<15> 無駄な無理
目を開けると薄暗い部屋の中で、視界に入った天井は見知らぬものだった。
なんだか酷く体がだるい。
体も熱い気がするし、微妙に息苦しかった。
ボーっとした頭で瞼を軽くこすると、その視界に黒い影が入り込む。
「トゥーヤ?」
ナナエの言葉と共に額にひんやりとした布が宛がわれ、軽く目を閉じた。
その布の冷たさと、冷たい布越しに感じる誰かの体温が気持ちいい。
「お前なぁ、起きるなり別の男の名前かよ」
酷く呆れた声が上から降ってきた。
誰の声かと少し考えて、キーツの存在を思い出す。
「キ…」
「ゼルダ、平気か?」
”キーツ”と呼ぼうとしたナナエの言葉を遮るように、言葉がかけられた。
見るとキーツは背後に見えないよう気をつけながら、人差し指を己の唇に当てている。
それで初めてこの部屋に、キーツ以外の人物が居ることに気がついた。
「ジュカ、ここどこ?」
「家、借りたんだよ。外出たらお前意識なくしてるし、すげー焦った」
「ん~……ごめん」
「慌てて家借りて看病してたのに、目ぇ開けるなり別の男の名前とか萎えるわー」
キーツが軽口でそう言うと、後ろからくすくす笑う声が聞こえた。
ナナエたちとそう変わらない年代の女性がキーツの肩越しに見える。
とても穏やかで優しそうなタレ目の女性だ。
「ジュカさん、奥さんにあんまり無理を言っちゃダメですよ。熱があるときは多少混乱するものです」
「え~、でもエナさん。目を開けて最初の一言が旦那の名前じゃないって浮気でしょ、それ」
「ふふふ、ジュカさんは焼餅やきなんですね」
状況を飲み込め切れないまま、ナナエも話に合わせた様に軽く笑った。
どうやら、この女性は”エナ”という名前であるらしい。
「すみません、ご迷惑をお掛けしたみたいで」
ナナエが半身を起き上がらせながら言うと、キーツはそれを睨むようにして制した。
そして半ば強引に寝台に押し付けて、再び横たわらせる。
「ゼルダ、起きたら怒るからな?」
「でも、別にお礼ぐらい言ったってい……」
その言葉が終わらないうちにキーツのデコピンで一瞬呻いて額を押さえる。
ナナエの顔を覗き込んだ状態のキーツの顔は不機嫌そのものだ。
眉間に皺を寄せて、口端が少しゆがんでいる。
「うぅ……なんでそんなに怒ってんのよ」
「怒ってない」
「怒ってるじゃん」
「怒ってないだろ~?どこが?俺すっごい普通でしょ」
「うん、普通に機嫌悪いね」
そう言って間近にあったキーツの眉間に手を伸ばし、眉間の皺をぐりぐりと解す様に指先で押した。
するとキーツはばつが悪そうに体を離し、今度は自分の指先で眉間を揉むようにして顔をしかめる。
それを見ていたエナは、また可愛らしくうふふと笑った。
「スープが出来ていますから、食べれるようでしたら奥さんに食べさせてあげてくださいね」
「あ、エナさん。どもっす!助かりました」
笑顔を顔に戻し、軽い調子でキーツがエナに片手を挙げると、エナは軽く会釈をして部屋を出て行った。
外に出たような足音が聞こえるから、家を借りたというのは間借りではなく借家だということがわかる。
毛布を口元まで引き上げながら上目遣いでキーツを見た。
そこにはエナに見せた笑顔はすっかりなりを潜めていて、再び面白くなさそうな顔をしたキーツの顔があった。
「……私何かした?」
ため息を吐きながらナナエが言うと、キーツも同じようにため息を吐きながら首を振った。
そしておもむろに立ち上がると、「食事を取ってくる」と短くいい、部屋の外へ出て行く。
迷惑をかけてしまったことを怒っているのだろうか。
そう思うと、ナナエは少し居た堪れない気分になる。
