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<26> 天使の微笑み


「あなた、誰?」


震えそうになる声を辛うじて押しとどめ、ナナエは囁く程の小さな声で言った。

エナはチラリとナナエに視線を投げかけ、再び前を向き、手綱を軽く振る。

薄暗い森の中はだんだんと不気味さを増してきていた。

先程まではかなり奥のほうまで見えていた道の先も、今では15m先は完全な暗闇だ。

時折動物の鳴き声が擦るだけで、後はいたって静かだった。

併走しているコルレはナナエに目をくれようともせず、相変わらず行く先を見据えているだけだ。


ナナエの名前を知っている。

トゥーヤの名前も。

そして、エナはナナエの命を狙う気配が無い。

その時点でエナはオラグーンの縁者でバドゥーシ側ではないと判断できる。

しかし、そのやり方や言動は味方であるとは言い切れないのが現状だ。

味方であるならばわざわざキーツと引き剥がすようなことを仕組まないし、正直に言って連れ出せば良いだけだ。

ドサクサに紛れて連れだす意味が無い。


「トゥーヤの知り合い?」


馬から落ちないよう、相変わらずエナのウエストに腕を絡めながら静かに聞く。

するとエナは深くため息を吐いた。


「ちゃんと、自己紹介すべきですわね。私はエイリナーシャ・イェリア。シャルの姉で、トゥーゼリア様の婚約者です」


背筋をピンと伸ばすようにして、前を見据えたままエナがそう言った。


「嘘」

「ホントですよ」

「だったら最初からそう言えば、こんな回りくどいことする必要がないじゃない」

「それでも本当なんです。私はシャルの姉でトゥーゼリア様の婚約者。それは間違いありません」


淡々と言葉を重ねるエナに、ナナエはなんと返してよいか分からず、押し黙る。

シャルの姉で、トゥーヤの婚約者が何故ナナエを騙してまで連れて行こうとしたのか。

それが分からない。

そして。


……トゥーヤの婚約者。


それが酷く胸につっかえる。

年齢を考えれば、ナナエもトゥーヤも当に結婚していておかしくない年である。

だからこそ、年だけを考えるならば、婚約者が居るというのは至極当たり前のことのように思えた。

しかし、だ。

ナナエはトゥーヤからそんなことを聞いた覚えがない。

話す必要が無いから話さなかっただけなのかも知れないが、それが余計に胸に苦しい。


「トゥーヤには会える……?」

「……結果的には恐らく会えますよ」


随分と曖昧な言い方だ。

明らかに明言を避けている。

エナにどんな思惑があるのか分からない。

だからこそ、このまま、流されるまま一緒に行動していていいのだろうか。


「シャルは?」

「さぁ?あの子とはここ数ヶ月会ってません。報告では色々聞いていますけど。イェリア家などのファルカの分家筋にあたる娘は幼いときから諜報の任を任されるので、実家には住みませんしね。なかなか会う機会が無いんです」

