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<19> 欲しかった温もり

森へ入ると、子供たちがにわかに生気を取り戻したようだった。

まだ歩けない程の幼子以外はしっかりとした足取りで走り出す。

生まれてからずっとこの森で遊んできたというリリンの言葉は過言ではないようだ。

小さな子たちでさえも、足場の悪い木の根が張り巡らされた地面を、ぴょんぴょんと飛び跳ねるようにしてどんどん先に進む。


逆に、昨日着替えもせずに寝入ってしまったナナエは、ドレス姿というのもあって酷く足元が覚束ない。

慣れていない道というのももちろんある。

木の根に何度も躓きながら懸命に前へ進むが、子供たちとはだんだんと距離が開いていく。


余りにも距離が離れすぎてマズイな、と思った時、それに気がついたルツが、抱いていた子を他の子に預け戻ってきてくれた。


「先生、大丈夫?」


ルツが左手を差し出すのを情けなく思いながら右手をその手に重ね、握る。

完全に足手まといだ。

助けるつもりが助けられている。


ルツはナナエでも難なく走れそうな道を選びながら手を引く。

それをナナエは必死で追った。

既に子供たちの集団は森の奥へと消えてしまっている。


「ごめんね、ルツ」


ナナエが謝ると、ルツは困った様に笑った。


「先生、謝らないでよ。先生が居なかったら、今頃皆馬車の中で泣いてる」

「でも、みんなの足手まといになってる。皆を助けたかったのに」

「……先生は本当にお姫さまだね」


ルツがいう言葉にナナエは首を傾げてみせる。

以前も聞いた台詞だ。

その言葉の意味が分からない。


「何を言いたいの?」

「本で読んだお姫さまそっくりなんだ。優しくて、意地悪されても恨んだりしないし。困ってる人が居たら、助けようと頑張る。そんなお姫さま」

「……それは夢見すぎだと思うな」


ナナエが眉間に皺を寄せて微妙な表情をしてみせると、ルツは「あははっ」と明るく笑った。

そして、すぐに厳しい表情に戻ってボソリと言った。


「村が襲われたのは、きっと僕らのせいだ」

「……?」

「一昨日、あの長い髪の男に街で会った。姉さんは声を掛けられて嬉しそうに話してたよ。村のことをね。その話の途中で家出してきた貴族の娘が村に居るって話してた。あいつら、子どもを攫って売るだけよりも、貴族の娘をどうにかした方が実入りがいいと踏んだはずだ。あんなにベラベラ喋ってるのを止めなかった僕のせいだ」


