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<16> 先生

誤算があったとすれば。


ディリスはかなり平和な村だった。

モンスターの脅威におびえることなく、どこかの領主の圧制に苦しめられることも無く。

内輪もめが激しかったり、どこかの部族と小競り合いを起こしてたり、なんて事は一切無い。

つまり。

冒険者としての依頼が少ない。

少なすぎるぐらい少ない。

これは冒険者夫婦として居座るには不適切な村ではなかろうかと言う結論に至ろうとしたとき、村長から打診があった。

しばらくこの村で薬師をしてくれないかと。


ナナエはこの村に来て最初は自分やキーツのために薬を調合しては使っていた。

ディリスは山と森に囲まれた薬草などの素材の宝庫だったのだ。

そんな風に毎日を過ごしていたときに、村に病人が出た。

ちょっとした熱風邪だったのだが、この村には医師が居ない。

もし医師に掛かろうとすれば、村を出て山を降り、麓の町まで行かねばならないのだ。

ナナエがよく薬草取りをしていたのを知っている村人が、その時ナナエの事を思い出した。


「ゼルダさんに診てもらえないだろうか」


そういう流れになり、その病人はナナエの元に運ばれたのだ。


──結果、翌日にはその村人はケロリと治っていたのである。


村を出ようかと思っているという偽の冒険者夫婦はそうしてこの村での役割を与えられたのだ。








「ゼルダせんせーーい!」


薬草取りをしているナナエの元に栗色の髪の元気な男の子が駆け寄る。

名前はルツ。年は14歳。

村長の孫である。


「ルツ、もう勉強は終わったの?」

「もちろん!先生、材料集め手伝うから、終わったらまた教えてよ」


そう言って手近な薬草を取り始める。

ルツは利発な子だ。

思慮深く、機転が良く働く。飲み込みも早く、応用力も高い。

なんとなくルーデンスを思わせる、意志の強そうな灰色の瞳が印象的だ。

期待を寄せる村長の娘夫婦が、ルツの勉強を見てくれないかと言ってきたのは村に来て結構すぐの話だった。

屋敷を出るときに唯一持ち出した薬学の専門書をナナエが読んでいるのを見かけたかららしい。

それぐらいでなんで……なんて思ってたら、キーツに専門書なんて学者しか読まないって教えてもらった。

その専門書はナナエがエーゼルの城を出るときに餞別代りにルーデンスから貰った上級者向けのものだ。

凄く大事にしているので持ってきたのだが、それが功を奏したようだった。

そのお陰で家庭教師みたいな仕事をもらえ、実のところ、その縁で薬師として名前が挙がったのだから。


「ゼルダ先生って、手が綺麗だよね」


色々考えながら薬草取りに熱中していると、不意にルツがそんなことを言った。

言われるまま、ナナエは自分の手に視線を落とした。

子供のように不恰好な手。

指先には薬草の汁が滲んで色をつけてしまっている。

そしてふと、あの日のあの手を思い出す。


「何でそんなに悲しそうな顔するの?」


ルツが首をかしげ、心配そうにナナエの顔を覗き込んだ。

ナナエは慌ててニッコリと笑ってみせる。


「ううん、手の形も悪いし、指先は薬草の色になっちゃってるし。綺麗じゃないよ」

「そんなこと無いよ。先生の手は凄く綺麗だよ。……先生、貴族なんでしょ?」

「え?ちがうよ?」

「先生は嘘が下手だなぁ。そんな手のひらの皮の薄い一般人って居ないんだよ」


そう言ってルツは自分の手をナナエの方に向けて開いて見せる。

その手は子供にしては随分としっかりとした手だった。

それと自分の手を比べてしまって、無意識に手のひらを隠すように両手をあわせて握りこむ。

まさかそんなことで一般人じゃないと思われるとは思って居なかったのだ。

ナナエの元いた世界ではナナエのような手をした一般人はたくさん居たのだから。

そのナナエの様子をみてルツは少し困ったように笑った。


「安心してよ。別にそれでどうこうし様とか思ってないし。なんで冒険者夫婦の真似までしてここに居るのかなって思って」

「……なんで?」


思わずそう返してしまって、ナナエは後悔した。

これではまるで嘘を肯定している様だ。


「ジュカさんは、乱暴だけど、ゼルダ先生のことお姫様扱いしてるから」

「してないよ?」


今度は純粋にビックリして聞き返す。

あの扱いがお姫様扱いとは、お姫様が裸足で逃げ出す勢いだ。

だがナナエのそんな反応にも、ルツはくすくすと笑って見せた。


「ゼルダ先生は、水汲みは女性の仕事だって知ってた?」


そう言えば、ナナエはこの村に着てから家で使っている水を汲んだことが無い。

水道が無いのだから、毎日井戸から汲んで来なければならないのだ。

毎朝当たり前のようにキーツが汲んで来るのでそれが当然のように思っていた。


「それに、先生に定期的にお茶出してるでしょ。給仕慣れしてるよね、ジュカさんは」


そういえば、ジュカは最初会った時はお仕着せを着ていた気がする。

行動が行動だけに、普通の使用人という感覚が薄かったが、そう考えると給仕慣れしているのだろう。


「先生もそのお茶、不思議がらずに飲んでるし。出てくるのが当たり前で、飲むのが自然って感じ。普通の家では、あんな風に毎回お湯を入れてお茶を飲んだりしないし」

「…………」

「そもそも、冒険者がそんなしょっちゅう優雅にお茶なんて飲まないよ」


そう言ってルツは楽しそうに笑った。

変わりにナナエは渋面と言っても差し支えは無い程微妙な表情だ。

どう答えればいいか必死に考える。


「結婚反対されて駆け落ち、したんだよ。他のヤツには言うなよ?」


不意の声に振り返れば、すぐ傍にキーツの姿があった。

その落ち着いた態度に安心して胸をなでおろす。

しかしルツはそんなキーツを面白くなさそうに睨んでいた。

そしてキーツに向かって小さく「嘘つき」というのが聞こえた。

本当に小さい声で、ともすれば聞き落としそうな声。

その声はキーツへの不信感を露にしている。

それでも、すぐにルツはニッコリと笑みを浮かべて何事も無かったかのように振舞う。


「そぉ、なんだぁ?でも、反対されるのわかる気がするね。先生にジュカさんは似合わないし」


そうサラリと言ってのけた。

(あれ……?ルツってこんなこという子……だっけ?)

