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<21> 幕間 ルーデンスの回想

ナナエの行動は100%予想できなかった、と言うわけではなかった。

だから家を出たと知らされた時、大して驚きもせずにその事実を受け入れることができたのだ。

そういうこともあるかもしれないと、頭の隅で理解していたからだ。


ナナエは恐ろしいほどに”人から守られること”に慣れていない。

それは恐らく、ナテルから聞いたナナエの身の上によるものからだろうと推察される。

幼少期の守られるべき時期に、守られたことがなければ、ナナエの様に守られることに罪悪感を感じるようになってしまったとしても仕方が無いのではないだろうか。

その点から考えても、ナナエは酷く自分に似ていた。

ただ違うことがあるとすれば、ルーデンスにはナテルが居た。

そして、守られることに引け目を感じる必要の無いほどの身分があった。


ナナエをかばってタバサが傷ついた時、ナナエの動揺する様は酷かった。

泣き喚くわけでもなく、スッと表情を無くして目がうつろになった時は、このまま正気が失われてしまうんじゃないかと背筋が凍る思いをした。

そのナナエがあの晩、襲われた。


完全にルーデンスのミスだった。

ナナエと2人での夜会の出席に、目的を忘れ浮かれていたのだと思う。

綺麗に着飾ったナナエにのぼせていたのかも知れない。

やっかみという下らない理由ではあったが、それ以外にも政敵や、自分の娘を正妃にと望む者からナナエが危険にさらされる事は容易に想像できたはずだ。

それなのに、警戒するのを怠った。

ルーデンスが簡単に無視することのできない貴族の連中に捕まっている間に、ナナエは誘い出され、襲われた。

ルーデンスが気づいたときには広間には姿が無く、慌ててナテルと共に行方を掴んだときには、ナナエが居ると言われた部屋の惨状は見るに耐え難いものだった。

そのひどい部屋の中に、ルーデンスがナナエに贈った首飾りの残骸があった。

見た瞬間に一気に血の気が引いたのを未だ忘れられない。


開け放たれたバルコニーへの窓に気づき、外へ出、そこから身を乗り出すようにして辺りをうかがった。

人の気配を感じて、その気配を追っていけば、どこかの使用人とシャルが対峙している。

そして、そのシャルの向こう側には、痛々しい姿で身を起こそうとしていたナナエが居た。


ナナエには身を守るすべが無いと知っていながら、迂闊にも一人にした自分の浅慮さの結果だ。




ルーデンスは幼き頃から命を狙われることが当然だった。

だから己で身を守れるようにと、そういう環境で育ってきた。

しかし、ナナエは恐らくそういう世界とは縁遠い世界で育ってきたのだろう。

身を守る必要が無い、命の危険が無い場所で育てられた。

そして、そこで守られること無く育ったのだ。

それは恐ろしく残酷なことだと思う。

他人から守ってもらうことも、自分で自分を守ることも学ばなかったのだから。


あの夜のナナエの青ざめた顔が脳裏に焼きついている。

ひどい目にあった自分にショックを受けていると言うより、助けられたことを恥じているといった面持ちだった。

その表情にルーデンスの方がショックを受けたのだ。






ナナエが姿を消した事を知らされた後、ルーデンスはすぐに屋敷の外へ馬を走らせた。

ざっと見る限りで、ナナエが転移の魔法を使った事は確実だ。

その証拠に、敷地から出ていくらもしないうちの林の一角が不自然に吹き飛ばされている。


全く、転移の呪文の発動時に衝撃を発生させるなど、ナナエぐらいのものだ。


転移を使ったとわかった以上、ここに居ても無駄だと理解した。

どこに飛んだのかはきっと本人にもわからないはずだ。

そのままルーデンス自身も転移の魔法を使って城に戻る。

エーゼルに居る、という確証は無かったが、妙な自信があった。

ならば、ルーデンスが取る方法は一つである。


このエーゼルでルーデンスが探せない場所など作るつもりは無い。


元々勧めていた案件を最優先に政務を始めた。

国営のあのアクアマーケットの分店を各地に作るのだ。