口惜しげに顔をゆがませながらルツが言う。

子どもや娘が居る村はいっぱいあった筈だ。

その中でこの村が襲われることになったのは、結局ナナエが居たせいなのだ。

リリンが他人に話したのが悪いわけではない。

ナナエが居たから白羽の矢が立ってしまったということだ。


「違う、リリンやルツのせいじゃないよ。私が迷惑掛けただけ。ごめん」

「そんな……、先生はただこの村に立ち寄っただけでしょ」

「立ち寄るにしても、もっとこう皆にもバレないようにちゃんと振舞えていれば、ね」


ナナエが苦笑しながら言うと、ルツはプッっと吹き出した。


「先生が、たとえボロを着ていたとしても。先生がお姫様だって僕は思ってたはずだよ」

「え?」

「だから悪いのは先生じゃない。考えなしに喋った姉さんも悪いし、止めなかった僕も考え無しだった」


そう言ってルツがナナエの手をきつく握った。

その横顔は後悔を滲ませているようだ。


「そうそう。お前たちのお陰だよ」

「……っあ!」


左手首をぐんっと摑まれてナナエは思わずルツの手を離した。

そのまま力強い腕に抱え込まれる。

ルツをそれを信じられないような顔で見、一瞬その顔を恐怖でゆがませた。

その視線の先には、先程力任せにルツを叩き気絶させた、あの長髪の男が立っていた。

姿が見えないと思っていて油断していた。

てっきりキーツの方に行っているかと思っていたのに、違ったようだった。


「ホントお前たちには感謝しないとなぁ。お前と、お前の姉ちゃんには、さ」


恐怖と、怒りと、後悔と。そんな感情が渦巻き、ルツの顔が更に歪む。

男はそれを楽しそうに眺めながら、手首を摑んでいるのとは反対の手でナナエのケープを剥ぎ取り、ドレスの胸元を強引に破り開く。

そして。

ナナエの胸元にある戸籍登録証を手に取り裏返した。


「ビーンゴ」


下唇をペロリと舐めて男が笑った。

背筋がゾクリとした。

わざわざナナエの戸籍登録証を確認すると言うことは、この男はナナエ・キリヤという名前を知っている。

つまり、バドゥーシ絡みという訳だ。

簡単には逃げ出せないだろう。


「ルツ、逃げなさい」


ナナエの言葉にルツは戸惑った表情で返す。

何を言われているのかわからないと言った感じだ。


「でも、先生……!」

「”先生”だって!っくっく!笑えるねぇ。なんも知らないのか~」

「ルツは関係ないでしょ!」

「関係ないけど、小遣い稼ぎにはなるからね。本業はそっちだし。ほら、ルツくん。大人しくしないと大事な先生、死んじゃうかもよぉ?」


男は腰に差していた短剣を逆手に持つと、露わになったナナエの鎖骨部分にスーッとなぞる様に引く。

ピリリと引き連れたような痛みと共に、うっすらと血が滲んだ。


「先生……」


ルツが拳を握り締めて今にも泣き出しそうな顔をした。

このままではルツを助けられない。


「早く逃げなさい!!!」


ナナエは激しく身をよじると自由な右手で男の顎を下から打ち付けるように突き出した。

突然の攻撃に男はひるむ。


「早く!」


怒鳴るように言うと、ルツは2,3歩後退りした。

それと共に怒気を孕んだ男の手がナナエの頬を打つ。

その瞬間をその目でハッキリと捉えたルツは、それだけで金縛りにあったように動けなくなった。


「……っく!」

「随分舐めたマネ、してくれるじゃねぇか」


そう言ってそのまま手の甲で返すように再び頬を叩く。

口の中に鉄の味が広がった。

どうやら何処かを切ったらしい。

それでも男は飽き足らず、ナナエの頬を打った。

打たれるたびに頭が強く揺さぶられ、意識が遠のく。

意識が遠のくと再び痛みが加えられた。

そうして、口の端から血が一筋流れる。

それを見て、男はやっと満足したように笑った。


「ルツくん。いい事教えてあげよう。この生意気なお姫さまはね、未来の正妃様なんだよ。だからみんな血眼になって探してたのさ。お前たち何十人売るよりもずっとずっとお高いお姫さまなんだよ」


ナナエの意識は既に朦朧としていて、抵抗する力もなくなっていた。

ぐったりと体をその男に預け、ルツの方を見る。

ルツは目を見開いたまま微動だにせず、立ち尽くしている。


「そういや、お前の姉ちゃんがいってたなァ。ルツくん、このお姫さまに夢中なんだって?ちゃんと言うこと聞いて、逃げたガキ共集めてくれば、大好きなお姫さまと1回ぐらい添い遂げさせてやってもいいよ?本当だったら声を聞くことも出来ないぐらい雲の上のお姫さまなんだからさ。嬉しいだろ?」


男は下品な声を上げて笑う。

ルツは怒りと悲しみが混じったような苦々しい表情で俯いた。


「ルツ……逃げなさい」


朦朧とした意識の中、痛んで上手く動かせない口を動かして言う。

それは小さな声だったけれど、確かにルツには届いた。

ルツはバッと顔を上げ、そして首を横に振る。


「先生、イヤだ」


ルツがそう短く言うと、男はさもおかしそうに笑い声を上げた。


「っくっくっく……!もう一つ教えてやるよ。探している奴からの条件は”生死問わず”だ。ルツくんが言うことを聞かなければお姫さまには死んでもらうよ。こっちは死んでても生きてても金は貰えるからなァ。っはははははは!」