「……コルレはシャルのお兄さんなの?」

「部下、と言うか、私の専属の従者です」


エナがそう言うと、コルレは小さく頷いた。

つまり、弟と言うのは嘘で、エナの従者として一緒にいたというわけだ。

コレルは先ほどからナナエとエナの会話に一切口を挟まない。

内心変だと思ってはいたが、コルレがエナの従者であるとするならば、主の会話に口を挟まないのは当たり前だった。


「私をどうするの?」


結局のところ一番聞きたいのはそれで、ナナエは覚悟を決めてエナに聞く。

すると、エナは「ん~……」と考え込むような声を漏らした。

理由があって連れ出しているはずなのに、その処遇はいまだ決まっていないと言うことなのだろうか。

それとも、殺すと言いがたいだけだろうかと不安になる。

それでも根気強くエナの返事を待つと、少しの間をおいてエナが口を開いた。


「とりあえず今のところは一緒に来ていただいて、数日……数週間?一緒に過ごしていただく感じかしら?」

「何の為に?」

「そこまでは教えてあげれないんです。ごめんなさいね」


そう言うと、再びエナは笑ったようだった。

その言い方は村に居たときと同じような優しげなもので、妙な安心感を湧かせて人を煙に巻く。

そして、エナは軽く振り返り、少し視線を落とした。


「本当はツォルグの町に買い物へ出たときにそのまま連れて行こうと思ってたんです」

「……なぜ、そうしなかったの?」

「気づきませんでした?あのマカロンのお店。あそこを出てからずっと村に戻るまで、監視されていたんですよ」

「……そう、なんだ」

「おそらく国王陛下の手の者でしょうね。下手に連れ去ろうとしたら騒ぎになりそうだったので、あの日は諦めました。ホント陛下は邪魔ばかりしてくれる」


その言葉には少しだけ楽しげな雰囲気が含まれていた。

その想定外の邪魔がエナには何故か楽しかったらしい。

まるで鼻歌でも歌いだしそうな程の雰囲気に、ナナエのほうが戸惑う。


「兎に角、下手な気は起こさないでくださいね。私は別にナナエ様に危害を加えたいわけではないので。ただ、着いて来て貰いたいだけなんです」


エナは明るい声の調子を崩すことなくそう言った。

ナナエからすれば、こんな森の奥深くで一人で置き去りにされる方が困るのだから、危害を加えないといわれた以上はエナについていくしかない。

大人しくして、迎えを待つ。

それだけだ。


あの時。

キーツにはちゃんと聞こえたはずだ。人一倍耳がいいのだから。

キーツの脇を通り抜けるときに、確かにキーツにお願いした。

「ウィリナ様を安全なところに移したら……出来たら迎えに来て欲しいな」と。

迎えに来るのを待ってるだけと言うのは何とも情けないし、ちっとも成長していない自分が嫌にはなるが、現実問題ナナエには抵抗する適切な術が無い。

ムダに抵抗しても、あの村の襲撃のときの二の舞だ。

策も無く、ただ痛めつけられるだけだ。

仮に逃れられたとしても、この森でサバイバルをして生き抜く自信などあるわけが無い。

エナと共に行くしかないのだ。



エナとコルレは森や山間など、とにかく町や村に立ち寄るのを避けていたようだった。

人の気配の無い道ばかりを選んで、夜になると薪を集めて焚き火を起こし、それを囲んで休む。

そんなことを3日も続ければ、ナナエもかなり限界だった。

移動は馬だから徒歩よりは楽ではあったが、とにかく夜の冷え込みが厳しいのだ。

渡された毛布に包まってみても、とにかく寒い。

そして、4日目の朝には熱を出し、自分の体を支えて馬に乗るのも辛くなった。

結局、エナとの同乗ではなく、コルレの馬に乗せてもらい、殆ど寝ている状態で運ばれた。

それでも野宿を止めることが無く、エナ自身も疲労が見え隠れしているのを隠そうともしない。



それから何日がたったか良く覚えていない。

体調を崩してからも無理な野宿を続けたため、熱は続き、意識がずっと混濁したまま連れて行かれたのだから。

気がついたときには薄暗い何処かの部屋の中で柔らかい寝台の上に居て、体は重く、頭はボーっとしていた。


「ナナエ様、お目覚めですか?」


声のほうに顔を向けると、すぐ側にコルレが座っていた。

軽く頷いてみせると、コルレは吸い飲みを少し掲げてみせ、その先をナナエの口に運ぶ。

一口飲んでみるが、意外な苦さに眉をしかめる。

喉は渇いてはいたけれど、その苦さと舌触りに吐き気がこみ上げた。


「薬湯です。だいぶ冷めてしまいましたが」


