<14> 顔
山を2つ越えた。
途中途中で薬草を積み、擦り合わせ、調合してはキーツに飲ませる。
警戒しながらだが、休憩も多めに取ったので、3日目の朝にはキーツの熱はすっかり引いていた。
傷口も完全にはふさがっていないが、大分良くなってきているようだ。
周りにあった青黒い痣も少し黄色味を帯びてきていて、これも治りかけていることがわかる。
いささか回復が早すぎるような気がしないでもないが、人族とワーキャットでは回復の速度が違うのかもしれない。
「エリザベス様さ~、ディリスに行って何したいの?」
村までもうすぐの所で、いつもどおりに傷口の手当てをしている時。
キーツが不意に口を開いた。
それはキーツが気になっている事のうちのほんの一部だろう。
本当は”なぜ従者を解雇してまで出てきたのか”とか聞きたいことはあるだろう。
でも、それを聞かない。
それは、彼なりの気遣いなのだろう。
「ん~。取りあえず、何かできるようになりたい」
「随分漠然としてるんだな」
「強いて言えば、自衛できるようになりたいかな」
「あー……すみませんでした」
ナナエの言葉にキーツは気まずそうに頬を指で掻いた。
あの夜の事を思い出しているのだろう。
「いや、ほら。魔法もさ、全然上手くいかないし。回りに迷惑ばっかりかけてるし。少しは成長しようかと」
「……迷惑掛けるのって、そんな悪いことかねぇ?」
「え?そりゃー迷惑かけられて嬉しい人は居ないでしょ?」
「……ふーん」
キーツはナナエの言葉に何とも微妙な表情をする。
尻尾がパタパタと地面を叩いていることからも何か思うことがありそうだ。
それでも、キーツは結局その話を続けようとはしなかった。
傷口に当てている布を替え、再びショールを巻く。
もってきたときは真っ白だったショールも、今は所々に赤黒いしみがついていて痛々しい感じがした。
そしてナナエが着てきたドレスもこの3日間ですっかりくたびれてきている。
ナナエ自身も疲れを感じていないかと言えば嘘になる程度にはくたびれていた。
「ところでさ」
「ん?」
キーツが顎に手を当てながら口を開く。
なにやら難しい顔をして言葉の続きを迷っているようだ。
「なに?」
「ディリスに入る前に決めておきたいんだけど。……まず偽名」
「へ?」
「俺は身バレする訳いかねぇし、姫さんも身を隠したいなら使った方がいいと思う」
「……身を隠したいなんて言って無いわよ」
「”誰にも言わないで”って、身を隠したいって言ってる様なもんじゃん」
デスヨネー。
浅はかな言動のお陰で、すっかり読まれてます。
っていうか偽名がばれない様にの偽名って……。
「俺は~……んじゃ、”ジュカ”で。姫さんは?」
「……じゃ、”ゼルダ”で」
とりあえず、適当に頭に浮かんだ名前を言ってみる。
決して度々攫われたり、男装してみたり、海賊になったり、鶏を追っかけまわす草刈が仕事の小坊主に毎回助けられるハイラルのお姫様ではない。決して無いのだ。否定したからな!
「それと、だ。村に入り込んで暮らすにはただ旅人というのでは不審すぎるから、冒険者って事にした方が良いな。こんな怪我負ってても自然だ」
「おおぅ……冒険者って職業あったんだ……」
「冒険者ならたいていどの村も歓迎してくれる。厄介ごとも押し付けられるけどな」
超ゲームっぽい!結構魅力的な響きである。
オラ、ワクワクしてきたぞーーー!
「そうだ、俺と兄妹って事にしよう。兄妹の冒険者ってことで捜索対象から外れやすい」
「問題があります!」
「うん?」
「どっちが上ですか」
「俺でしょ?俺25だもん」
「……同じ」
「その顔と体型でタメか」
キーツの傷口の上にゲンコツをぐりぐり押し付ける。
その体型ってどういう意味でしょうか。そこんとこハッキリさせましょう。
「ぐぐぐぐ!!痛ぇ!痛ぇってば!」
「でもさー、思ったんだけどさ~」
「痛い痛い痛い痛い!」
キーツの喚きを無視してナナエは言葉を続ける。
もちろん、ぐりぐりしたままで。
女性のスタイルについて言及するとは万死に値するんだから仕方ないだろう。
「私とキーツって恐ろしいほど似てないよね!」
ナナエがそう言うと、キーツははじめて気がついたという感じで硬直する。
似ているところが何一つ無いというか、そもそも種族が違うのは不味いって気づけ。
「……猫耳つける?」
「つけない」
派手に動いたら取れる猫耳つけて、人の前で取れたりしたら、それこそわざわざ種族を偽る不審者の完成だ。
もう少し頭を使えと言いたい。
「……夫婦は?」
「え?」
「種族が違っても、似てなくても、夫婦なら問題ない」
「じゃあ、それで」
「あと、問題がある」
「ん?」
「姫さん、魔力が強すぎる。その匂い、一般人には結構ヤバイよ」
結局そこに行き着くのか…。
トゥーヤたちに一人で外に出してもらえない理由の一つは何時もこれだ。
もちろん、刺客からのガードが一番の目的だが、他にも、この魔力に寄ってくる人を避けるためもあるのだ。
「まぁ、村で愛人でも作ってバカスカやって魔力抜いてもらえばいいかと」
「……言葉に恥じらいをお願いします」
「いや、それしか方法無いじゃん?魔法を使うのでも良いけど、早々毎日魔法ガンガン使えないっしょ?いい年して恥らってる場合でも無いだろ?」
キーツの傷口の上にゲンコツをぐりぐり押し付ける。
いい年して、いい年して、いい年して……!言ってはならんことを!!!