自分でも、今何故このような状態になっているのかが分からないので頭も混乱していた。
キーツを待っている間、ちょっと寝ちゃおうかと思っただけだ。
魔力を抜かれて少し疲れてたから。
それが気がついたら頭は痛いし体はだるいし、熱っぽいし、息苦しい。
どう考えても体調を崩している。
何故こうなったのかが分からない。
でも、キーツには迷惑をかけたのだろう。
あの店の前からここまで運んでくれたのはキーツだろうし、家の手配や、看護の為に村の人に協力を求めたり。
今も食事の用意をしてくれるという。
なるべく迷惑をかけないようにして、自分が出来ないところだけをキーツを利用させてもらおうと思ってたのに、すっかり世話になってしまっている。
こういうのが嫌で出てきたはずなのに、結局出先でも人に迷惑をかけることしか出来ない自分が嫌だった。
激しい自己嫌悪と共に鼻の奥がツーンとする。
熱のせいか妙に涙腺がゆるい。
「スープだけど食べれそうか?」
スープ皿を左手に、スプーンを右手に持って入ってきたキーツは、そんなナナエの顔を見て驚いたように寝台の横まで急いで来た。
「……どこか痛いとか、苦しい?」
「うん。ちょっと苦しい」
ナナエは毛布を目元まで引き上げて誤魔化す。
するとキーツはまた一つため息をついて、寝台横の椅子にドサリと腰をかけた。
「……悪かったな」
キーツが何を言っているのかが分からず、ナナエは毛布から目だけを出してその表情を盗み見る。
幾分憮然としながらも困った様にその視線をあちこちに這わせていた。
そして、サイドテーブルにスープ皿とスプーンを置くと、キーツは毛布から出ていたナナエの手をとり、握った。
そして反対側の手でポンポンとその握った手をあやすように叩く。
「アンタがお姫さんだってーの忘れてた。3日も野宿させた上に魔力吸ったんだ。倒れても無理は無い」
「ううん、迷惑かけてごめん。もうちょっといけると思ったんだけど……」
ナナエがそう言うと、キーツはナナエの手を両手で握りこみ、再び大きく息を吐いた。
その表情は難しく、何かを言う為に言葉を選んでいるように見える。
「エリザベス様、迷惑だと思って黙っていることで、余計に迷惑になってるってわかってる?」
「…………」
「気づけなかった俺が悪いけど、さ。”これぐらいなら大丈夫”ってそのうち”まだ大丈夫”になる。それが今度は”あとちょっとなら大丈夫”に、そんで”もうちょっと頑張れる”になる。……”まだ大丈夫”の時点でもう無理し始めてるってわかる?」
キーツは淡々と話す。
まるで子供に言い聞かせるみたいに。
「休みたいとかちょっと辛いとか、もう少しゆっくりが良いとか。そういうの迷惑だと思ってんだろ?」
ナナエが軽く頷くと、キーツは大仰にため息を吐いた。
肩はガックリと落ちて、その表情は前面に呆れを押し出している。
そしてやっぱり片方の手でナナエの手を握りながらもう一方でポンポンと叩き、苦笑した。
「迷惑だと思うことが迷惑。無理して倒れられる方がよっぽど大変なんだ。無理する前に相談。無理をせずに合わせられる方が合わせる。これが誰かと行動するときの鉄則」
「うん」
「特にこれから冒険者としてやっていくならこれは絶対なんだよ。お姫さんのその無理は無駄な無理で、その無理が一番の迷惑だ」
「……ごめんなさい」
ナナエがしゅんとして謝ると、キーツはニッコリ笑って「わかればよろしい」と言ってナナエの頭をくしゃっと撫でた。
ナナエの こうげき。
──ミス。
スライムに ダメージを あたえられない。
スライムの こうげき。
──ナナエは ひらりと みをかわした!
