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<25> エナ

バッと扉に顔を向けると、そこには額から血を流しているゲインがその顔を酷く強張らせて覗き込むような形で半身を扉からくぐらせていた。


「ナテル殿下、権威主義の阿呆共です。私の馬で急ぎここを離れましょう。数が多すぎます」

「……狙いは私ですか」

「はい、一番の狙いは殿下でしょう。……そして出自のわからない王の婚約者、もあわよくばですな」


ナテルはナナエたちを振り返り、戸惑ったように視線を這わせる。

男である自分が先に逃げ出すというこの状況を気にしているのだろう。


「ナテル、早く行って。ナテルが狙われてるんだから」


ナナエが固い表情でそう言うと、ナテルは小さく頷く。

向こうの狙いがナテルなら、早くここを去るべきだ。

ぐずぐずして捕まったら元も子もない。


「キーツ!エリザベス様はお前がお助けしろ!」


ゲインが後ろの方を振り返りながら言う。

そしてそのまま、ナテルを自分の馬に相乗りさせ、追っ手からの視線を遮るような形で森へと馬を走らせた。

見通しの良い街道沿いに走れば、移動はしやすいが狙われやすいからだ。


キーツはすぐに馬を操って馬車の前まで来た。

ゲインと違って無傷ではあったが、その表情には疲労の色が見え隠れしている。

敵の数が多いというのは本当なのだろう。


「……」


一瞬口を開きかけてキーツはすぐにその口を引き結び、ナナエに向かって手を差し出した。


遠くの方から襲撃者達の援軍と思しき声が聞こえてくる。

残りの兵士たちでは到底持ちこたえられないだろう。

襲撃者たちは口々に「皆殺しにしろ」と叫けぶように繰り返す。

このままで居たら、仮にナナエは逃げられたとしてもウィリナとエナの命は無い。

ナナエが息を呑み、後ろを振り返ると、エナが抱きかかえるようにしてウィリナを立たせ、ナナエに大きく頷いた。


ここで一番先に逃がすべきは、動けないウィリナだ。


「キーツ、ウィリナ様を!」

「だめだ、姫さん。エリザベス様を守るのが俺の仕事だ」


顔を歪めながらキーツは言い放った。

その言葉を聞いたのか、ウィリナは一瞬だけ眉を動かした。

それでも何も言わずに唇を引き結ぶ。


「私はエナさんと走って逃げる」

「ダメだ。仮にウィリナ様だけ助けてエリザベス様に何かあれば、ウィリナ様も俺も命はない」

「ルディはそんなことしないよ」

「姫さんが知らないだけだよ」


そう言ってキーツは顔を歪めながら笑った。

その言葉に嘘は感じられない。


「それに、この襲撃者たちはソミア公爵家も絡んでる」


最後に付け加えられた言葉に、信じられないといった感じでウィリナが目を見開いた。

ナナエもエナも思わずウィリナを見る。


「嘘……ですわ」

「ソミア公爵家の裏で動いてる使用人たちを何人か見ました。ソミア公爵家は権威主義の筆頭ですからね。ウィリナ様と分かれば、恐らく命はとられないかと。……ですから」


そう言ってキーツは馬車に体を差し入れ、ナナエの手首を摑んだ。

そして強引に引き寄せようとした。

それでも、ナナエは強く抵抗する。

こんなことで丸め込まれる訳がない。

そもそもウィリナが居ると分かっているなら、彼女を矢で打つようなことはしない筈だ。

なのに、ウィリナが矢で打たれた後も、敵の攻撃はゆるんでいない。

あの時彼女が居るのは分かったはずだ。

それでも後方から聞こえる”皆殺し”を煽る声。

どう考えてもウィリナが助かるとは思えない。


「エナ!!」


その時、キーツの後方から叫ぶようにして声が掛けられた。

キーツの肩越しに向こう側を見ると、馬に乗ったコルレがもう1頭の手綱をひきながら走り寄ってくる所だった。

コルレはツォルグの町で用事を済ませてから追いかけて来る事になっていた。

だから後ほど、山を2つ越えた先の町で合流する予定だったのだ。

そして、やっと追いつこうとした時、恐らく異変を感じて荷馬車を解き、馬のみで駆けつけたのだろう。


「コルレ!」


キーツの脇をすり抜けるようにして、エナは外に出てサッと馬にまたがる。

そして、エナはナナエに手を差し出した。


「ウィリナ様を支えることは出来ません。ですが貴方なら一緒に乗ることは出来るでしょう?」


真剣な面持ちでエナは訴える。

キーツがウィリナを支え運び、ナナエはエナと共に馬に乗る。


「ナナエ様、早く!」


エナの緊迫した声に、ナナエは息を呑んだ。

そして覚悟を決めたように頷く。


「キーツ、ウィリナ様を頼むわね」


ふらふらと歩くウィリナをキーツに押し付けるようにして、ナナエはキーツの横をすり抜けた。

そして他には聞こえぬように、キーツの横を通るときに小さく一言掛ける。

キーツはそれを怪訝な顔で返した。

ナナエはエナの手を取る。

エナがナナエの腕を強く引き、半分引き上げてもらうような形で、エナの後ろに跨った。


「早く、行って!」


キーツに厳しく声を掛けると、キーツはウィリナをしっかりと抱き、馬を走らせ、ゲインたちと同じように森へ入る。

そして、エナ達もまた森の中へと馬を走らせたのだ。

背後からは何人もの争う声、そして悲痛なうめき声。

それでもナナエはそこから去るしかなかった。

せめて、ナナエ達が居なくなったことで、残った兵士たちが逃げてくれるよう祈りながら。








どこをどうやって馬を走らせたのか分からない。

エナが馬の手綱を緩めたのは、もう日もすっかり傾き、森が宵闇に包まれようとしていた時だった。

