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<11> 睡魔

あの後、すぐにヤボラ領主の館を後にした。

馬車に乗るようにナナエに促したが、のらりくらりと言い訳をして、結局トゥーヤの馬に同乗している。

そして気がつけば、トゥーヤの前に座ったまま、うとうとしたりしていた。

とにかく疲れているようだった。

今日一日慣れない事の連続だったのだろう。無理も無い話である。

なんとか起きていようと頑張っているようだが、眠気に勝てないようだ。

指で両目を開いてみたり、頬を叩いたりと涙ぐましい努力をしていても、すぐに頭が舟を漕いでいる。


ドスッ。


馬の首筋にナナエは顔をぶつけた。恥ずかしいことに鼻からがっつりいった。


「なにをしているんですか……」


馬から転げ落ちそうになるナナエを支える。

打ちつけた鼻を押さえながら体を少し捻り振り返えったその顔は、やっぱりとても眠そうだ。


「ちょっと、眠くて……」


ナナエが言い辛そうにそう言うので、トゥーヤは短くため息を吐いた。

馬車に素直に乗っていれば、ナナエがこんなに我慢する必要は無かったのだ。

体をゆっくり横たえるスペースもあるし、遠慮する必要も無い。

それなのに、馬がいいとわがまま言った挙句、眠気に耐えられないでいる。

ナナエ自身もそれを自覚しているのか、とても気まずそうな表情だ。


「寝てください」


そんな気まずさなどどうでも良いと言った感じに、トゥーヤはナナエの肩を引き寄せ左腕に寄りかからせる。

同行した者みな、ナナエが疲労困憊になっているのはわかっていた。

なぜ、ナナエがそんな意地を張っているのかがトゥーヤはわからず困惑する。

腕に寄りかからせてみても、寝ないように堪えているように見えた。

いつもと違って酷く余裕が無いように見える。

やはり先ほどの出来事が尾を引いているのだろうか。

だとしたら……自分に何ができるのだろう。


それでも、しばらくすると小さな寝息が聞こえた。

少しだけ重くなった左腕を気に掛けながら馬を操る。


「申し訳ありませんでした」


ナナエが寝たのを見計らったのか、シャルが馬を横に着け同じペースで歩かせながら言った。

その内容にどう返答していいか悩む。

確かにナナエは襲われた。シャルの担当した場所で。

だが、万が一の事を考えて2人体制にしなかったのはトゥーヤの采配ミスだ。

ナナエを運ばなくてはいけない状況になった場合に、シャル一人では体格的に無理だと言う事がすっかり頭から抜け落ちていたのだ。

なまじシャルの腕が立つ分、体格が子供だと言うことを忘れていた。

完全にトゥーヤのミスだ。

シャルは己のできる範囲で最善を尽くしていたはずである。


「私の采配ミスです。謝る必要は無い」


そうトゥーヤが言うと、シャルは一瞬、傷ついた顔をした。

言い方を間違えてしまったようだ。

シャルからすれば、力不足を面と向かって言われたと受け取ったのかもしれない。

腕が立つからこそ、それに頼り切って気を抜いたトゥーヤの責任だということが上手く伝わらなかった。

それでも、なんとなく言い訳をするのが面倒で黙ってしまう。

酷くイライラしていた。

どう考えても自分は力不足だ。

まだまだ甘い。


ナナエを危険にさらしたのはもう何度目だろう。


いつも自分の読みの甘さが原因だ。

これでファルカ家次期当主とは笑える話である。

ナナエを危険にさらすたびに、毎回後悔し、激しく自己嫌悪に陥るのだ。

自分の不甲斐なさを自覚して、息苦しくなる。

……左腕に掛かる重みをそっと盗み見た。


この腕を放してしまえば楽になれるのだろうか。


愚かしい考えを振り切るように頭を振る。

わかっている。

この腕は拒まれようとも離す事などできなくなっている事を。

それでもいつかは離さなくてはいけない時が来る。

ナナエは異世界から来たという特別な娘だ。

なんだかんだと言って、異世界に帰る事をまだ諦めている様子はないし、オラグーンからもエーゼルからもその身を望まれている。

どの未来を選ぶにしても、いずれは自由に会うこともままならぬ身になるだろう。

せめてそれまでは。

それまではナナエを守りきらなくてはならない。

それがトゥーヤに与えられた仕事なのだから。






邸宅に戻り、寝入ってしまっていて中々起きそうも無いナナエを寝台まで運ぶ。

だが、予想に反して寝台に下ろしたとたん、ナナエは目を開けた。

ゆっくり休むように言って、寝室から退出しようとすると、起き上がってトゥーヤの後を追う様に居室に移動する。


「……シャンパン、飲みそびれた。1杯しか飲んでない」


酷く不機嫌そうにそう言って、居室のカウチにだるそうにもたれながら腰を掛ける。

肌蹴たケープから破れた肌着が少しだけのぞいていた。