ナナエの こうげき。
──ミス。
スライムに ダメージを あたえられない。
スライムの こうげき。
──ナナエは ひらりと みをかわした!
ナナエの こうげき。
──ミス。
スライムに ダメージを あたえられない。
スライムの こうげき。
──ナナエは ひらりと みをかわした!
「なぁなぁ、それいつまで続けるん?」
壁際にしゃがみながら頬杖をつき、キーツが言う。
集中しているんです、ちょっと黙ってみてて居やがれなのです。
ナナエの こうげき。
──ミス。
スライムに ダメージを あたえられない。
スライムの こうげき。
──ナナエは ひらりと みをかわした!
ナナエの こうげき。
──ミス。
スライムに ダメージを あたえられない。
スライムの こうげき。
──ナナエは ひらりと みをかわした!
キーツがため息を吐く。
先程から10分ぐらいこの状況が動いていない。
流石にずっと緊張して動き回っていれば疲労が溜まってくる。
正直、この無駄なラリーに疲れた。
「ジュカ、疲れた。交代!ヘルプ!」
「却下」
「はぁぁあ!??」
即答された言葉にナナエは抗議の声をあげる。
キーツはそんなナナエに満面の笑みで返す。
「無理だと思ったら言えって言ったじゃん!!もう、無理っ!!」
「その無理は無駄な無理じゃないから却下だって」
げんなりとした顔でキーツを見やれば、ニコニコした笑顔のままでやっぱりしゃがんでいる。
交代する気も、手助けする気も全くないようだ。
仕方なしに、ナナエは再びスライムと向き合うことにする。
このデロデロヌルヌルが意外とすばやくてイライラしていた。
きっとキーツに貰ったこの短剣が悪いのだ。
決してナナエがとろいわけではない。うん。
「魔法、使えば?」
「……当たらないのっ、知ってるでしょ!」
「当たるまで何度もやればいいじゃん」
「ジュカに当たっても知らないよ?コントロールできないんだから」
「大丈夫大丈夫。ほら、やってみ」
「もう!ホント知らないんだからね。……ちっちゃい炎!」
ゴウンっと凄い音がして炎の塊が吹っ飛ぶ。
キーツの横に。
…………。
キーツの右横の壁に大きな穴があいた。
「……わぉ」
キーツは驚いたような呆れたような微妙な表情だ。
「ちっちゃい炎!」
ゴウンっと凄い音がして炎の塊が吹っ飛ぶ。
ナナエの後ろに向って。
その炎は暗闇の部屋の中に消えていき、やや間があって大きく何かが壊れる音がする。
目の前のスライムは無傷だ。
「ちっちゃい炎!」
ゴウンっと凄い音がして炎の塊が吹っ飛ぶ。
天井に向って。
激しい音を立ててぶつかり、メリメリっと食い込むと天井に大きなひびが入る。
そして。
派手に天井が崩れた。
危ういところでキーツに襟首を引っつかまれ、後ろに避ける。
すると、崩れた瓦礫でスライムがあっという間に潰された。
「おおぅ!魔法で初めて倒したっ!!」
「……それ、魔法で倒したって言わねぇし」
ナナエが感動に浸るも、キーツは厳しく突っ込みを入れる。
まぁ確かに直接魔法を当てたわけではないのだが、間接的でも当たってんだからそれで良しとしようではないか同志よ。
とか大真面目に言ったら、キーツが酷く呆れた顔でナナエの頭に手刀をかました。
「ゼルダの魔力、笑えるぐらいムダだな!」
「ぐぬぬ……言ってはならぬことを!」
「はいはい。じゃ、次いこ、次」
キーツに促されて、瓦礫の向こうをみると既に新しいスライムがどこからか湧いてきていた。
今回の依頼は廃屋に住み着いたスライムの撤去だ。
スライムを撤去した後、ここに新しい家を建てるらしい。
「しっかし、ゼルダは剣の才能0だな~」
「……まぁ、分かってる」
