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<13> 決意

あー…まぁね。予想はしていましたよ。

前も湖に落ちましたしね。

でもさ、あの時はぐでんぐでんに酔っ払ってたわけだし?

今回は素面だったし。

どこに出るか分からないにしても、地上に出ると思ってましたよ。


「海が綺麗だねぇ……」


太い幹の上に腰掛けながら遠くを見つめる。

朝日に輝き始めた海がまぶしい。


……さて、この状況をどうするか。


下は断崖絶壁。

上は斜めにせり出した岩壁。

ここは崖から斜めに生えていた木の幹の上。

詰んでいる。


一応、1.5mほど先の向いの幾分低い場所には足場らしきものもあって、その先には崖をぐるっと回るようにして細い道がある。

どうやら崖上の森へとつながっているっぽい。


「飛び移る…?……いやいや、まさか!あはははは!」


運動が出来ないわけではないが、流石にこの服で1.5mを飛ぶ自信が無い。

ナナエの服は昨夜クロゼットから引っ張り出した飾り気の無い地味なドレスだ。

こんな裾捌きの悪い服で幅跳びとか無理に決まっている。


まさか、屋敷を出て30分もしないうちに詰むとは思わなかったわー…。


もう一度転移の魔法を使えば……なんて思ったりもしたけれど、転移した先がここより良いとは限らない。

最悪、


*いしのなかにいる*


になったら目も当てられない!全滅コースじゃないか!一人だけど。

ロストはごめん被りたい。


とりあえずは誰かが通りがかるのを待って、助けてもらうしかないだろう。

……助けてもらうだけの自分に罪悪感を感じて出てきたというのに、結局助けてもらう羽目になっているとはなんたる本末転倒だ。


かくして、やはりナナエは海を見て時間をつぶさねばならないようだった。







どのくらい待ったろうか。

日がだんだんと高くなっている。


……くじけそうだ。


このままで居ても埒は明かない。

偉い人も言っていたではないか。


「人生の初期において最大の危険は、リスクをとらないことであーーる!」


このまま何も出来ずに死ぬぐらいなら、レッツチャレンジ”*いしのなかにいる*”!

いやいやいや、石の中は避けるとして、何処か他の場所に転移しよう。

こんな寂しい所、普通の人が通るわけが無い。


ナナエは持って来た肩掛けの鞄を落とさないように胸に抱えて、今度こそはと胸の前でその手を組んだ。

失敗しない様に目をきつく瞑ってきちんと集中する。


「てん…」

「……アンタ、こんなとこでなにやってんの」


聞き覚えのある声に急いで視線を向けると、そこにはやはり、昨夜会ったあの男が居た。

キーツだ。

ナナエの居る木の向う側、あの飛び移れそうで飛び移れない足場に彼は居た。


「……ピクニック?」

「何で疑問系なんだよ」

「いや、その前に!性犯罪者に語る口は持たぬ!」

「……あっそ」


そう言うと、キーツはくるりと背中を向け歩き出す。

やけにあっさりとしている。

今日の彼はナナエには全く興味がなさそうだ。


そしてナナエは思い出した。

キーツは、今日ここに来てから初めての通行人である。

究極クエスチョン!キューキュー!

”*いしのなかにいる*”or”今のところ無害そうな性犯罪者”