妙にとげとげしい言葉にナナエは首を捻る。


「確かに身分ではな。俺は使用人だし」

「身分だけじゃないけど。ジュカさんと先生、全然つりあわないもん」

「まぁ、ゼルダは俺に夢中だけどな」

「「それはない」」


キーツの言葉に、思わずルツとハモってしまい、派手にデコピンを喰らう。


「あうぅぅ……」


手で額を押さえて呻いていると、その手にルツが手を重ねた。

そして心配そうにナナエの顔を覗き込む。


「先生、大丈夫?」

「あ……うん」


その真っ直ぐな視線に妙にどぎまぎしていたら、キーツに強引に腕を引かれ、腕の中に抱き込まれる。

驚いてキーツを見上げれば、その顔には意地悪そうないかにも悪人っぽい笑いを浮かべていた。

反対にルツの顔は強張って不機嫌そのものだ。


「人の嫁に色目使ってんじゃねぇよ」


ニヤニヤと笑いながらルツを挑発している。

なんだかキーツはとても楽しそうだ。


「ジュカ、ルツをからかうのよしなさいよ」


ため息を吐きながら抗議をすると、キーツはわざとらしくナナエに顔を寄せてその左頬をぺろりと舐めた。

その表情はやっぱり楽しそうで、本気でルツをからかいに掛かっているらしい。

性悪猫の本領発揮といったところか。


「ちょっと、ホントやめてよね。怒るよ?」


顔を上げて上目遣いに怒って見せると、これ幸いと言わんばかりにナナエの唇を塞ぐ。

流石に悪ふざけが過ぎる。

ナナエが派手に抵抗して怒ろうとした時だった。


──ドガッ。


「………っぐぐ」

「先生~先に家に帰ってるから絶対来てね!」


家の方向に向かって駆け出すルツと、わき腹を押さえて蹲るキーツ。

そして額に手を当て、ガックリと肩を落としながら呆れるナナエ。


「あんの…ガキ……っ。傷口蹴りやがった……」

「自業自得でしょ。あんな風な態度、誰だって気分悪いよ?」

「……いいんだよ。アレぐらいしなきゃわかんねぇんだから」


なにが?と首をかしげるナナエを見ながらキーツは肩をすくめて笑って見せた。


「にしても、あんな事でバレると思わなかったな」

「8割がたジュカのせいだね」

「ええっ!!?なんで俺?姫さんが姫さんっぽいせいだろ」

「いいや。私は普通だし。ジュカが侍従能力を発揮しすぎなんでしょ」


2人で腕を組んで考え込む。

まさかこんなに早く、しかもルツみたいな子供にバレるのは想定外だった。


「仕方が無い。さっきの駆け落ち設定で行こう。おばちゃんたちのウケも良いしな」

「駆け落ちかぁ……。なんかそれもルツは嘘だって思ってるみたいだけど」

「ええっ、マジで?」

「うん」


あの時、ルツの目は凄く冷静にキーツを睨んでいる感じだった。

キーツの言葉が全て嘘だとわかっている、そんな風に不信感を露にしていたのだ。


「ルツかぁ……あいつはなぁ。姫さんに憧れてるから、だと思うけど」


なんだか話が変な方向に転がっている。

ルツの去っていった方向を見ながらキーツは難しい顔をしていた。


「……ほら、この間のスライム駆除の日もすげー目で睨んでたじゃん。アレで諦めるかと思ったら、家庭教師申し込んでくるし」


あぁ……確かにあの日の翌日に打診があったんだっけ。

気まずい思いをした気がする。


「気をつけとけよ?ルツにとっては”ゼルダ先生”は憧れの”お姫様”なんだし。油断してると思い余って押し倒されるぞ」

「あはは、ないない」

「あのなぁ……ルツと姫さんは殆ど体格変わらないんだぞ?力だって男の方が強いに決まってる。何でそんなに余裕なんだよ」