「ぐぐぐ……!!!痛ぇよ!何怒ってんだよ!」
「ええ、いい年した生娘ですよ。このまま30まで守り通して大魔法使いになる予定ですよ。それがなにかー!!!??」
そう言うと、キーツは「えっ?」という声と共に何故か硬直した。
微妙に顔が赤い。
「いや…あ、それは。すみませんでした。いや、……この間のもホント。てっきり陛下とはバカスカやってるのかと」
──ガツッッ。
ナナエのカバンがキーツの横っ面張る。角から入った。
目の前ではキーツが頬を抑えながら涙目で訴えるような眼をしている。
どこの悲劇のヒロインだ。
ってか、なぜそんな誤解を受けるのかが全くわからない。
こんなに純真可憐な乙女なのに!なのに!なのにーーー!
「……だって、二カ月前ぐらいから陛下が囲ってたのって姫さんだろ?部屋に入り浸ってるって噂流れてたし、そりゃー普通……ねぇ?」
「その陛下に3週間前まで攫われて監禁されてただけです。それ以上でも以下でも無いです」
「……それで何にも無いとか、陛下の愛、マゾレベル」
ヒドイ言われ様である。……まぁいいか。
1ヶ月以上ナナエを監禁していた報いだ!マゾ陛下でいってもらおう。
「ん~…じゃあ、俺が魔力抜く?イタさない方向で」
「…………」
「そのままでも良いけど、誰かが倒れたり、逆に襲われたりってあるかもしれないけど」
エーゼルの城での出来事を思い出す。
あの時。
ルーデンスの魔力を吸って飽和状態であったとはいえ、目の前で兵士やマリーが昏倒し、セレンたちまでもが立ち上がれなくなった瞬間を見た。
その魔力の影響の大きさに、ひどい恐怖感を覚えたのは内緒だ。
自分でやっておいて怖いなんて言えるはずも無い。
城にはナテル以外、ある程度の魔力があるものしか居ないと言ってたはずだ。
それでも、あの結果だった。
本当の一般人が住む村でそのような事態になったら。
怖い考えが頭をよぎる。そんなことがもし起きたとしたら、身を隠すどころで無い。
逆に派手に目立ったしまうだろう。
抵抗はあるが、キーツの提案が一番無難であるように思えた。
「……甚だ不本意ではあるけど、お願いします。まぁ夫婦と言う設定も活かせて良いんじゃないかと思います」
「わかった。まぁ魔力もらえれば傷の治りも早くなるし、こっちにも得があるから良いよ」
「……キーツ」
「ここからは”ジュカ”で。もしくは”アナタ”でもいいけど」
軽い調子でキーツが言う。
結局この魔力のせいでキーツにも迷惑をかけることになっている。
何が人並みはずれた魔力だ。
使えなきゃお荷物でしかない。
ナナエは一つため息をついて眉を少し歪めた。
「ジュカ、お願いがあるんだけど」
「ん?」
「短剣、持ってる?ナイフとか何でも良いんだけど」
「あるよ。はい」
キーツは刃先を持ってくるりと回転させ、ナナエに短剣を差し出す。
ナナエはそれを受け取ると、おもむろに自分の髪を掴んだ。
どうせならこの長い髪も切ってしまった方がより見つかりにくいはずだ。
その意図を悟ったのか一瞬キーツは驚いたような顔をしたけれど、やはり止めなかった。
止めなかったと言う事は、ナナエの判断は特に間違っても居ないと言うことだろう。
なるべく出て来た時と姿が違う方がいい。
思い切って引くとブツブツッと多少の抵抗はあったが、特に問題なく切れた。
幾分ざんばら気味だがこれは後々きちんと鏡の前ででも整えることにしよう。
「姫さん、度胸あるね」
「姫さん、じゃないでしょ」
「そっか。ゼルダ、だな。嫁さんだし」
「あ、そうだ。ジュカ、冒険者やるなら私に戦い方を教えてよ」
「……いいよ。どのみち村での依頼は受けざるを得ないからな」
「決めるのはこれぐらいかな?」
「だな」
ひとしきり相談し終わり、キーツとナナエは立ち上がった。
太陽は西に傾き始めている。
「そうだ、ゼルダ」
歩きながらキーツがナナエの方を向いて口を開いた。
そして、ナナエに向けて左手を差し出す。
ちょいちょいと手を動かして見るところを見ると、何かを欲しいようだ。
が、あげれるものを持って居ないので、取りあえずその上に右手を乗せてみる。
