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「李、と言ったね」

 一人は少し喉の渇きを覚えながら言う。

「李月陵。覚えても仕方のない名前だが」

「李月凌、助けてくれて有難う」

「だから、気紛れだよ。と言うより、こいつらが目の届かない所で勝手なことをやりたい放題なのが最近ちょっとばかり気に入らなくてね」

 言われて、小六と呼ばれた車夫が慌てて首を振る。

「やりたい放題なんて、とんでもねぇよ、老李ラオリー。こんな悪さは、全くの初めてのことで」

 小六は頭を振った。月陵は苦笑しながらそれを受け流し、

「小六、二人を目的地まできちんと送り届けるんだ」

 車夫に命じる。だが、

「いやよ」

 少年たちのやり取りを見ていた立夏が、毅然と答えた。

 男三人が一斉に振り返る。石壁に怯えたように背を張りつかせた立夏が、それでも気丈に男たちを睨み返す。

「そんな車には二度と乗らないわ」

 中国人たちには立夏の日本語は理解できないが、それでも彼女が拒否の言葉を吐いているのはその表情で読み取れた。

 月陵は肩をすくめた。

「好きにすればいいさ。但し、この辺りは結構物騒だよ。しかも、このご時世、中国人は日本人にいい感情は持ってないからね」

 そう言って、一人を見る。

 一人は仕方なさそうに小さく頷いた。

「悪さはもうしないよ」

 小六が申し訳なさそうに答える。

「ちょいと脅して、小金でも巻き上げてやろうと思っただけさ。こんなおぼこな別嬪さんを本気で売っ払ってやろうなんてつもりは、毛頭なかったさ」

 月陵と一人と、そして立夏の表情を覗いながら、弁解がましく小六は言った。すっかり毒気を抜かれている。

 一人は覗うように立夏を見る。立夏は反抗的な目を三人の男に向けたが、やがて諦めて目を伏せた。コートの襟を固くかき合わせて、車の方に近寄る。

「それじゃあ」

 一人も月陵に声を掛けて車に戻る。

「ちゃんと送るよ」

 小六が言ったが、立夏には上海語はわからず、黙って横を向いた。たとえ上海語を解したとしても、同じ態度を取ったに違いないが。

 一人は、車が走り出してからふと後ろを振り向いた。

 少年の姿はもうそこに無かった。


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