「魔法の才能はマイナスだけどな。今のところは」
「今のところ?」
「未知数って感じ?なにか向いてる魔法がねぇのかな」
「あるといいけど」
自衛できるようになりたいと、一応剣を教えてもらいはしたものの。
ナナエは本当に才能が無かった。
魔法もダメ、剣もダメ。
これではどうやって自衛すればいいのかが分からない。
やはりキーツの言うとおり、魔法の方向性で探っていった方がいいのだろうか。
「ま、とにかく。スライムの駆除、頑張って」
そう言ってキーツは再び壁際により座り込む。
今日は働く気が0らしい。
まぁ、スライム如きキーツが手を出すまでも無いのだろうが。
「いいこと、思いついた」
「うん、やめとけ」
「聞いてよ!聞いてからにしてよ!」
「はいはい」
「スライム凍らせちゃえば良いじゃん!この辺り凍らせれば後は叩いて駆除して終了!」
「うん、昨日それやったじゃねぇか。樹氷綺麗だっただろ?それで満足して、普通に闘え」
森の半分を凍らせておまけに村長さんのとこの畑も凍らせてこっぴどく怒られたのは昨日の話である。
それから氷魔法禁止令です……。
「もういいよ!もう疲れたし、一発で終わらせてやる!」
「……嫌な予感しかしねぇ」
「スライムなんか、吹っ飛んじゃえ!!」
──ドォォォン。
「よしっ、任務完了っ!」
ナナエがガッツポーズで元気に決める。
そこには任務を達成したという喜びが満ち溢れていた。
スパーーンッ!
そんなナナエの頭の上をキーツの平手が横から打つ。
ナナエはうぐっと呻いて頭を押さえた。
「倒したじゃん!全部!綺麗になったじゃん!何で叩くのよ!」
「ああ、綺麗になったな。家ごと消せばな」
目の前には無残な廃屋。
というか今はただの瓦礫の山だ。
「どっちにしろ壊して新しい家建てる予定だったんでしょ?壊したって良いじゃん」
ナナエが正論とばかりに主張すると、キーツはそんなナナエの顔をチロリと見てため息を吐く。
依頼をきちんとこなしたというのに酷い態度だ。
「家は壊したっていいさ。でも怪我するだろ」
そう言ってキーツはナナエの左頬をぐいっと親指で拭った。
ナナエがその拭った指先を見れば、明らかに血がついている。
慌てて自分の頬を触ってみれば、確かに血のぬるっとした感覚があった。
自分でも気がつかないうちに怪我をしていたらしい。
とっさに壁の影に引き入れてもらえたからこれだけで済んだのだ。
そしてキーツを見て気づく。
キーツもあちこち服が破けて怪我をしているのだ。
「……ごめん、怪我させちゃった」
「俺のはたいしたことねぇし。アンタが顔に怪我するほうがまずいっしょ」
「いや、別にこれくらい気にしないけど」
「俺が、気にする」
キーツが憮然とした表情でいい、腕を組む。
そして再びため息を吐くと、小さく肩をすくめ笑った。
「ま、今日はこれで終わりにしよう。帰るぞ」
「うん」
「アンタ、あんだけ魔法使っても魔力そんなに減らないんだな」
「そぉ?結構もうだるいよ」
「……そっか」
そう言いながら、キーツはナナエの両手で頬を包むように触れると口付けた。
それをナナエは身をよじってすぐに逃れる。
「今日は必要ないでしょ」
「見てる奴が居る。大人しくしてな」
再び落とされる口付けに大人しく従いながらも、薄く目を開け、キーツの肩越しにその人物を確認する。
見覚えのある子だ。ふわふわの栗毛が印象的な男の子だ。
どこの家の子だったか……。
そんなことを考えているうちに、その唇が割られる。
いつもよりずっと軽くではあるが、魔力の吸われる感覚があった。
(今日は必要ないって言ったのに……)
多少恨みがましく思いながらも、ナナエは再び目を閉じた。




