表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/39

「見て!」

 寒風をものともせずに甲板から身を乗り出し、少女が叫ぶ。

 コートの襟元をかたく合わせ、体をぶるっと震わせると、一人かずとは仕方なく振り向く。

「あれは揚子江の河水ね?」

 束ねた髪が乱れるのもそのままに、冷気に当てられた頬を紅潮させた立夏りっかが海面を指さす。

 この日、運良く晴れた冬の東シナ海は、見事な紺碧色の海原を見せていた。海面は日の光を受けて、きらきらと煌いている。その紺碧の海原に、大量の、濁々とした泥土色の水が、まるで絵の具を流し込んだように、青い海水と色を分かっているのが見える。

「大河は海に到達しても、すぐにはそこに交わらないんだな」

 二人の後ろから声がした。

 振り向くと、身なりの整った中年の男性が立っていた。

「お父様」

 立夏がにっこりと笑う。

「揚子江は遠く西蔵チベットにその源流を発して、六千四百メートル近くの河長を誇る。これは中国を代表する黄河を勝るのだよ。中国人が長江と呼ぶ名の通り。黄河のあの黄色い河水はよく知っているだろう? 揚子江も同じように、河口に到達するまでに尾根の肌を削り河岸を削り、源流では清色だったものが、河口に近づく頃には、その身に夥しい泥を纏うことになる。長い長い旅の間に形作られたものは、すぐには他と交わろうとはしない。中国の河は、まるで―中国と中国 人そのもののようだな」

 戸田泰夫は、泥色の流れの向こうを見透かすような目をして言った。

 それから、静かに自分の横顔を見詰める視線を感じて、すぐに余計なことまで口走ったと気付いた。戸田は、少し困ったように少年の視線を振り向いた。

 周姓を名乗り、日本の華僑世界で生活する少年は、肩をすくめて見せただけだった。

「河口が近いと言うことは、大陸はもうそこだと言うことだよ。この海の色を見ると、ああもうすぐに上海に着くんだな、と思うよ」

 旅慣れた立夏の父は、そう言って、キャメルのコートの襟を立てた。

「さあ、立夏も一人君も下に降りないか。こんな所に長時間居たら風邪を引いてしまうよ。せっかくの上海旅行も、風邪で寝て過ごしたなんてことにならないようにね」

「でも、景色を見ていたいわ」

「下のラウンジからでも見えるだろう」

「うーん…」

 立夏は未練がましい表情を見せたが、一人はほっとした表情で素直に戸田氏に従って階段を降り始めた。既に歯の根も合わなくなっている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