エナの横をコルレの馬もぴったりと着いて走ってきていた。


ゲインやキーツの姿は無い。


「逃げ切れたみたいですね。良かったです」


エナが後ろを振り向きながら軽やかな微笑を浮かべる。

それは人を安心させるには十分な優しい笑顔だった。


「で、どこ連れてくの?」


ナナエがニコリともせずに言うと、エナは一瞬驚いた表情をしてパッと破顔した。

それをコルレは面白くなさそうな顔で眺める。


「いきなり、何を?」

「……ナナエって呼んだでしょ」


すっとぼけてみせるエナを軽く睨みながらナナエは口を開く。

あの土壇場の際でエナは”エリザベス”ではなく”ナナエ”と呼んだ。

村ではエリザベスで通してたはずだ。

キーツですらナナエの本名を知らない。

知っているのはゲインぐらいだ。

その状況でナナエの本名を知っているというのはおかしすぎる。


「ゲイン様がそう呼んでるのを聞いたので」

「ゲインさんは人が居ないところでしか呼ばないよ。居ないと分かっててわざと呼ぶだけだし。それとも、盗み聞きでもしてた?」

「まさか~、ゲイン様がうっかり仰ったのを聞いただけですよ」

「……エナさんさ」


エナのとぼけ具合に呆れたようにナナエはため息をついてみせる。


「ただの村娘が、フライパンの一撃で大の男を伸せるってホントに思ってる?」

「まぐれかしら?」

「私も今になって色々考えてみたから、アレだけど。そもそも襲撃中の村の中を誰にも見咎められずに移動するなんて普通の女の子じゃ出来なくない?」

「運が良かったんです」

「エナさんの家って、私が居たところより森に近かったよね?何故私のところに来たの?」

「そうでした?それはうっかり。うふふ」

「……あの襲撃直後。どこに行って、何をしてたの?」


ナナエが少しも表情を崩さず言うと、エナはくすりと笑った。


「やっぱり金で雇った男って使えないんですよね。あれだけ丁重にってお願いした上に、村の女、子どもはおまけでくれてあげる約束までしたんですよ?なのに、ナナエ様に手を上げて」


エナはひねっていた半身を前に戻し、正面を見据えたまま淡々と話す。

その妙な態度にナナエは首をひねる。

エナからは悪意は感じられない。


「本当は適当なところでナナエ様を連れて行こうと思ったんですけど、ルツが居たじゃないですか。長年の好みですし、殺すのは可哀想かなって思って。で、躊躇してたら、あの男が好き放題やりだすし。どうしようかな~って迷ってたら国王陛下がいらしてしまうんですもの」


まるで楽しいことを思い出したかのように、エナは「ふふふ」と笑ってみせる。

その表情には暗いところが何も無く、ナナエは困惑するしかなかった。


「まさかこんなにタイミングよく、襲撃されるとは思いませんでした。ウィリナ様も運良く射抜かれてくれて。何もせずに事がうまく運ぶので笑いを抑えるのが大変でした」

「……死ぬかもしれないんだよ?運良くとか言わないで」

「ですから、ドアを閉めて差し上げたでしょう?これでも親切心は持ち合わせてますし」


朗らかに笑いながらエナは言う。

村に居た時の大人しく控えめなエナとはまるで別人のようだ。

ふと、疑問に思う。

エナは昔から村に居たような雰囲気があった。

それなのに何故、ナナエを連れ去ろうとしているのかがわからない。

だが、村の襲撃時にしろ、さっきの襲撃にしろ目的は他にあったとしても。

エナがナナエを助けてくれたのは確かである。


「一応、助けてもらったしありがとうって言うべき?」


ナナエが微妙な表情で言うと、エナは楽しそうに声を上げて笑った。

そして、「どういたしまして」と言い、再び笑う。

その反応にも首をかしげながら、これからどうすべきか迷う。

エナは明らかにナナエをどこかに連れて行こうとしている。

その先は安全だという保証は無い。

しかし、エナ自身からは全く悪意は感じられず、まるで友達と話すときのような気安さでナナエと話している。


「ウィリナ様は大丈夫かな?」


ポツリとナナエがそう言うと、そこで初めてエナが真面目な表情になった。


「恐らく。キーツ様が一緒なら大丈夫でしょう。ソミア公爵は、娘が死んでも構わないと思ってらっしゃるようですし。キーツ様に預けたのは正しい判断でした」

「……なにそれ。親でしょ?」

「ソミア公爵には娘が他にもおりますから。替えが利くんです。子供を物の様に思っている親もいるのですよ」


その言葉にナナエは下唇を噛み締める。

そんなナナエを横目で見やりながら、コルレもまた微妙な表情をして見せていた。


「まぁ、家に帰ったら殺されるかもしれませんが」

「………な…んで」

「ソミア公爵首謀の襲撃の目撃者ですからね、ウィリナ様は」

「娘じゃない」

「娘の前に生き証人です。私がソミア公爵でもウィリナ様は殺しますよ」


淡々とエナは言う。

それがさも、それが当然のように。


「その気持ちが、わからないわ」

「……それは、ナナエ様が幸せな証拠ですよ」

「そんなこと、無いと思うけど」

「キーツ様にも仰ってましたね。国王陛下がナナエ様を守らなかった2人を殺すはずが無いと。それは幸せな考えで、酷く残酷です」

「言ってることがわからないよ」

「暗い部分には目を瞑り、明るい部分だけを見れば良いのです。人の善意を信じる、それで十分なのです。トゥーゼリア様の主としては」



その言葉にナナエは息を詰まらせたように目を見開いた。




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