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<2> 降臨

玄関から続く応接室に、その客人とやらはいた。

…よく見知った顔である。


「お久しぶりです、ナナエ」


その人形のような風貌、金髪に薄い灰色の瞳。

どこからどう見ても、エーゼル国王その人である。


「久しぶりも何も、2週間前に別れたばっかりじゃない」

「ヤボラの視察があったので、ついでに」

「ヤボラの視察も1ヶ月前に来たばかりじゃないーーー!大体に今生の別れみたいな感じだったじゃないのよ!あの湖で!」

「ふむ…アクアマーケット名物チョコふわケーキがあるんですが」

「あ、…いただきます」


別に食べ物に釣られたわけでは決してない。

例の商店街はあの後アクアマーケットと命名されて、そこのスイーツ店のチョコふわケーキは絶品と有名なケーキなのだ。

ナナエもまだ1回しか食べたことがなかったのだが、あれは壮絶に美味しい。

それを前に出されたら、話よりもまず食べなければならない。

これは乙女としての鉄則だ。

破られてはならないのだ。


それは小さなドーム型のケーキだ。

外側は白いチョコレートでコーティングされ、上にはアプリコットのソースが縞模様を描くようにかけられている。

一番天辺の所にはピンク色をしたアメ細工のハートが刺さっているのも何とも可愛らしい。

そしてその中はミルクチョコレートとビターチョコレートが交互に織り成すしっとりとした生地だ。

フォークを入れた時に、そのしっとりとした生地に内包される沢山の細かい気泡が潰れて弾け、まるで炭酸水のような音を出す。

それを口に入れれば濃厚なチョコレートの味と共にケーキがスッと消えてなくなるのだ。

そんなまさに夢のような食べ物を前に、お喋りなどナンセンスだ。

食う。

食うとき。

食うならば。

食うしか…ない!キリッ。


「し…幸せ……」

「それは良かったです」


エーゼル国王、もとい、ルーデンスはそんなナナエを見ながら微笑み、ティーカップに口をつける。

それをナナエの後ろでトゥーヤが非常に面白くなさそうに見ていようが、今のナナエには何を言ってもムダだ。

なにしろここの所、3時のおやつは常にニンジンケーキだったのだから!

スイーツはナナエを…いや、世界を救うのだ。


3つ目のチョコふわケーキにフォークを差した時である。

トゥーヤがナナエの耳元に口を寄せて呟いた。


「ドレスが入らなくなります」


ピキッ。

瞬時にナナエの体が硬直する。

まただ…またこの作戦にハメられた…。

エーゼル国滞在中にも何度スイーツテロを喰らったのかもう覚えていない。

あのせいで増えた体重5きr…(自主規制)