それを気づいたのか更に不機嫌そうな顔をして、ケープの前を引き寄せる。


「マリーを呼びましょう」

「だめ、そこにいて」


怒っている様な口調でナナエは言い放つ。

気が高ぶっているのか、それとも部屋に一人でいることが怖いのか。

判断が付かずに迷っていると、ナナエは呼び鈴を手に取り、マリーを呼ぶ。

シャンパンを運ぶようにマリーに依頼し、そのままナナエは立ち上がり、クロゼットから一際質素なドレスと肌着を取り出した。

それを視界に入れたので、再び部屋を退出することにする。


「そこに居てって言ったでしょ」

「……ですが」

「後ろ向いてて」


不機嫌そう、ではなく完全に不機嫌モードである。

ナナエがここまで不機嫌になるのは今までになかった。

だからこそ、その対応に困惑して戸惑う。

背後では衣擦れの音がして、ナナエが着替えているのがわかる。

しばらくすると少しの間その音が途切れ、ため息が一つ聞こえた。

そしてすぐ後にボスッと何かやわらかいものが叩きつけられたような音がする。

それでもトゥーヤは後ろを向いたまま振り返らずにいた。


「もう、着替えた」


ドスンと再びカウチに乱暴に腰掛ける音と共に再び不機嫌な声が聞こえた。

振り返ると眠そうに少し瞼を落としながらも、不機嫌な顔のナナエがカウチにもたれかかっている。

少し離れたところにあるくずかごには先ほどまで着ていた肌着が乱暴に突っ込んである。

普段なら何でも再び着るから繕ってほしいと主張するナナエが、何も言わずにくずかごに入れると言う事は、その肌着は二度と見たくないと言うことなのだろう。

そこへタイミングよくマリーがシャンパンを持ってやってきた。

マリーはシャンパンをテーブルに置くと、命じられてもいないのに黙ってくずかごを持って退出した。

こういう時、マリーはナナエの心情を汲むのが上手い。

余計なことは聞かず、ナナエのして欲しい事を自然にやってのけるのだ。

それが今のトゥーヤには羨ましくてならなかった。

トゥーヤはナナエが何を考えているのかがわからず困惑するばかりだ。


それでも。

ナナエがシャンパンに手を伸ばすのを制して栓をあけ、グラスに注ぐ。

ナナエはそれをいつもとは違ってちびちびと舐めるように飲んでいた。

そして1本を時間を掛けて飲み、立っているトゥーヤを上目遣いで見た後、ナナエのすぐ横に座るように座面をポンポンと叩いて促す。

その目は据わっていて、酒のせいか有無を言わさぬ光があった。

困惑したまま横に座ると、ナナエはもたれていた体を起こしトゥーヤにも飲むように、シャンパンが少しだけ残ったグラスを差し出す。

渋々とそれを飲み干すと、ナナエは満足したようにグラスをサイドテーブルに置き、トゥーヤの足の上にその頭を乗せる。

そして更に困惑しているトゥーヤを気にすることなく、うとうとし始めた。


「寝台で休んでください」

「やだ」


眠そうにしながらも、トゥーヤの言葉にははっきりと拒否の意思を示す。

しかし、このままここで寝てしまえば体を冷やしてしまうだろう。

主人の体調管理も執事の仕事である。

トゥーヤは叱り飛ばされるのを覚悟でナナエを抱き上げた。

すると、ナナエはあからさまに顔をしかめる。

そして、寝室に行き寝台に下ろそうとすると、ナナエはその両腕をトゥーヤの首に回した。

それは恋人同士がするようなそんな甘いものではない。

首にしがみついて降りまいとする必死さだ。


「……苦しいです」


バランスを取りづらく、片手を寝台に付き、中腰状態で抗議するもナナエは黙ったままだ。

その体勢のまま全身の力でしがみ付くナナエをどうして良いかわからなかった。


ふと。

首元に冷たい感覚があった。

その感覚に、トゥーヤは部屋を退出するのを諦め、体をよじるようにして寝台に腰を掛けた。

そのままナナエを抱き寄せるようにして背中をさする。

それから、ナナエは少しも声を洩らさなかった。

時折鼻をすするような音が聞こえただけだ。


窓の外の空が白み始めた頃、それはやっと小さな寝息に変わった。

トゥーヤも酷い疲れを感じていた。

それは肉体的に、というより精神的に、だ。

何の不平不満も、泣き言も言わず、ただ涙を流していたナナエの気持ちが掴みきれない。

もちろん、あの出来事が起因しているのではあるのだろう。

だが、それにしては不自然な気もする。


とにかく、もう疲れた。

考えるのさえも面倒だった。


トゥーヤはナナエを抱きしめた格好のまま、寝台に体を放り出すようにして仰向けに横たわった。

ナナエはそのままトゥーヤの胸の上で寝ている形になってしまったが、それを移動させる気にもならなかった。

とにかく一度寝て、頭をすっきりさせよう。

それから少しずつ解決していけばいい。