「だってルツは子供じゃん?」

「……オ姫様ハ、ザンコクデスネ」


キーツは腕を組んだままで、酷く苦々しい顔をナナエに向けた。








何故こんなことになった。

例の駆け落ち説をキーツが広めたのか、突然緊急女子会なるお茶会に呼ばれた。

っていうか、昨日の今日だ。いくらなんでも早すぎるだろう。

村の情報網ハンパない。


目の前では、村の若い女の子達が集まってワイワイキャーキャー。

俗に言う恋バナに話を咲かせている。


恋バナとかナナエにとっては未知の領域である。

そもそも、彼氏が居たためしも無いし、仲の良い女の子の友達も居なかった。

他人と恋の話で盛り上がったことなど無いのだ。


「ゼルダさんは、ジュカさんとどこで知り合ったの?」

「……えっと、夜会で?」


キャー素敵!みたいな黄色い声が上がる。

その内容はヒドイものだったけどね……っとナナエは人知れずため息を吐いた。

あの夜会で、あの流れで。本気で恋に落ちたとしたら異常だ。


「ジュカさん、素敵だものねぇ。優しいし、格好良いし。あんな人にお嬢様って傅かれてみたいわ…」


……執事喫茶作るか。

いやいやいや。すぐ商売方面に考えるのはよそう。


「いいなぁ、私もジュカさんみたいな人と恋したいわ」

「いやだわ、リリン。やっぱりああいう素敵な人はお姫様とじゃなきゃ」

「身分違いの恋に身を焦がす美青年!ほんっと素敵!」


いつの間にかキーツの容姿についての話で盛り上がってる。

まぁ、その方がナナエとしては変なボロを出さずにすむのでありがたいのだが。

愛想笑いを浮かべつつもお茶のカップを口に運ぶ。


キーツはこの村の女性方に非常にウケが良い。

生来フェミニストなのか、ちょこちょこと村の女性達のお手伝いをしているようだ。

井戸への水汲みも相変わらずキーツがやっているのだが、村の女性達と鉢合わせすると、その分の水も家まで運んでやったりととにかくフットワークが軽く、愛想も良いのだ。

そして女性を褒めるのも忘れない。

いつもと髪形が違えば「いつものも良いけど、今日の髪型も素敵だね」とか、新しい靴を履いていれば「素敵な靴だね。君の清楚な感じにピッタリだね」とか言っているらしい。


どこのホストだ、お前は。


ナナエに対する乱暴な物言いとか行動からは想像できない。

別の生物の話を聞いているんじゃないかと疑ったほどだ。

おまけに、村の男性にも気さくに話しかけ、何を頼まれても二つ返事で受けて引き受ける。

そんな感じでやっているためにいつの間にか男女共に人気の人物になってしまった。

人付き合いのあまり上手くないナナエは逆に箱入り娘で世間知らずな可哀相な子扱いだ。

納得がいかない。


話の盛り上がりについていけずに居るナナエを気にしているのか、エナがナナエの横にポットを持ちながら座った。


「ごめんなさいね?みんなジュカさんみたいな、上品な王子様って感じの人を見るのが初めてなのよ」


エナの言葉に思わずナナエはむせる。

王子様に失礼です。キーツが王子様だったら、本物の王子様が裸足で逃げ出します。

ついでに上品も裸足で全力で逃げます。


「そういえば、ゼルダさんはどちらの出身なの?黒い髪に黒い瞳って言ったらアマークかしら?」


日本ですけどね。

なんて言えるわけも無く、だからと言ってオラグーンともエーゼルとも言いづらい。

どこから情報が漏れるかはわからないのだ。


「ええ……まぁ……」


適当に言葉を濁しながら頷く。

アマークの王子の事が不意に思い出される。

今でもエーゼルの城に滞在しているのだろうか。