「いやいやいやいやいやいや!待って!待ちなさいって!」


声を上げて呼び止めると、キーツは訝しげな表情で振り返った。


「……下ろしてくださいぃぃ」

「なにやってんだよ、一体」

「魔法に失敗したんです。下りられないんです」


情けない顔でナナエがそう言うと、キーツはやれやれといった感じでため息を吐いた。

そうして、腰に下げていた鞭を構え、振る。

すると、その鞭の先はナナエのちょっと手前にある枝を摑む様にして絡んだ。


「その鞭の先、腰に巻きつけて縛って」

「………縛りプレイか」

「アンタ、一度死んでおいた方がいいんじゃね?」

「ウソです。冗談です。頭固いわねー。真面目か!」


キーツの非常に痛い視線に耐えながら鞭の先を腰に巻きつけ、解けないように結ぶ。

引っ張ってその強度を確かめた後、キーツに向ってナナエは親指を立てた。


「ヘイ!兄貴!終わりやしたぜ!」

「…………そのハイテンションはどこからくんだよ」

「キーツには私の気持ちは分からないでしょうね……。私が何時間のこの上に居たと思ってるのよ!」

「知らねぇし」

「地面に両足で立てるって素晴らしいことなのよ!」

「ハイハイ。それじゃ、そこから飛んで」

「いやいや!落ちちゃうし!」

「だからソレ巻いたんだろ。こっちからも引っ張るから、飛んで」

「……なるほど」


キーツに促されるまま、木の幹の上に立つ。

酷く不安定だ。本当にこれでイケるんだろうか。

ドレスの裾が広がっていて、足元が見え辛いのも、そこはかとなく恐怖を感じさせる。


「ああ、先に言っとく。昨日は悪かった」


踏み出すのに躊躇していると、突然キーツがそう言った。

今、それを言う意図は何でしょう……。


「今言わないと、もう言うチャンスが無いかもしれねぇーし」


そう言ってキーツはがけ下を覗き込み、ボソリと「落ちたら死ぬよなぁ」とか言う。

そして、ナナエをチラリと見てまた視線を外し、肩をすくめてため息を吐いてみせる。

この性悪男……ビビらせる気満々で居やがります。


「そ、そ、そ、そんなことでっ!ビビる私じゃないっつーの!!」


びしっと人差し指を突きつけてナナエはキーツに言い放つ。

その膝は笑っている。

しかし、ここで怖気付いては女がすたる。

ナナエはおもむろにドレスの裾の両端を持つと、右の腰の上で結ぶ。

これならさっきまでよりずっと足元が自由だ。

靴は脱いで鞄に突っ込む。

不安定な場所で踏ん張るなら、靴よりも裸足。常識だ。

その姿を見て、キーツのほうが面食らったようだ。


「エリザベス様、なにしてんの……」

「うるさいっ!いくわよ?!ちゃんと引っ張んなさいよね!!」


キーツを叱咤してナナエは少しだけ身を屈める。

助走できない分、腰をかがめて反動でジャンプするしかないのだ。


「いくわよっ、せーーのっ……!」


手を大きく振ってキーツに向って飛ぶ。

それにあわせて腰に巻かれた鞭がぐいっと引き寄せられた。

よし、いける!


ドスン!


