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14

 甘ったるい煙がたゆたう。

 煉瓦もむき出しになった薄暗い部屋に、退廃の影がゆるゆると蠢いている。四方の壁際に、一人孤独に、あるいは男女が重なり合うようにして阿片の毒に遊ぶ人影がある。すえたような体臭が鼻をつく。体だけではない。拭い難い、魂の腐って行く匂いが充満していた。


 〝彼〟は、暗がりに目が慣れるまで冷たい表情でそこに佇んでいた。

 湧き上がって来る嫌悪感を飲み込む。

 それから、ゆっくりと足音も立てずに部屋を歩き始めた。

 〝彼〟は、男と見えるものの影をひとつひとつ覗き込んで行く。誰かを探しているようだった。何人目かで見覚えのある顔を見つけたのか、腕を伸ばして男の襟首を掴まえ、意識のほとんど無い若い男の顔に自分の顔を近づける。だが、似ているだけで探している男とは別人だったのか、落胆したように相手の体を突き放す。

 ドサリ、と音を立てて男が床に突っ伏したが、部屋にいる他の影は頭も上げなかった。

 〝彼〟は次の部屋に入った。

 先ほどより少し狭い部屋だが、内容は変わらない。〝彼〟は同じ行為を繰り返した。何人目かの男の体を起こした時、〝彼〟の頬が僅かに痙攣した。


 呆け切った若い男の目が、とろん、と〝彼〟を見返す。

「この世の最後の愉しみが、これか――」

 〝彼〟は吐き捨てるように呟くと、暗がりにしなやかな腕を伸ばす。

 白く、細い指先。

 その差し出した手に、長袍姿の男が一本の煙管を手渡した。

 〝彼〟はその煙管を男の手に握らせる。既に充分に阿片を吸った後だったが、男は無意識のうちに再び煙管に火を点け、その甘い煙を吸った。

 〝彼〟は冷たい表情のまま立ち上がった。

「見届けないのか?」

 長袍の男が咎めるように声を掛ける。

「その役目はあんたに任せるよ、老劉。せいぜいあんたも愉しむがいいさ」

 嗜虐的な性癖の男に、〝彼〟は言い放った。


 憎悪が〝彼〟の胸のうちに湧き上がる。

 それは、この男たちに対してのものなのか。それとも、自分に対してなのか。

 〝彼〟はそのみすぼらしいビルから這い出ると、人気の無い里堂で体を屈めて、胃の中のものを吐き出した。

 涙の滲む目で、自分の手を見詰める。

 汚れた手。汚れきった、この――

 〝彼〟は体を起こすと胸もとからハンカチを取り出し、口の端を拭う。それから、ポケットをさぐって小さな紙包を取り出した。つまみ出したジャスミンの花片を口に含む。苦い胃液の匂いが、きつい香りにかき消されて行く。そこで〝彼〟は幾分、気持ちの落ち着きを取り戻した。

今ごろ、あの部屋では阿片に混ぜた毒を吸って男が息絶えている頃だろうか。それとも、これからゆっくりと時間を掛けて彼はその若い命を奪われて行くのだろうか。

 

 そう思った時、自分が男に印度を渡したと言うのに、それがどんな効力を示す毒なのかも知らない事に〝彼〟は初めて気付いた。

 所詮、自分は木偶なのだ。操り人形なのだ。

 〝彼〟は白々しい思いと共にジャスミンの花片を吐き出す。

 右に目を向けると、里堂の闇があった。

 左を向くと、四馬路の眩しいネオンの灯り。

 まるで、それは、自分の心の中のような情景。底の知れぬ暗闇。そして、夜の闇の中でしか咲かぬ徒花のような、盛り場のネオンサイン。目を細める程眩くとも、それは決して日の光とは似ても似つかぬ、偽光。

 〝彼〟は顔を上げ、眩い光の方へと歩き出す。

 それが偽物であったとしても、灯りが無くては先へは進めないのだ―― 


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