いずれは国外にも作るつもりだ。

そのための地ならしとして各地につくり、根付かせていく。

それは少なからず、国の歳入に繋がっていくはずだ。

国外にも分店を作れるようになれば、外貨を得ていくことにも繋がる。


それだけではない。

もう一つ、この分店には役割がある。

情報の収集だ。

市井には情報が集まる。

各地に情報を集めるための者は放っているが、町々の声を直接聞けるのは大きい。

目的を持って情報を集める者とは違って、玉石混淆の情報を集める者。

一見無駄に見えがちだが、得られるものは大きいはずだ。


そして、この玉石混淆の情報はきっとナナエを捜す手がかりになる。


アクアマーケットのどの店を分店にするかで迷っていたが、ナナエのお陰か、もう一択になっている。

菓子店だ。

情報を集めるのはもちろんのこと、上手く行けばナナエ自身が現れることもありうるメニューで揃える。


商品には人気があるものが多い。

値段も一般の国民でも気軽に手の届く価格のはずだ。

恐らく、どの土地でもそこそこ売れるだろう。

だがそれだけでは弱い。

他の菓子店と競合する。

地元の民の支持を得られる少し変わった趣向も必要だろう。


その時、ふとナナエと出会った時を思い出した。

ナナエは滞在先で思いつきで始めた商売で財をなしていた。

女性を集客目的で設定されたカフェはそのコンセプトで当たったのだ。

ならば。

菓子店の客はやはり女性が多い。

あのナナエのコンセプトを借りようではないか。


そうして本当にあっという間に分店を各地に開いたのだ。


分店の店長には貴族の嫡男以外や下級貴族の嫡男など、なるべくマナーを元々身に付けている者で、仕事を与えられていない者を選んだ。

執事のようなお仕着せを支給し、情報収集の任を与える。

人選はナテルに一任したのだが、それが上手く嵌った。

人柄的にも申し分ない者達が集まり、情報伝達用の下級使い魔を与えた後、各地に散って行った。

毎日あげられる大量の情報は本当に玉石混淆ではあったが、目を見張るものも確かにあった。

その中で、あの日見つけた姉弟の会話に関する情報。


黒髪で小柄な貴族の娘が村に身を寄せている。


夜間に使い魔より届けられたその情報が気になって、その日のうちに城を出た。


一人で行動したほうが早いのだが、流石に一人で何日もあけるというのが大臣たちが良い顔をしない。

もちろん、ゲインや、ナテルもだ。

とりあえずの政務はナテルに任せ、ゲインと護衛の兵十数名を連れての出立だった。


あの町に遣わせた男は伯爵家の五男坊で、至極切れる男だったはずだ。

その男が拾ってきた情報が妙に気に掛かった。

そして、道半ば程まで来た翌日の昼に、その男の使い魔が再び現れたのだ。

報告は夜となっていた筈なのに、昼に来たのでピンときた。

案の定、その報告の内容は”右に薔薇の耳飾り、左に月の耳飾り、手にアイビーの指輪を嵌めた黒髪で黒い瞳の女性の来店の知らせ”だったのだ。

男はルーデンスが通達しておいた全ての特徴を確認し、夜を待たずに遣いをよこした。

馬車を急がせ、その日の夜半にはツォルグの町にたどり着いたのだ。


そして、世が明け始めるのを待って村へと行った。

村はどこにでもあるような平凡な村そのものだ。

本当にナナエがいるのかいささか不安に思っていた。

中に入ると、奇妙なことに不審な男たちが転がっている。

ゲインの静止聞かず馬車を降り、辺りを窺っている時に、あの夜の男がいた。


「……陛下!?」


あの男はルーデンスの姿を見るなり、驚き、そう声を上げた。

そして、対峙していた複数の男達の攻撃をなんとか避けながら、こう言ったのだ。


「エリザベス様が、森にいらっしゃいます!賊の頭の姿が見えないので、追って行った可能性があります!どうか、エリザベス様を……!」


それだけ聞けば十分だった。

すぐさま腰の剣を抜き、森へとルーデンスは駆け出したのだ。





やっとのことで腕の中に収めたナナエは、幾分やつれたようだった。

賊の最期を見せないよう、その顔を胸に押し付けるようにして抱き込む。