「……すっげー痛ェ。むちゃくちゃ痛ェ。死ぬかも」


間近から酷くおおげさな、恨みがましい声が聞こえて、ナナエはそっと顔を上げてみた。

目の前には酷くかったるそうに髪をかき上げるキーツが仰向けに寝転んでいる。

ナナエはその上に倒れこむようにして乗っていた。


「おおぅ……人間クッション。いや、猫クッション」

「クッションじゃねぇし」


このやり取り、2回目である。

キーツの体の上から退き、靴を鞄から取り出して履く。

そしてドレスの裾を直すと、キーツはやっとのろのろと体を起こして座り込んだ。


「エリザベス様のあの怖い護衛くんは居ないの?……ま、居たらこんなことにはなってないか」

「…まぁ、そう、です、よね」


微妙な返事の仕方をすると、キーツもまた微妙な顔をする。

その顔が何となくおかしくて、ナナエはくすくす笑いながらキーツの横に腰を下ろした。


「ここ、どこ?」

「ヌザルの郊外、ヌザルバ山の中腹」

「うん、そこどこ?」

「……ヤボラから馬で東に半日。馬を潰す勢いで来れば、な」

「潰したんだ?」

「アンタの旦那が怖ぇからな」

「旦那じゃないし!婚約とかディンの皇女避けの嘘だし」


ナナエがしかめ面でそう言うと、キーツは鼻を鳴らして口角を上げるようにして笑った。

何がおかしいのかわからないが、至って失礼である。


「外から広間を覗いてた時に、アンタ凄い嫌そうな顔してたから、そうかも、とは思ってたよ」

「だったら襲わないで欲しかったわー」

「…でもさ、陛下と番の耳飾りしてるじゃん」

「それは……」


説明するのが面倒である。

目を閉じて眉根を寄せ、簡潔に説明しようと考えてみてもトゥーヤのことや誰とも番ではないことまで説明しなければならないのだろうか。

……激しく面倒だ。


「まぁ、いいよ。俺には関係ないし、任務も失敗しちゃったし。指名手配中だし……。もう戻れねー」

「……それは私が”ごめんね”って謝るところ?」

「あははは!エリザベス様ってホント変わってるね」


キーツは盛大に笑って見せて、すぐに顔をしかめた。

おなかの左側に軽く手を当て、目を閉じる。

額には脂汗が浮かんでいるようだ。


「なに?筋肉痛?」

「……そこ、ボケるとこ?アンタの旦那にやられたんだって」


そう言って上着のおなかの部分をめくってみせる。

そこにはどう見ても刀傷と思しき深い傷があり、その周りの皮膚は青黒く変色している。

黒い服を着ていたから気づかなかっただけで、出血もかなりあったようだ。


「……旦那じゃないよ」

「でも、アンタに惚れてるだろ。……すげー怒ってたし」

「酷い傷だね」

「蹴りいれられた挙句、斬られたからな。避けるの遅かったら死んでたかもな」


ナナエはバッグを漁ると、念のためにと思って持ってきた傷薬を取り出す。

こんな酷い傷に効くかどうかは分からないが、放置するよりはましだろう。


「大分怒らせたからな~。次会ったらマジ消される」

「まぁ、自業自得」

「だな。…陛下、マジ怖ェ」

「……優しいよ」

「アンタにはそうかもな」


傷口を軽く水で洗い流して傷薬を塗ると、かなり痛むようで、キーツはくぐもった声を上げた。

布を当て、ショールで上からきつく巻く。

応急処置はこの位でいいだろう。


「何処かで休んだ方がいいかも。化膿止めとか飲まないと熱でるよ。……もう出てるか」


触った体はかなり熱い。

こんな傷を負って、こんな熱で普通に動いていたのだから、恐るべき体力だ。

本来ならナナエを助けてるどころの体調じゃないはずだ。

先程の大げさなまでの”痛い”も、大げさではなかったのだと知る。

それでも、キーツは何てこともないかのように平然としていた。


「悪いね、エリザベス様。助かったよ」

「この後どうするの?」

「麓までエーゼルの衛兵が追ってきてたからなぁ。このまま山2つ越えて、ディリスの村辺りでほとぼりが醒めるのを待つよ」

「そこは人目につかないの?」

「そそ。って、あー…エリザベス様に喋っちゃったら意味ないじゃん。アホだ、俺」

「私も行く。私ならその傷を手当てできる」

「……は?」

「だからキーツも私のこと誰にも話さないで」


傷を負い、熱のあるキーツが心配だったし、なにより他人から見つかりにくい場所へ身を隠せるのはナナエにとっても最重要課題であった。

トゥーヤたちがもし探してくれたとしても、今の自分はまだみんなの前に立つ資格は無い。

自分で自分の身を守れるようにならなくてはならないのだ。

そして、バドゥーシからの追っ手にも見つかるわけにいかない。

そして、ここに指名手配中のキーツが居る。

彼なら人目を忍ぶ場所を知っているはずだし、人目を忍ばざるを得ない立場だ。

そして今、酷い怪我を負っている。

ならば、彼は私の助けを借りて逃げればいいし、私も彼の知識を活かして隠れればいい。


「姫さんの護衛くんはどうするんだよ」

「私に専属の使用人は全員解雇した」

「……なんで、って聞かないほうがいい?」

「旅に出たくなったから?」

「なんで疑問系なんだよ」


そう言って笑って2人で歩き出す。

キーツは特に突っ込んで話を聞こうとはしなかった。

それはナナエにとっても凄く都合がよかった。

本当は、エリザベスという名でない事も、何故人目を忍ばなくてはいけないのかも。

それを話したら彼を巻き込んでしまう可能性があることに気づかれてしまう。

気づかれたら、彼は去っていくだろう。

そうなれば、ナナエは自分ひとりの力で身の隠し場所を探さなくてはならなかった。

元々そのつもりではあったけれど、それがかなり難しいことも分かっていた。

ナナエはこの世界のことに本当に無知だ。

この世界のことを知っている、誰かの助けが必要だった。

その助けがナナエを甘やかすような人たちではダメなのだ。

その優しさが心地よくて、いつまでも浸かってしまうから。

その点でもキーツは丁度いい。

多少の罪悪感は感じるが、利用させてもらうしかない。

いつまでも自分を甘やかしていられないのだ。

目指すはディリスの村。

そこで自分自身で立つ力をつけよう。

ナナエはそう決意した。

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