そして再び飲むようにと唇にその先を押し当てる。

ナナエは無意識にそれを避け、行き場を失った吸い飲みの先から薬湯が派手に零れた。

薬湯は左頬から首筋を伝い、肩口まで濡れる。

その濡れた部分だけ妙に寒さを感じて、ナナエはブルリと身震いをした。

部屋の中にしては随分と寒い。


「申し訳ありません」


コルレが布を手に取り、ナナエの頬や首筋に軽く押し当てるようにして零れた薬湯を拭く。

それが何となく鬱陶しくて緩慢な動作でその手を払う。

コルレは一瞬眉をひそめたが、再びその手を伸ばして拭こうとした。

ナナエは酷く色々と面倒に感じて、放っておいてくれないコルレに腹を立てながら再び手を払う。


「拭かないと体が冷えます」


困った様に戸惑うコルレにナナエは背を向けた。

今は人に気を使いたくない。

放って置いて欲しいのだ。

とにかく気分が悪い。胃がムカムカするし、なんとなく頭も痛くなってくる。

ナナエはそのまま毛布を頭の上まで引き上げ、体を丸めた。

コルレが再び声を掛けながら肩を揺する。

左肩は濡れていて冷たかったが、それでも振り向きたくなかった。


「触るな」


一瞬自分の声が漏れたのかと思い、ナナエは目を見開いた。

しかし、その言葉を発した声は澄んでいて、まだ低くならない少年の声である。

もちろん、ナナエには聞き覚えがある声だった。

ただ、その口調はナナエが知っている人物のものとは違って酷く乱暴で剣呑とした雰囲気を孕んでいる。


「ですが」

「今すぐ部屋を出て行けよ」

「……承知いたしました」


背後でコルレが部屋を出て行く音が聞こえた。

そして、先程はその人物が入ってきたときには何の音もしなかったのに気づき不安に感じる。

この部屋に残った人物が、ナナエの知る声の人物と同じであればいいが、どうも口調が違いすぎた。

恐る恐る振り返り、毛布から目だけを出して確認する。

すると、そこにはやはりと言うかナナエの見知った可愛らしい顔があった。


「ナナエ様、お体、大丈夫でしょうか?」


小さく首をかしげながら笑いかけるシャルにナナエは何も言えずに、ただ見つめていた。

そんな様子を気にした風も無く、シャルはナナエの額に手を伸ばすと「熱いですね……」と呟くようにいい、寝台横に用意してあった濡れた布をそっとナナエの額に載せる。

そして毛布を掛けなおすようにして、ナナエの肩口まで毛布を下ろした。


「口元から肩口まで汚れています。お拭きしても?」


ニコニコと天使の微笑で笑いかけてくるシャルにナナエはただ小さく頷く。

そのシャルの表情に何ともいえぬ安心感が湧いた。

さっきまで誰かが側に居るのが鬱陶しいと感じていたのが嘘のようだ。

シャルはナナエのすぐ横に腰を掛けると、ナナエの首の下に手を差し入れ、少し体を持ち上げるようにしてから丁寧に汚れを拭き取った。

その後すぐにその体を寝台に戻し、肩口に巻きつけるような感じで毛布を掛ける。


「……なんでいるの?」


ナナエが小さく呟くように言うと、シャルは肩をすくめて小さく笑った。


「実家ですからね」

「シャルの実家……?なんで連れてこられたんだろ」

「……僕にもわかりません。ナナエ様がここに居るのを知ったのもついさっきなので」


まるで不愉快だとでも言うようにシャルが眉根を寄せた。

そしてサイドテーブルにおいてある吸い飲みの蓋を開け、匂いをかぐ。

一瞬で眉尻が下がり、何とも可愛らしい顔になった。


「これ……臭いですね」

「……おまけに凄い不味いよ。吐き気がするし」

「それはナナエ様が体調を崩しているからですよ。……何か食べたいものとか飲みたいもの、ありますか?」


シャルに言われてナナエは考え込む。

確かに喉は渇いているから何か飲み物が欲しかった。

それを口に出そうとして、ハッと気づく。


「……シャルは、もう私の従者でもなんでもないんだから、良くしてくれなくていいんだよ?」


口ではそういいながらも自然と目が潤む。

自分から解雇しておきながら、会えばすぐに甘えようとするその身勝手さが恥ずかしい。


「それがどうかしましたか?」


何を言い出しているんだ?といった感じで話すシャルにナナエのほうが困惑する。


「病気の”元”ご主人様を放り出すほど薄情ではないつもりですが」


その妙に回りくどい優しさがトゥーヤみたいで、ナナエは口元を綻ばせた。

顔は全く似ていない天使そのものだというのに。


「その返事、トゥーヤみたい」


ナナエがそう言うと、シャルは少し頬を赤らめ、嬉しそうな表情をした。

