そう、ぼくは月を愛でるような男だった
注、主人公は変人かもです。変態かもです。
ぼくは食われるんだろうか。
少なくとも、本人たちはその気のようだ。
その家に入ったのは偶然だった。
気まぐれにすこし遠くまで足を延ばしたら、見慣れない場所まで来てしまい。
それはそれは、趣味のいい家があったものだから。
つい、覗いてみたくなって、ぼくはその戸を叩いた。
出てきたのは、人の良さそうな、それでいてなかなかハンサムな男。やや瞳が青みがかっているのが良かった。
……年は、何歳だろう。すくなくとも、30は超えているだろうけど、ぶっちゃけわからない。だけど、そこがいい。
「どなたですか?」
見た目のイメージ通りよりも渋くて、でも思った通り優しそうな声だった。
なんと言ったものか。
「……あの、道に迷いまして、ここはどの辺りでしょう?」
「ああ、この辺りは意外に入り組んでますからね」
親切に男は、道を教えてくれて。
その上。
「今、おやつの時間だったんですよ。よろしかったらどうぞ」
と、自分から招いてくれた。
断る理由はぼくにはなかった。遠慮はぼくに似合わないだろう。
ちなみに、家に自分から入れてくれなかったら、トイレを貸してくれと言う気だった。
まったく、遠慮なんてする気がない。
その家には入った瞬間から感じる雰囲気があった。落ち着いていて、ゆったりとした香りとも言うべきもの。さらには年代物の家具がいい深みをかもしだしている。まったく、中身までも洋風のそれはそれは趣味がいい家だったわけで。
でも、それ以上に。
そこに、この男の娘なのか、美しい少女が椅子に座っていることに一番センスを感じた。
黒髪で、黒い瞳。白い肌に赤みかがった唇。
日本人形のような、と言う形容詞はここでつくのだろう。
すばらしい、と思った。
お屋敷とは全くあわないはずのその容姿が、逆に彼女とインテリアの双方を引き立たせていた。新鮮だった。
彼女は残念ながら着物でなく、年相応のよく目にするような当たり前の格好であったけれど、うん、むしろ、そうだったらここまでぼくは驚かなかったに違いない。
今までなかった取り合わせを重ねられたことに、ぼくは感動を覚えたのだろうから。
「小夜、お客さんだよ」
―――さよ、と。
男は言った。
小さい夜で、小夜だろうか?
「小夜、さん。ですか?」
「ああ、私の娘でね。小夜子と言うんだ」
「へえ」
小夜子。
なるほど、これはイメージ通りだ。
と、一人でぼくは頷く。
しかし、父親がやや日本人から外れてるから、名前がフランソワ的な感じでも、ぼくは頷いたのかもしれない。いや、それは、いやだな。……うん。
男は手を奧へと差し出す。
「その辺に座っていて欲しい」
……その辺。
ああ、これはこれはいい椅子ですねぇ。
「じゃあ、私はおやつの用意をして来るから」
男は笑って一言、奥へと消えて言った。
道に迷って、偶然に招かれた家。
そこには美しい少女と、その父親が居た。
日本人形と言う、ありきたりな形容詞がこれ以上ないほどに似合う彼女と。
やや青みがかった瞳で、がっしりとした体格だけど優しそうな父親。
二人とも、ぼくの好みだったし。
なによりも。
―――趣味のいい家だった。
だから、ついつい、ぼくはためらいもなく、その誘いを受け入れたわけで。
喜んで、受けてしまったわけで。
おやつの時間とやらが始まって。
なぜか、すぐに二人はぼくの前から姿を消した。
仕方なくそのまま、椅子にゆったりと座ってくつろぎ。
ぜひ、と言われ用意されたお菓子に手をつけていると。
聞こえてきたのは二人の声。
「ねぇ、本当になの? お父さん。本当にいいの?」
「ああ、そうだよ」
なにをそんなにはしゃいでいるんだろう。
そう思っていたら。
次の一言で凍り付いた。
「あれが、今日の夕食の主役だ」
夕食の主役。
そうか、主役か。
客人、じゃないよな。
主役、か。
脇役ならまだしも、主役になるのは初めての経験で。
そのうえ、かなり喜ばれてるらしいかった。特に少女は育ち盛り。
女の子といえど嬉しいんだろう。
――肉のある食事は。
……滅多に食えねぇよな、そりゃ。
ふと、思い出す。
ああ、そういえば。
今日の夜は満月だったな。
……そうなのだ、ぼくは月を愛でる、風流な男だった。
月を数え、日を数え、眺めるのが百ある趣味のうちの一つだった。
