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<27> 身体と心

シャルも来たと言う事もあって、なんとなく精神的には安定した気がした。

しかし、熱は一向に下がる気配は無く、ナナエは寝台の上での生活を余儀なくされている。

やはり体調を崩した後も無理をして野宿を続けたのが悪かったらしい。

シャルが甲斐甲斐しく世話を焼いてくれはするものの、食欲も余り湧かず、うとうとと寝ている時間が長くなっていた。


あれ以来、何故かエナの姿を見ない。

コルレが度々部屋に来てはあの非常に不味い薬湯を持ってくるぐらいだ。

1日の大半……いや、ナナエが目を覚ましている間のごくごく短い時間の大半はシャルと一緒に過ごしていると言っても過言では無い。


目を覚ましている間はシャルと他愛ない話をする事が多い。

エナのこともいくつか聞いた。

シャルが知っている事はあまり無く、トゥーヤの婚約者というのもシャルは知らないらしい。

ただ、シャルの姉である事は間違いなく、イェリア家としては娘のうち誰かがファルカ家に嫁ぐのはもう慣習のようになっている。

だからこそ、シャルが知らないだけということもありえるという話だ。

特にシャルは嫡男でもなく、イェリア家では末っ子に当たるためにそう言った情報が入りにくい立場に居る。

それを不服と思っては居ても、イェリア家は世襲制な為、シャルが軽んじられる事がなくなることは無いという。

だが、だからこそ、シャルはナナエの護衛に抜擢されたとも言えた。

イェリア家ではシャルに重きを置いていないからだ。







シャルと再会して4日目だったと思う。

常にうとうととしているので時間の感覚が狂っているかもしれない。

正確な日時は分からなかった。

熱は一向に下がらない。

頭はぼんやりとしていることが多く、起きてもすぐにうつらうつらとしている。

そんな中、ふと気づくと居た。

そう、本当に気づくと居た、という感じだった。


「お目覚めですか」


低く静かな声で尋ねられた。

その声にぎょっとしてナナエは顔を向ける。

そこには何の表情も浮かべていない、予想通りのあの顔があった。

寝台脇の椅子に腰を掛け、じっと、微動だにしないでナナエを見ている。


会いたくはあったが、正直その無表情が怖い。


「……うん」


毛布を引き上げ、顔を隠すようにしてビクビクしながら答える。

それを見ても眉を少しすらも動かさない。


「シャルを再雇用されたようですが」

「……はい、そーなりますね」


何故、そこで黙る……。


非常に気まずい思いをしながら、トゥーヤから視線を外す。

部屋の中には日の光が差し込んでいて、その明るさから今は昼であることが分かる。

ぐるっと見渡してみても、トゥーヤとナナエ以外には誰も居ない。

なにかこの微妙な間を持たせる物がナナエは欲しかった。


本当ならまず最初にトゥーヤに謝るべきなんだろうが、なかなか言い出しづらい。

しかもトゥーヤには薬まで盛るという暴挙を犯している。

怒られて当然の事をしたのがわかっているのに、怒られるのがイヤで余計に言えないのだ。

大人として少し恥ずかしい。


「髪、お切りになったんですね」


ボソリと再びトゥーヤが口を開いた。

何故かトゥーヤ自身も、なんとなくあの日のことには触れないようにしている感じがする。

それはナナエを思いやっての事なのか、それとも話したくないだけなのかはナナエには判断が付かなかった。


「……うん。おかしい?」

「いえ、よくお似合いです」


無表情で言うと、相手にはお世辞にしか聞こえないのを分かっているのか甚だ疑問である。

そこでまた会話が止まる。


お互いに微妙に視線を逸らしつつ、途切れ途切れに会話が生まれ、すぐに止まる。

その不毛さにナナエがため息をつきそうになった頃、トゥーヤがやっと切り出した。


「あの日の事ですが」


その言葉にナナエはぎゅっと唇を引き結んだ。

これから続くのは耳に痛い言葉に決まっていた。

それを甘んじて受けなければいけないほど、ナナエのした事は浅はかだった。


「申し訳ありませんでした」


耳を疑うような言葉に、ナナエは思わずトゥーヤの顔をまじまじと見つめた。

相変わらずトゥーヤは無表情なままだ。

その表情からは何も読み取ることができない。


「……トゥーヤは悪く無いじゃん」


思わず、ナナエはそう言っていた。

重い体を無理に起こすと、トゥーヤは初めて驚いたように慌ててそれを押しとどめようとする。

それでも、ナナエは体を起こすと身を乗り出すようにしてトゥーヤに向き直った。


「なんで怒らないの?私が悪いんじゃない。なんで謝るの?」

「様様な状況を想定して警備の配置をするのも私の責任です。私のミスであのようなことになりました」

「その事は関係ないでしょ?」

「……本当にそうでしょうか?あの事が無ければこの結果にはなっていない筈です」


あくまでも能面のような無表情さを変えもせずに淡々とトゥーヤは話す。

トゥーヤは誤解しているのだ。

あんなことが無くても、いずれ考えなければならないことだったのだ。