ナナエがトゥーヤの手の内にいる間は、時間はたっぷりあるのだから。

トゥーヤはそのまま意識を手放した。

不覚にも、その時トゥーヤは久しぶりにぐっすりと寝入ったのだった。










目を開けると、視界の中にトゥーヤの寝顔があった。

その余りの近さに驚き、そして先程までの自分の行動を思い出してげんなりする。


あの時、ナナエは思い知らされたのだ。

何かがあっても、魔法があれば何とかできると思っていた。

その自分の浅はかさを思い知った。

制御なんてできなくても魔法が使えればうまく事が運べると過信していた。

結局、魔法を使っても、何一つ上手く行かなかった。

その上、初対面の男に「人を傷つけるのが怖いのか?魔法を使うのが怖いのか?」とナナエの情け無い部分を容赦なく言い当てられた。


何時もそうだ。

ナナエは自分を守るために周りの皆に他の誰かを傷つけさせてきた。

なのに、当の本人は自分の手で人を傷つけることを結局怖がっている。

そして、それを良しとしてきた。

自分の心を守るために、他人の心を犠牲にしているのだ。

その卑怯な自分を抉り出された様な気分だった。


もちろん、襲われかけた事はショックはある。

しかしそれ以上に、他人に指摘された卑怯な自分に傷ついた。

それでいてなお、誰かに守ってもらおうとする自分をどうにもできなくて苛ついた。


ナナエは卑怯な上に無力だ。

その現実を認めたくなくて、トゥーヤにあたった。

破かれた肌着は、無力で卑怯な自分の象徴であるように見えた。

悔しくてくずかごに突っ込む。

それでも、無力であることを自覚してしまったことで、一人になることが怖かった。

トゥーヤを困らせていることもわかっていた。


それでも、トゥーヤの姿が見えなくなるのが不安だった。


トゥーヤを無理やり引きとめ、そうやって引き止める自分に、そして自分の心の平穏のためにトゥーヤを利用している自分に腹が立った。

何度も心の中でごめんなさいと言ったかわからない。

このままではいけないと強く思った。


トゥーヤは優しい。

本人に言えばきっと否定するだろう。

でもわかっている。

きっとトゥーヤはこんな卑怯なナナエをわかっていて、その上で利用されてくれているのだ。

ナナエが無力だからと心配してくれるのだ。

その好意にあぐらをかくようにしてナナエは甘えている。


ナナエはこの世界の人間ではない。

だから原因が何であるにしろ、本当は誰からも守ってもらう資格なんて無いのだ。

なのに、ナナエの周りにいる人々は当然のようにナナエを守ろうとする優しい人ばかりだ。

セレンもタバサもナナエを守るために傷ついた。

マリーもナナエがいなければあんな風に髪や耳を切る事も無かっただろう。

このままで行けばシャルもルーデンス、そしてトゥーヤでさえも。

いずれ巻き込まれて大怪我をするかもしれない。

それがどうしてもイヤだった。

ナナエという人間は元の世界に帰るべきだ。

強くそう思う。

ナナエはこの世界では異物なのだ。

だから世界の理というレールから弾かれるようにできているのだ。

弾かれるためにある異物を守ろうとすれば、その弾かれた物に当たって怪我をするに決まっているのだ。

ナナエ自身が自分でその身を守らない限り、回りにそれは跳ね返る。

それをきちんと受け入れるしかないのだ。



再び、初めて見るトゥーヤの寝顔をじっと眺めた。

意外とまつげが長い。

ナナエに添えられた手を軽く握ってみる。

男性にしては細くスッとした指だ。

ところどころにあるタコは頻繁に使う武器によるものだろうか。

爪の形も女性のように整っている。

子供のような不恰好な手の自分と比べるととても綺麗だ。

ふと、トゥーヤの右耳につけた月の耳飾りが蜀台の灯りにキラリと反射した。

少しだけ切ない気分になる。

ナナエは体を起こすと居室に移動した。

サイドボードから小瓶を一つ取り出し、テーブルに置いた。

それと、メモに少し走り書きを残す。


再び寝室に戻り、ひとしきりトゥーヤの寝顔を眺め、その右耳の耳飾りに軽く口付ける。


できれば、みんなに平穏が戻りますように。

オラグーンがいい方向に転がるように。

皆がもう危険な目にあわなくてすむように。

そう願って、部屋からでる。

まだ使用人たちは寝ている時間だ。

トゥーヤがナナエの部屋にいるのだから、シャルもマリーも気を許してぐっすり寝ているはずだ。

それでも、なるべく彼らの部屋からは離れた道を選ぶ。


邸宅の敷地から抜け出し、心を落ち着かせるように、神に祈るように手を組んだ。

意識を集中させ、そして、最後の言葉を紡ぐ。


「転移」


景色がぐにゃりと歪み、視界が狭まるようにして暗転した。





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