「……良いから行きなさい、ルツ」


ナナエが淡々とそう言うと、男は明らかに不機嫌な顔になった。

髪を乱暴に鷲づかみにし、吊り上げるようにして持ち上げる。

その痛みにナナエは顔を歪める。


「ホント不愉快な女だな。匂いだけはプンプンと良い匂いさせてるのによ」


そう言って男はナナエの首筋に鼻を近づけて匂いをかぐような仕草をした。

そしてナナエの首元に歯を立てる。


「このまま、この喉を食いちぎってやろうか。そうすればその不愉快な言葉も出てこなくなるぜ?」

「……不愉快なのはあなたですよ」


その声がした瞬間、ナナエを拘束していた手が突然緩む。

急に自由になった体にバランスをとりきれずよろけると、それを支える腕があった。

その腕はナナエの頭を抱きこむようにして体を抱え込む。


「よく、頑張りました」


透き通るような少し低い声が耳元で聞こえた後、少しの振動を感じ、くぐもった断末魔が聞こえる。

それが、あの男の最期だった。

頭を包み込むように添えられた手。

ナナエはその手の温かさを知っている。


「何でここが……」

「このエーゼルで私に探せない場所などありません」

「ははっ……凄い自信だね」

「まぁ、肝は冷えましたけどね。まさかあの男と一緒に居るとも思いませんでしたし。村について早々、あの男から森に行けと言われるともね」

「あはは」

「……本当に、よく頑張りました」


包み込むように抱きしめられ、まるで子供をあやすかのごとく背中をポンポンと叩かれた。

それだけでなにか凄く認められた気がして、目頭が熱くなった。

他の人からしたら大したことではなかったかもしれない。

それでも、ナナエにとっては頑張りすぎるほど頑張ったのだ。

誰かのために人を傷つけ、傷つけられた。

その方法は、元の世界では決して褒められることではない。

誰かを守るために暴力に頼るなど常識外だった。

だけど、この世界ではそれが当たり前なのだ。

そうしなければ自分が、自分の大事な人たちが守れない。

自分の大事な人たちを守るために、ナナエにはその常識と言う硬い殻を破らなければならなかった。

それは、人を傷つける必要などない日本と言う場所で育ってきたナナエにとって、酷く難しいことだったのだ。

明確な意思を持って人を害することは、今までのナナエにとっては非日常でしかないのだから。


「ルディ……ごめんね」


とても心配をかけたはずだ。

それでも、一つも怒らず、ただ探して。そうして、助けに来てくれた。

少しだけ顔を上げ、ルーデンスの表情を盗み見る。

至極ほっとしたような、困ったような、そんな笑顔だった。

ナナエが好きなルーデンスの困ったような笑顔。

それを見ただけで、酷くホッとして鼻の奥がツンとした。


「無事なら良いです」


そう一言、ポツリと言い、ルーデンスはナナエを抱き上げる。

ナナエは抱き上げられるまま、大人しく従った。

しがみ付くように首に手を回すと、ルディの体温を身近に感じる。

そのまま額を擦り着けるようにして頭をその肩に預けた。

そして頬をそっと胸につける。

微かに香る薔薇の香りは、あの飴と同じ匂いだった。









村に戻ると、粗方の事は片付いていた。

襲った男達は縛り上げられ畑に転がされている。

子供たちを奪われた家々では多少の怪我はあったが命を落としたものは居ないようだった。

その男達を乱暴に馬車に押し込む兵の中にゲインの姿を見つけて殊更に安心する。


「陛下、ご無事で」


そんなルーデンスの元に一番に飛んできて膝を折ったのは、他でもないキーツだった。

ルディの話だと、村に着いたときに既に半数以上の男達は地に伏した後だったという。

その残りと対峙しながらも、ルディを見たキーツは逃げもせず、森へ行ったはずの子供たちとナナエの後を追う様に願ったらしい。

村を襲った男達のボスの姿が見えないことも添えて。