その体は、別れた時よりもずっと細く思えた。

慣れない生活を思い、胸が詰まる。

僅かな戸惑いを見せた後は、ナナエは大人しく腕の中にいた。

賊に殴られ、口の端には血が滲んでいる。

追われても、捕まっても、殴られても。

ずっとナナエは泣くこともせずに頑張ったのだろうと見て取れた。

その小さな体を愛しく感じて、言葉を掛けながら背中を宥めるように優しく叩く。

すると、ナナエは細く笑いながらも、目を明らかに潤ませていた。

そして小さな声で「ルディ……ごめんね」と言ったのだ。


──こんな時でさえ、他人の気持ちが優先なのか。


そう思うと辛かった。



その日の夜、かなり長いことナナエと過ごした。

ナナエは話しながらも、何度もこらえきれないように嗚咽を漏らすことがあったし、言葉が出てこなくなって黙ってしまったりもした。

その度に何度も何度もルーデンスはその背を擦り、頭を撫で、言葉を投げかけた。

そうやって心を尽くした結果、母親のようだとの不名誉な言葉を貰ったわけだが、まぁ、我慢するしかない。




どうやれば、ナナエの気持ちを救ってやることが出来るのだろう。

そればかりを考えた。

ナナエは、自分自身に価値がないと思っている。

だからこそ守られることに引け目を感じ、そして誰の好意も受け入れない。

それはナナエが以前ナテルに話したと言う内容から十分に推察できた。

村を出る前に、結婚を申し込んでみるが、やはり答えは否だった。


以前、ナナエは誰の好意をも信じることが出来ないとナテルに言ったと聞いた。

しかし、ナナエは誰の好意も信じていないわけではない。

ナナエが一番信じていないのはナナエ自身なのだ。

自分が誰かに好意を寄せられるほどの人物ではないと思っているから、誰の好意も信じない。

魔力のせいだなんだと理由をつけて、ナナエ自身を否定するのだ。

そしてそれが。

ナナエ自身に好意を寄せているルーデンスを否定するのだ。




城に戻り、ナテルから政務の引継ぎを受ける。

代わりに、ナテルに支度をさせ、ナナエを迎えに行かせることにした。

ともかく、ナナエには会話が必要だ。

何度でも何十回でも、ナナエの存在を肯定する必要がある。

ナナエがナナエ自身を否定るする度に、ルーデンスは否定されたナナエを肯定していくしかない。

気の遠くなるような時間が掛るかもしれない。

それでも納得してもらうしかなかった。

それが、ナナエを大事に思うルーデンスの気持ちを肯定することにつながるのだから。


もう、ルーデンスにとって、己の伴侶となるべき者はナナエ以外に考え付かなかった。

ナナエを知れば知るほど、普通の貴族の娘では足りないと思うようになってしまったのだ。

その心がどうしても欲しかった。


恐らく、このままで行けばルーデンスは王位を捨てることになるかも知れないと分かっていた。

もう覚悟は出来ている。

その為に、いつでもその時期を迎え入れることが出来るように、ナテルの後見人も密かに決めた。

更に強い後見を得るためにも、コヨーナ公爵ゲイン息女、リーセッテとの婚姻の話も裏で進めている。

ナテルには悪いが、その時が来たら、もうどうしようもないのだ。

腹をくくってもらうしかない。



ふと居候の王子、ディレックの事が思い出された。

思わず笑いが零れる。

気まぐれで匿った、ただそれだけだったのだ。

だが、お陰でルーデンスの未来は決まってしまった。

なんという巡り合わせだったのだろう。


未来のその時が来るまでに、ルーデンスはエーゼルをもっと豊かにしておく必要があった。

他国の脅威に怯えなくて住む国にしたい。それが一番の願いだ。

国の為に。後に残していくであろうナテルの為に。




そして。

城に戻って3日目。

つまり村から出て6日目に、ルーデンスの元へ知らせが届く。



──ツォルグより北へ半日の地点で馬車への襲撃有り。王弟殿下、及びゲイン以下36名の兵のうち多数が死傷。護衛中の姫の消息は不明。至急応援求む。





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