シャルはトゥーヤのことを物凄く尊敬しているらしい。

だから、似ていると言われてとても嬉しかったのだろう。


「マリーやトゥーヤはどうしてるかわかる?」

「……トゥーゼリア様には伝令が出ているようです。マリー様はちょっと分からないですね」

「トゥーヤ、来るの?」

「恐らく……いえ、ナナエ様が居ると分かればすぐにでも」

「……トゥーヤ、怒ってるかなぁ?」

「それは、まず目の前の僕に聞いてもらいたかったです」


そう言ってシャルは笑った。

その表情には怒りなど微塵も感じられなく、ただただ楽しそうな笑いだ。


「シャル、怒ってる?」


ナナエがおずおずとそう尋ねるとシャルは笑いながら首を横に振った。

そのまま寝台脇の椅子に腰掛けるとナナエの額に当てた布をとり、水桶に浸して絞る。

そして、再びナナエの額に布を乗せると「会えて安心しました」と言った。


「まぁ、僕は置いておくにしても。マリー様とトゥーゼリア様は怒ってないですが、怒られると思いますよ?」

「……それって怒ってるんじゃん」

「どれだけ心配掛けたと思ってるんですか」


その優しげな瞳を鋭くしてシャルがナナエに言う。

意外と恐い顔だ。


「ごめんなさい」


ナナエがしゅんとして言うと、シャルは再び優しい笑顔に戻る。

考えなしのナナエの行動をシャルはきちんと指摘して、注意して、許す。

可愛らしい子どもだと思っていたシャルが、こんなにも大人びている、いや、大人であるとは思っていなかった。

大人として、あの考えなしの行動は全くもって恥ずかしい限りである。

もっと考えて、きちんと話して理解してもらえばよかったかもしれないと今更ながら思う。


「まぁ、もう気にしないでください。もちろん、再雇用していただけますよね?」

「……お給金払えないもん」


ナナエが視線をそらしながらそう言うと、シャルは声を出して笑った。

何がそんなに可笑しいのかわからないが、ムッとしてナナエは唇を尖らせる。

するとシャルは「ああっ、申し訳ありませんっ」っと慌てたように謝った。


「そんな心配は要らないんですよ。セレン王子からもルーデンス国王陛下からもだいぶ頂いてますので」

「……そうなの?」


またまたセレンにもルーデンスにも知らず知らずの内に迷惑を掛けてると知って少しへこむ。

それでも、ただ働きではなかったことを知って少しだけ気持ちが軽くなる。

とりあえずは早く良くなって自力で稼いで、ルーデンスやセレンには出世払いさせてもらおう。


「それじゃ、よろしくお願いします」


ナナエが少しモジモジしながら言うと、シャルはことさら可笑しそうに笑った。

いつの間にか立場が微妙に逆転しかけている気がするが、きっと気のせいだろう。


「はい。ではお飲み物かお食事、どうなさいますか?」

「……飲み物。リンゴジュース飲みたい」

「承知いたしました」

「……あと、ね」

「はい?」


顔を半分毛布で隠すようにしてナナエが口を開くと、シャルは不思議そうに首を傾げて見せる。

ナナエが言いづらそうにしてまで、何を言おうとしているのかが分からない様子だ。


「キュロットに白タイツと編み上げブーツは外せないと思うの」


一瞬、シャルが物凄く恐い顔で呆れた顔をした。絶対した。

すぐに取り繕ったけど、凄く嫌そうな顔だった!


「……こちらには持ってきていないので」


シャルはナナエにニコリと笑って見せるが、目が全く笑っていない。

それでもナナエはめげなかった。

主人となるなら、それは外せないのだ。


「キュロットに白タイツと編み上げブーツは外せないと思うの」


再び同じ言葉を繰り返す。

”ナニ言ってんだコイツ”って顔をした。絶対した。

すぐに取り繕ったけど、以下略。


「私、ご主人様、デスヨ?」

「熱、あるんだから大人しく寝てろ」

「……はい?」

「いいえ、すぐにお飲み物お持ちしますね」


……上手くはぐらかされた気がする。

おまけに凄くバカにされた気もする。おかしい。


「シャル、私、誤魔化されないからね」


立ち上がろうとしていたシャルに向ってナナエがそう言うと、シャルは極上の天使の笑みを見せ、言った。


「お嬢様の熱は頭の病気なんですかね?」




……病人にはもっと優しくすべきだ。

誤字脱字など教えていただけると嬉しいです。

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