キーツもまた、自分の命を優先させずに、子供たちの身、そしてナナエの身を案じたのだと言う。


「色々言いたい事はありますが、まずは今回の働き、よくやりました。……急ぎ下がり、姫が休めるよう手配なさい」


ルーデンスの言葉にキーツは返事をせず、深々と頭を下げた。

そしてすぐにその場を辞する。

ナナエとキーツが過ごしていたあの家に戻ったのだ。

すぐに休める準備をするために。


次にやってきたのは村長夫婦と、その娘夫婦だった。

地面に額を擦り着けるようにしてルーデンスに感謝の意を述べている。

それを一見冷静そうな顔で淡々と聞き入れるルーデンス。

その実、そんな村長たちの対応に戸惑い、少し困った表情が時折出ているのをナナエは見逃さなかった。

それが可笑しくてくすくす笑っていると、綺麗な灰色の瞳で呆れたように睨まれる。

その表情も更に可笑しく感じて、肩を揺らして笑っていたら、結局ルーデンスも諦めたのか、困ったように笑った。


ルーデンス達に遅れるようにして、ルツから知らせを受けたリリンたちが子供たちを連れて村に戻った。

子供たち全員の無事を知った村人は心の底から喜び、ルーデンスに村長たちと同じように跪く。

そしてそれに習って子供たちまでもがルーデンスに跪き、さっさと家に引き上げることができなかったのが微妙に修羅場だった。

なにしろ村長の口上が長くて、ルーデンスが明らかにげんなりとしているのが手に取るようにわかっていたのに、その村長の口上の後に村長の娘夫婦が、子供たちの親たちがと口上が始まりルーデンスの眉間にだんだんとしわが深く刻まれていったのだから。

途中でゲインが切り上げなかったらどうなっていたかわからない。


また、村に滞在中にキーツとナナエが夫婦と偽り、魔力を抜いてもらっていたことがバレた時は別の意味でひどい修羅場だったのだが、その辺の話は思い出したくないので割愛しよう。

少なくとも、キーツがその時死を覚悟したのは間違いない。


ともかく、エーゼルの民、子供を守った手柄として、キーツの指名手配は解除され、キーツの身柄はルーデンス預かりとなった。

原因となった例の計画を企てたソミア公爵令嬢も、謹慎という名目で自宅に兵士付きの軟禁状態だったのだが、それも、キーツの指名手配解除と同時に解除された。

王家への反逆として公爵の地位剥奪の案もあったが、それはナナエがルーデンスに止める様に頼んだためか回避されたようだった。



その日の夜、ナナエはルーデンスと長く話し合った。

話し合った、というと語弊があったかもしれない。

主に話していたのはナナエで、ルーデンスはそれを傍らで聞いていただけなのだから。

ナナエが何を考え、何を思い、屋敷を出たのか。

この村でどのように過ごして、どのように思ったのか。

取りとめも無く、酷くあいまいで、話が前後するのも構わずナナエは話した。

それをルーデンスは遮らず、根気良く聞き続け、ナナエが感情を高ぶらせて涙すればそれを宥めるように肩を抱き、その手を握った。

そして再び森でのあの言葉を言ったのだ。


「よく、頑張りました」


と。

一生懸命話して、最後にその言葉を聞いた時、ナナエは急に馬鹿みたいに辛くなってしまって、また泣いた。

いや、辛くなったというより、辛かった自分を認めて貰ったのが嬉しかったのかも知れない。

気が付いたらまるで子供のように声を上げて泣いていた。

止め様としてもどうやっても止まらず、結局ルーデンスに抱きかかえられるようにして、長いこと泣いた。

泣きながら不安な気持ちだったことや怖かったこと寂しかったことや辛かったことを再びぶちまけるように、八つ当たりするように泣いた。

それでも、ルーデンスは最後までその話を根気強く聞いた。

ナナエの頭を撫で、「よく、頑張りました」と繰り返しながら。






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