ナナエだけがいつまでも安全な場所で、何も考えず、安易にぬくぬくと守られていていいはずが無いのだ。


「違う。なんでそうやって、自分のせいにするの?」


トゥーヤは優しい。

その優しさは時にナナエの気持ちを無視していることに気づいているだろうか。

ナナエは歯がゆく思って下唇を噛んだ。

トゥーヤが言っている事は、”自分さえミスをしなければ、ナナエが何も考えずに居られた”と言っているのに等しい。

ナナエが何も感じないで居られるように囲っておけなかったのが”ミス”だと言っているのだ。


「私の気持ち、無視しないでよ」


そんなことが言いたいんじゃないと思いながらも、ついキツイ口調でそう言ってしまう。

何で言いたいことが伝わらないんだろうと思うと、悲しくて何かが胸につかえるのをナナエは感じていた。


「私が何も考えずにいれば良いと思ってるの?」


睨むようにして言うと、トゥーヤは少しだけ戸惑ったような顔をした後、視線を逸らし小さく頷く。

その返事に思いのほか大きく衝撃を受けてナナエは声を詰まらせた。


「ナナエ様の意思より、身の安全のほうが重要です」


きっぱりとナナエを見据えて改めて言うトゥーヤに腹を立て、ナナエは思わず枕をトゥーヤに向かって投げていた。

それをトゥーヤは避けようともせず、そのまま微動だにしないで当たるままになっている。

言いたい事はいっぱいあったが、胸が詰まってそれ以上ナナエは声を出すことができなかった。

爪を噛むような感じで唇にこぶしを押し当てながらも、その感情を上手く表現する言葉が見つからず、ただただその身を震わせている。


「……もう、お体に触ります。お休みなってください」


ルーデンスは認めてくれたのに、と思うと余計に辛くなって、ナナエは下唇を噛み締めながら涙をこぼす。

トゥーヤが認めてくれないことが何よりも悔しく、そして悲しい。

全部肯定されるとはもちろん思っては居なかった。

しかし、こうまで否定されるともまた、思っていなかったのだ。

ナナエの体を横たえようと添えられたトゥーヤの手を強く払う。

悔しくて、悲しくてもうどうして良いかわからなかった。


「私の身の安全だけ大事なら、もう顔見せないで。私の気持ちをいらない物だって言うなら近づかないで」


酷く子供じみているとは自分でも分かっていた。

それでも一度口をついて出た言葉は止める事が難しく、それを口から出してしまうと今度は胸が苦しかった。


ふと、エーゼルの城での事を思い出す。

あの時、トゥーヤはナナエを意図的に酔い潰そうとした。

リッセを守りたいというナナエの意思は聞こうともしなかったのだ。

あの「ナナエ様以外、必要ありませんので」という言葉には、ナナエの身の安全しか必要ないという意味だったと初めて気づく。

ナナエの身の安全はナナエの心よりも、大事だといっていたのだ。

あの時から。


「安全を守るだけなら側に居なくてもできるでしょ。このまま側にいるって言うなら死んでやるんだから!」


思っても居ないのに、そんな馬鹿馬鹿しい言葉が口をついて出る。

そんな事、思っても居ないのに。

ずっと、会いたかったのだ。

側に居て欲しいに決まってる。

それでも、口から出るのは反対の言葉だった。

熱のせいなのか、自分の感情をコントロールできない。

涙をボロボロとこぼしながら、感情に任せ、泣き喚くように言う。


トゥーヤにもナナエの心は、意思は大事だと肯定して欲しかった。

いらない物のように、意思の無い人形のような扱いはイヤだった。

認めて欲しかった。

頷いて、話を聞いて、一緒に考えて欲しかった。

それのどこが高望みだったというのだろうか。

自分の言った事は間違いだったと、すぐにでも否定して欲しかった。


「承知致しました」


低く静かな声が、ナナエの耳に届く。

自分が招いた結果とは言え、その余りにも残酷な内容に胸を鷲づかみにされた。


そんな答えを望んでいたわけじゃない。


声に出して叫んでしまいたかった。

それなのに、喉の奥がまるで張り付いてしまったかのように、カラカラに乾いて、声が出なかった。

本当に言いたかった事はそんな事じゃないのだ。


薬を盛ったことや、勝手に居なくなったこと、それに心配をかけたこと。

いっぱい謝りたい事はあった。

今まで自分がどれほど皆に守られていたのかも改めて身に染みて、ありがとうと言いたかったのだ。

目の前から居なくなって欲しいなんて、欠片も思ってない。

むしろ、やっぱりずっと側に居て欲しいと思っている。

そんなことも、ちゃんと話したかったはずだ。


それなのに、椅子から立ち上がり背を向けたトゥーヤに何も言葉が出てこなかった。

ただ、黙って涙を流し、その背中が扉の向こうに消えるまで見ていることしかできなかったのだ。

扉が閉まる音を聞くと、その余りにも無慈悲な機械的な音に、余計に感情が高ぶるのを感じた。

床に落ちたままになっている枕を、のそのそと重たい体を鞭打つように動かして拾い上げる。

そして再び力なく扉に向かって放り投げた。


「トゥーヤのバカ」


口をついて出る言葉は、やはり思っているのとは正反対の言葉だった。




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