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「外国に行きたいの?」
「ん? ああ、だってさ、俳優なんてやってるより外国で一攫千金狙った方が未だましかも知れないって思うんだよ。僕は、謙遜でも何でもなくて、本当に実のところ、全然、売れないんだ」
馬羽のせっかく形の良い眉が完全に八の字に落ちてしまっている。その表情と言い方があまりに哀れっぽかったので、一人は思わず笑った。
「あ、笑ったね」
「笑うよ、人間だもの」
「いや、何だか悲しそうに見えたからさ」
言われて、一人は黙ってしまった。
「ま、人間笑ってりゃいい事もあるさってね。お互いにさ。――やぁ、友達が戻って来た。林修英!」
馬羽が大声で呼んだ名前を聞いて、一人は驚いて振り返る。
視線の先に、黒いコートの裾をはためかせて大股に歩いて来る男が居た。サッスーンハウスの鋭角さよりも鋭い空気をまとった長身の男。遠目にもそれとわかる、周りの者を威圧するような、精悍な容貌。
男の、アスファルトを叩く靴音が鋭敏な音響となって、一人の頭の芯を刺激した。
あれが、青幇の若きボス、林修英――
「見ろよ、あいつの方がよっぽど銀幕で映えそうだぜ」
馬羽の言葉が冗談とも思えなかった。
「もっともこんな事あいつに言ってみろ、ぶっ飛ばされるがな」
そう言いながら、馬羽は修英に笑顔を振りまいた。
「家族会議は終わったのかい?」
一人の目の前で長身の二人が寄り添う。黄浦江から吹き付ける風を避けながら、馬羽はコートのポケットから取り出したマッチを擦り、修英が咥えた煙草に火を点けた。
寒風に揺らされる煙を避けるように目を細めながら、修英の視線が一人で留まる。やくざな肩書きを持つ男は、意外にも澄んだ大きな瞳で一人を見詰めた。
一人の膝が震えた。
上海では泣く子も黙る青幇のボスの一人。
体から発散するエネルギーが、やはり尋常ではない。
「華僑の里帰りらしいよ」
馬羽が屈託なく修英に一人を紹介した。
修英は僅かに頷き、それからまるで気紛れに、微かに――笑った。
一人はショックを受けた。
僅かに頬の筋肉を緩ませただけなのに。それは、人の心を根こそぎ魅了する微笑だった。
何故か、一睨みされるよりもずっと戦慄が走った。悪の淵に身を沈める者こそが身につける、魔力。
「それじゃあ、一人、上海を楽しんでくれ。もっとも、気楽に旅行を楽しめるご時世とは言えないがな」
馬羽は一人の肩口を軽く叩くと、その手をそのまま友の背中に回し、一人に背を向けた。
「林修英…………」
男たちの背を見詰めながら、思わず、彼の名を呟いていた。悪寒が背中を駆ける。
修英が怪訝な表情で振り向いた。
一人の緊張は頂点に達していた。
「あんたが、林修英なんだな……」
「そうだが?」
低く、良く透る声だ。
「俺の名をそんな風に軽々しく呼ぶのか」
青幇のボスは、もう微笑んでいなかった。