一瞬”どうしようこいつ……何とかしないと……!”的な顔を向けられたが、そのままその表情は苦笑に変わった。
そして、キーツはしっかりとその手を握り返してきた。
「一応夫婦って設定だから、荷物ぐらい持ってやろうかと思ったけど……ま、こっちでもいっか」
「ああ、なるほど。そういう意図だったのか。言わないとわからんですよ」
「空気読め」
「透明なものは読めません」
そのまま手を繋ぎながら歩き出す。
手を繋いで歩くなど、ナナエにとっては小学校以来である。
なんとなくむず痒い。
「あのさ、ゼルダ」
「うん?」
「夫婦は迷惑かけて当たり前だからな。俺も掛けるし、お前も掛ける。それでフェアだ」
キーツはナナエの言葉を気にしていたのだろう。
だが、ナナエは何も応えなかった。
”そうだね”と言うのも”違うよ”と言うのもなにかおかしい気がしたのだ。
何よりも、これは本物の夫婦ではないのだ。
「頑な過ぎると夫婦じゃないのがバレる。嘘でも何かあったら頼ってる振りを忘れんな」
それは忠告でもあったろうし、キーツの精一杯の優しさでもあるのだろう。
ナナエは黙って頷いた。
もうすぐディリスの村に着く。
ここからは”ナナエ”でも”エリザベス”でもない。
冒険者のジュカとその妻のゼルダだ。
村への門が見えてきた。
それより先の、少し離れたところに民家も見え、中年の女性たちが井戸端会議をしているようだ。
「そうだ、村に入る前に1回魔力を抜いとこう。あそこのおばちゃんたちにも夫婦パフォーマンスみせないとな」
「……うん」
ナナエを抱き寄せるようにして、キーツの顔が近づいてくる。
それにあわせて目を閉じた。
少しだけかさついた柔らかな唇が押し当てられ、食むようにした後、唇が割られる。
軽いめまいに似た感覚は、もう何度か経験のあるものだ。
体が少しふらつくが、それをキーツの腕がしっかりと支えている。
一瞬だけ脳裏によぎった顔がある。
どこまでも無表情なのに少しだけ口元を歪めたトゥーヤ。
それに飽きれた顔のルーデンス。
会いたいなんて思っちゃいけないんだろう。
だって、彼らを置いて出てきたのはナナエ自身が決めたことだから。
いつまでも彼らに守られてちゃいけない。
彼らを守れるぐらいにナナエが強くならないといけない。
それは物理的にというわけでは無く、一番根底の部分が一番の問題だ。
この世界で生きていくにはナナエは、ナナエの考え方は子供過ぎるのだ。
みんなの前に立っても恥ずかしくない自分でありたい。
それが今のナナエの願いだ。
もしかしたら、それまで皆が待っていてはくれないかもしれない。
それでも。
ただ守られているのはイヤだった。
大事な人たちをどうしても失いたくないと思うようになってしまった。
かなりの魔力を抜かれた後、ふらつく足で再び村の入り口へむかう。
自分の腕をキーツの左腕に絡めて、寄りかかるようにして歩いた。
中年の女性たちはナナエたちを見ながら、少し興味深そうになにやら話している。
どこからどう見ても愛し合ってるように見えるはずだ。
そこには一片の愛情も無いが。
「もう着く」
にこやかに笑いかけるようにしてキーツが耳打ちする。
それは傍から見れば仲睦まじい恋人同士にしか見えないだろう。
魔力を抜かれたせいなのか、慣れない旅の疲れのせいなのか、ひどく頭痛がした。
中年女性達の脇を横切るようにして歩き、すれ違いながら挨拶を交わす。
女性達は気さくに挨拶を返しながらも、やはり興味深そうに見ている。
そんなともすれば不躾な視線に笑顔で返す。
そうすれば、その女性達もつられたように笑顔を向けてくる。
そんな調子で何人もやり過ごす。
一際しっかりしたつくりの店の前まで来ると、キーツはナナエに少しここで待つように言い、店の中に入っていった。
ナナエは店の入り口の階段部分に腰掛けて、その手すりにもたれた。
手すりの鉄柵部分が冷たくて気持ちがいい。
体を預けて軽く目を閉じる。
再び浮かんできた顔。
それは誰の顔だったろうか。
そんな認識をするよりも早くナナエは疲れに似た睡魔に身を委ねた。




