味、お分かりになりますかね?」
ディレックはその時、確かに”我が妹”と言った。
薄々予想はついていたが、こう改めて聞くと意外と衝撃が大きい。
それでも、これで踏ん切りがついたと言えば踏ん切りがついた。
その言葉に反応した文官たちはにわかにナナエがアマークの王女という身分であったことを知り表情を明るくする。
王が望む娘の出自が不明、と言う点では皆何かしら腹の底に抱えていたのであろう。
だが、ニケだけは違った。
その言葉を聞くなり瞳からは剣呑とした光が消え、明らかに困惑に満ちた面持ちに変わった。
「ルーデンス陛下は、ご存知だったのですか?」
「本人すらもまだ知らないでしょう。ですが、恐らくそうであろうとは思っていました。実際に確認したのは今が初めてですが」
「流石は陛下の臣下ですね。これでわかるとは博学だ。古文書を読み漁りでもしない限りわからないことですよ?」
楽しそうに微笑むディレックとは正反対に、ニケはどんどん顔色をなくしていった。
ディレックの言うとおりである。
このことを知っているのはアマーク王家と各国の王一人のみだ。
あとは古文書でも読まない限り、その事実を知るものなど居ない。
弱小国であるアマークが何故今の今までどこからも侵略されたことがなかったのか。
その理由がそこにある。
そして王を殺した上で戴冠した現在のドゥークの王は、その理由を知らないからこそ、アマークに手を出したのだ。
「そういうこと、なんですね」
「そうです」
「ナテル殿下は」
「知りません」
それを聞けばもう十分だと言うように、ニケは「申し訳ありませんでした。頭を冷やしてきます」と言って、身を翻して執務室を出て行った。
それをルーデンスは止めるつもりも無い。
ニケは頭がキレる。
冷静な判断で正しい道を選び取るだろう。
そして必ずルーデンスの望むような、ナテルのいい右腕となってくれるはずだ。
ルーデンスの願いはきっとニケに伝わった。
「さて、本題です」
ニケが部屋を出て行くのを見送った後、ディレックは再びお茶を一口含むと切り出した。
「ナナエのことは陛下にお任せします。必要があれば、各国の王や……オラグーンの王子にでも通達致しましょう。……いや、王亡き今、王子ではなく、王ですね」
「必要ありません」
「兎も角、わたしはそろそろ発とうと思います」
「それは?」
「国を返していただかなくてはなりませんからね。冠を戴くためにも」
「兵をいかほど出せばいいのです」
「1万。……と言いたいところですが、この国にはお世話になりましたし、ナナエのこともあります。3000でいいでしょう。ディンにもガルニアにも既に要請は致しました。近いうちに出征となるでしょう」
優雅に足を組み換え、再びカップを口に運ぶ。
穏やかな微笑みはそのままだ。
アマークの王子が落ち延びた時、保護を申し出た国は他にあった。
エーゼルも傍観を決め込むか、王子を保護するかの2択になった時に、ルーデンスは気まぐれに保護を選んだのだ。
そうしてディレックは数々の国の中からエーゼルを選んだ。
それから程なくして、ルーデンスはナナエと会う。
ナナエに惹かれ、その意思も問わずに王城まで連れ帰った。
そこでディレックはナナエと出会い、アイビーの指輪はナナエに託される。
そう、全て女神の敷いた道をなぞる様にして、ここまで来てしまったのだ。
本気でディレックが発ったのならば、アマークの再興は間近だろう。
ルーデンスの予想よりもずっと早く、決断の時期が来ているのかもしれない。
ニケやナテルには負担をかけてしまうが、もう立ち止まっている暇はないようだった。
まずは、ナナエ。
彼女を何としてでも助け出さなければならない。
まずはそこからだ。