「アマークの出身ですって?素敵!」


なぜかリリンがその話に割り込む。

何が素敵なのかわからない。

まぁ、アマークの人がディレックのように皆、真面目で上品な感じだというなら素敵なのかもしれない。


「じゃあジュカさんもアマーク出身なのかしら?」

「ええっと……どう、かな?」


リリンの横に居た女性の質問に、下手なことを言えず、再び言葉を濁す。

するとくすくすと笑い声が上がった。


「お姫様にあんまり根掘り葉掘り聞くのは失礼よ。本人に聞けば良いじゃない」


そうリリンが言うと、周りの女性たちは口々に”そうね”、”そうね”とまたくすくす笑った。

何故笑っているのかわからず、嫌な気分になる。

この何かとすぐにつるんで意味深な行動を取るのがイヤだ。


「リリン、いい加減にしなさいな」


やんわりとエナがたしなめるが、リリンはふんっと鼻を鳴らしただけだった。

それを見てエナは申し訳なさそうに「ごめんなさいね」とナナエに頭を下げる。

どうして良いかわからずナナエは苦笑してみせる。

エナに何かを言おうと口を開きかけたとき、室内にコンコンと強めのノックの音が響いた。


「姉さん、先生借りて良い?」


開け放たれたドアをノックしながらそこに立っていたのはルツだった。

酷く不機嫌な顔だ。

リリンはそんなルツを見ると、同じように不機嫌な顔をする。


「あら、未来の村長様。何でも自分の思い通りにしたいのね。いいわよ、ど・う・ぞ。……ああ、そうそう良い事を教えてあげるわ。このお姫様、アマークの出身ですって。よかったわね」

「言ってる意味がわからないね。もう少し本でも読んで頭の中身を鍛えたら?」

「勉強ができればえらいわけで無いのよ?年上をもっと敬ったら?」

「そっくりそのまま姉さんに返すよ。……弟として恥ずかしいよ」

「あら、ごめんなさいね?忠告ありがとう。じゃあ、お礼に私からも一つ忠告をしてあげる。こんな村の村長なんか……貴族の従者以下の身分なのよ」


そうリリンが勝ち誇ったように言うと、再び周りからくすくすと笑い声が上がる。

そんなリリンを酷く冷めた目で見ながらルツはナナエに歩み寄ると強引にその手を取った。


「先生、行こう」


そう短く言うと、ナナエの手を強引に引き歩き出す。

ナナエはその展開についていけず、戸惑いながらも周りの女性達の顔を見回した。

みな馬鹿にするような視線をナナエとルツに向けている。

ただ一人、エナだけが申し訳なさそうに、居心地悪そうにしていた。


ルツは強引にナナエを部屋の外に出すと、リリンの部屋の扉をやや乱暴に閉める。

そして手は握ったままナナエを家の外まで連れ出した。


「先生、うちの姉さんに誘われても、もう来なくて良いから」

「……えっと、そういうわけには」


下手に対立して目立つわけには行かないのだ。

村で上手くやっていけずに追い出されるわけにもいかない。

特にリリンは村長の孫娘だ。

余計な厄介ごとを作るわけにいかなかった。


そんなナナエの様子にルツは納得がいかないような顔をした後、困ったように笑った。

その笑顔が不意にルーデンスのそれと重なる。

そういえば、エーゼルに居たときはよくルーデンスのこんな表情を見た気がする。


「ほんと、先生はお姫様なんだね」

「……どういうこと?」

「ううん、先生、家まで送っていくよ」


そう言ってルツはナナエの手を引いたまま歩き出した。

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