こっちに戻ってきてからの粗食と運動でやっと2キロ減らせたと言うのに…。

なんでそこにあるの…チョコふわケーキ10個…


今そこにある危機。


そう呼んで差し支えないだろう。

食べれば太る。

だが乙女としては食べなければなるまい。

だが食べれば太る。


「食うべきか、食わざるべきか、それが問題だ」

「後で食べればよろしいでしょう」


そう言ってトゥーヤが問答無用でケーキを下げた。

食に対する欲が強すぎるナナエにはこれぐらいでちょうどいい。


「で、何しに来たの?」

「ああ、シャンパンも持ってきたんですよ。これ、ナナエの好きな銘柄でしょう?」

「おおぅ…!」

「…ナナエ様」


つい、再び乗せられそうになった所をトゥーヤの冷たい呼びかけで我に返る。

なぜ、ルーデンスはここに来た目的を問うと話題をそらすのだろうか。


──チリリン、チリリン。


新しい来客を告げるための、呼び鈴が鳴らされたようだ。

マリーがパタパタと小走りでエントランスへ向う。

先程とは違って、トゥーヤの表情には変化がない。


しばらくして、マリーと共にその新しい来客が顔を出す。

…よく見知った顔である。


「ナナエ様、お久しぶりです」

「久しぶりも何も、2週…以下略」

「以下略ってなんですか、以下略って~」

「なんだ、エーゼルはあれなのか」

「はい?」

「国王も王弟も騎士団長も暇なのか」

「ナナエ殿、失礼ですぞ!」


国王であるルーデンス、王弟であるナテル、騎士団長であるゲインが隣国の港町までやってくるとは暇以外に何があると言うのだろうか。

てか、そんなにホイホイ国王が国境越えちゃっていいのだろうか。

とか、ナナエではなくエーゼル国民が真剣に不安に思うべきところである。


「私は、帰りません」


ルーデンスが足を組み、お茶を飲みながらはっきりという。

その言葉を聞いてナテルは胃の上を押さえながら困ったような表情だ。


「帰っていただかないと困りますぞ。国王の責務として望んでいただかないと」

「いやです」

「ルーデンス様~いい加減腹くくりましょうよ」


状況から察するに。

ルーデンスは家出…いや城出。

ナテルとゲインは迎えに来たというところか。


「ともかく、私は帰りません。2人とも帰ってください」

「ルーデンス様、わがままですよ~」

「ルーデンス様、時間はあまり無いのです」

「嫌です。私は帰りません」


「3人とも帰れ♪」


ニッコリと笑ってナナエが口を挟むと、3人とも一瞬だけ黙った。

が、またすぐに押し問答を始める。

そもそも帰る帰らないだの『人の家』でする事ではない。

それが3人の中ですっぽり抜け落ちていやがります。


「私は、ナナエと結婚します」

「あーはいはい、しません」

「ルーデンス様、いい加減諦めましょうよ」

「ディンの第一皇女の何が不満なのですか」

「不満だらけです」


付き合ってられない。と、トゥーヤに先程のシャンパンの残りを要求する。

すると、今度はあっさりと差し出した。


うむ…流石は一級品のシャンパンである。

舌に乗せたときのピリッとした炭酸の刺激が好きだ。

ワインほどはしつこくなく、グイグイいけるこの感覚。

病み付きになる。

パチパチと小さな音を立てながら止まることなく湧き上がる泡。

のど越しのシュワシュワ感も絶妙だ。

おまけに香りもいい。

口の中に入れたときに広がる、爽やかな柑橘の味。

そのフルーティな味わいと香りは飲み込んだときに鼻に抜ける。

その感覚もたまらない。

言い合いをしているルーデンス達を横目で見ながら、こっそりルーデンスが持ってきたシャンパンに手を伸ばす。

トゥーヤに渡す。

スポンッと栓が抜かれる。

トプトプッとグラスに注がれる。

飲む。

トゥーヤが注ぐ。

飲む。

トゥーヤが注ぐ。

飲む。

トゥーヤが注ぐ。

のm…


「相変わらず、ナナエ様の飲みっぷりは凄いですね…」


マリーよ、そんなに誉めてくれるな。

わんこそばのように酒を飲み干す、通称わんこ酒。

ナナエのチート才能の一つである。

トゥーヤという完璧なタイミングで給仕できる万能執事が居るからこそ放てる技である。

ただし、翌日の朝は確実起き上がれない。非常に危険な技だ。

諸刃のわんこ酒と言えよう。

その技が発動されたときは恐れおののくがいい。


とか、ナナエが口に出しながらマリーに講釈たれていたら、トゥーヤに物凄い呆れた視線をプレゼントされる。

一度主人に対する礼儀と言うものを教えた方がいいらしい。


「貴族の令嬢としての礼儀と言うものを覚えてからにして下さい」


ナナエの心の声がだだ漏れだったのか、トゥーヤが説教を始める。

非常に理不尽極まりない。

口を尖らせながら再び飲む。

トゥーヤが注ぐ。

飲む。

トゥーヤが注ぐ。

飲む。

トゥーヤが注ぐ。

飲む。


「ああ、そう言えばナナエ様お気に入りの、アクアマーケット名物七色マカロンを手土産に持ってきたんですが…」

「…頂きます!」


ゲインとルーデンスの口論にすっかり弾かれたナテルが円形の筒の形をしたピンクの箱を差し出した。

その中には七色のマカロンが綺麗に並べられている。


赤がフランボワーズ、橙がアプリコット、黄色がレモン、緑がピスタチオ、青色がライム、紫色がブルーベリー、水色がシトロンとなっている。

口に入れると外側がサクッとしていて、それでいて中はもっちりしていてしっとり、ふわふわなのだ。

そしてその雲のようなやわらかさと共に口の中に甘みが広がり、更に挟まれたクリームがまた絶品なのだ。

中でもナナエが一番のお気に入りがアプリコットだ。

生地の甘さを引き立てる甘酸っぱさが最高だ。

サクッ、甘い、甘酸っぱい、しっとり、そしてやっぱり甘い。

口の中がその繊細な味わいと食感で幸福感に包まれる。

いい仕事をしている。

そして、その派手過ぎない色合いもまたいい。

どぎつすぎない程度のパステルカラーに包まれたお菓子は、口の中だけでなく目も楽しませてくれるのだ。

ナナエが最も好きなスイーツの一つである。


ただ、このマカロンの食感は万人向けではない。

嫌いな人も多いという。

だが。


──それがいい。


こんなおいしいものを理解できるのはそう沢山でなくていい。

わかる人だけわかればいいのだ。

人に勧めるつもりはない。


もったいないではないか。


この甘くてやわらかくて、甘酸っぱくて、しっとりした繊細な味わいは自分だけ知っているというのでも全然構わない。

誰がなんと言おうが、マカロンは正義だ。


スイーツテロがなんだというのだ。

もはやトゥーヤの戯言など耳にも入らぬ。

このマカロンは私のものだ。

これを全部食べたからといって何だというのだ。

肥満バッチコイ。

メタボくそ喰らえ。

もはや何人たりとも私の食欲の前に立ちふさがることは出来まい。

さぁ、皆、私にひれ伏すのだ。


…ああ、マカロンの合間に挟むシャンパンの、また格別なことよ。


ふと横を見れば未だにくだらない口論をしている。

そんな輩達にも私は慈愛の目で穏やかに見つめ、静かに立ち上がって両手を広げながら口を開く。

私からのありがたい御託宣をその耳でしかと聞くのだ。


「争え……もっと争え……」


気がつけば、足元には既に8本の瓶が転がっている。


──そして。


ナナエはゆっくり目を閉じると、そのまま崩れ落ちたのだ。




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