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 午後十時を過ぎると、いよいよ四馬路に夜の街としての活気がやって来る。

 黒塗りの車が通行人を蹴散らすように走り抜ける傍に、道端で湯気を立てて包子≪パオズ≫を売る露天商が居り、濃い化粧をした女たちが凍えながら街辻に立ち並ぶと、酔客たちが彼女たちを冷やかして回る。

 寒風吹きすさぶ冬の夜にも、妖艶な熱気が立ち昇っている。

 そんな街にあって、ひときわ派手なネオンが『桃源』の文字を煌かせていた。

 その色とりどりの灯りの下をくぐってドアを開くと、広いフロアに人が通る隙間も無いほどテーブルが並べられている。すぐには、空いているテーブルを探せない。今夜も、まずまずの客の入りだ。

 遊び好きのビジネスマンのグループや、女にねだられてやって来たのか場慣れぬ風の長袍姿の大人、物珍しげに辺りを見回している西洋人、そして、二階席には女たちも寄せ付けず密談中らしい男たち。

 月陵は、厨房へと続く廊下の手前から、店内を眺めていた。時折り、フロア係りを止めて、気付いたことを耳打ちする。

 未だ二十歳にもならないが、マネージャーと言う仕事が板について来ている。客たちも、最初は店の責任者らしき人間のあまりの若さに好奇の目を向けたが、しばらくして彼の手腕でクラブ内がうまく廻っているのがわかると、彼の若さには興味も持たなくなった。

 新しく入って来た客たちをテーブルに案内させ、ボーイたちが一回り注文通りの酒を配り終える。客たちが談笑に入ったのを見届けると、月陵は少し下がった。

 フロアの奥に設えたステージ上、バンドマンがさりげなく自分の定位置に着く。今夜二度目のステージの準備に入ったのだ。

 月陵は客の目のつかない所に立って、肩口のハイボードをちらりと見た。ガラス戸に映った自分の襟元を直す。

 ガラスに映った母譲りの容貌は、冷たい目で凝っとこちらを見ている。

 ドラムがリズムを叩き始める。

 客席の半分ほどが談笑を中断させた。

 いよいよリーナのご登場だ。

 ステージに一段と明るいライトが当てられる。

 タキシード姿のダンサーに導かれて、深紅のドレスに身を包んだ人気歌手がステージに現れる。溢れるような笑顔でステージの中央に立った長身の美女に、客席のファンから声が掛かった。それに答えるように、滑るようなハスキーな歌声が流れ始める。

 月陵は二階席を振り仰ぐ。

 修英が首を伸ばしているのが見えた。

 密談の方は無事終わったのか、周りの男たちも笑いながらステージの方を指差していた。

 ステージ上の歌姫も、扇情的に二階席に視線を送る。

 茶番だ――

 修英もリーナも、恋愛に夢中になるようなタイプの人間ではない。そう言う部分で繋がっている男と女ではないのだ。それは、最も身近に居る月陵が一番よく知っている。

 そして、だからこそ、月陵は彼らの仲に眉をひそめるのだ。

 あの女は、大人しくあなたに従うな女じゃないよ――

 修英がリーナを伴って南洋に往くと言い出した時、月陵は思わずそう言った。珍しく修英は従兄弟として月陵のアパートに食事に来ていた。そう言う時は、修英はビジネスを抜きにして、よく食べ、よく飲んだ。

「だから、面白いんじゃないか」

 修英は紹興酒の瓶を空けながら、笑った。

「彼女と結婚するつもりですか」

「結婚なぁ。狸と狐の夫婦と言うのもどうなるか楽しみだな」

 結局、女に関しても、月陵には修英の心の奥は見えなかった。


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