……趣味だったんだが、今日までの話だろう。
色々、既に手は付けていたけれど、菓子に薬を混ぜてある様子はなかったので、たぶん、紅茶の方だろう。カフェイン類は苦手なので手を付けなかったんだが。
……どうしたものかな。
母親はいない家らしい。
ふむ。
ふと、考えていると、娘さんがやってきた。
笑顔で。
赤い唇は可愛らしく、表情を彩る。
黒い瞳は心のそこから、その時を待ち望んでいた。
ぼくは尋ねる。
「お父さん……は?」
小鳥のような声で少女は言った。
「今日の夕食の支度」
その声は弾んでいる。
切り揃えられた黒髪がなびく。
「そっか」
嬉しそうだったし、可愛かった。
で、ああ仕方ないなと思った。
そんなに喜んでくれるなら、って。
……あー、どうしよう。でも、どうせ、最期だし。
思っていたことを言ってみよう。
「ぼくさ、ここの家。一目見た時から好きになったよ」
「本当?」
「ああ、すごくいい家だなって思った」
「……ありがとう」
すこし、照れたように彼女は言う。
照れたように、と言うよりは、戸惑って、かもしれない。
ぼくの心残りは、これくらいだった。
「本当にすごく気に入ったんだよ、好きになったんだ」
「……そっか」
「うん、それに……」
あと、出来れば。
「貴方達も。出来れば、友達になりたかった」
心の底からの本心を言った。
そう言って、ぼくは手を伸ばす。
驚いた顔の彼女を見て、ぼくは満足して紅茶を飲んだ。
ぐらつく世界。
すぐに目の前は暗くなっていき。
やっぱり、最期に彼女の喜ぶ顔が見たかったな、とそう思った。
目が覚めた。
ここは……天国?
「やけに趣味のいいところだな」
ふかふかのベッド。なんだか部屋中にいい香りがする。
一枚の絵が飾られて、ネコと老人が描かれた味のある絵だった。
床はフローリング。深みのある木の色、悪くない。
これなら、これで、ぼくは不満がないのだ。
強いて言えば、自分の部屋に見られちゃまずい物があったくらいだ。男としていくつか死ぬ前に処分したかったな。
でも、死んだら気にするのも馬鹿馬鹿しいかな。
……それにしては。
「妙に頭痛がするけど」
なんかズキズキするし……。
って、さらに何かが響いてくる……これは?
痛み?
いや、誰かがやってくる音、足音だ。
……天使かな。美人だといいな。
ドアが開かれ、そこにいたのは……。
「あれ……もう起きたんだ」
ぼくは絶句する。
そのまま、心配そうに近づいてくるのは。
「大丈夫?頭は痛くない」
天使だった。
天使は黒髪で、瞳も黒だった。
「……綺麗だ」
「えっ?」
どうやら、神様は日本人に合わせたらしい。
不満は年齢が低いくらい、かな。そこはぼくの趣味に合わせてくれないのか。
服装が袖無しシャツでジーパンなのは、まぁ許そう。ラフなのは嫌いじゃない。って言うか、たまには悪くない。
……まさか、幼い天使が天国では流行しているのか?
それとも、日本で流行しているのか?日本人に会わせた結果、少女の天使に?
……日本の将来が心配です。
いやでも、古来日本では幼いうちに嫁に行ったわけだから、戦国武将は皆、少女好きだったのかも……。だとすると、今の日本の方があきらかにおかしいわけで。
なんてことを考えていたら、天使はさらに心配そうに聞いてきた。
「あの、寝ぼけてる?」
「……あれ、どっかで会ったことありますか」
ん……心配を通り越し、哀れみの目を向けられたぞ。
「やっぱり、後遺症が……」と呟く天使。なんだ、それは。
えー、どこかで会ったことあるのかなぁ。でも、天使には面識なかったはずなんだけど。
だけど、見覚えがあるぞ。
…………。
ああ、そうだ。
「小夜ちゃん、だね」
そう呼ぶのは初めてだったけど。
小夜ちゃんはなぜか一泊遅れて頷く。
「……うん」
ああ、なるほど。
そういうことか。
「小夜ちゃんって天使だったんだね」
返事はない。
いや、おかしい。
なにかがしっくり来ない。
あれ、もしかして。
ぼくは。
――死んでない?
*
どうやら、ぼくはあの後、なぜか気を失い。
椅子ごと倒れて後頭部を思いっきりぶつけたらしかった。
かなり迷惑だったろうけど、しかも、そのまま泊めてもらったのだった。
つまり、全てはぼくの勘違いだったらしい。
残念なような、ほっとしたような。
でも、押し入れのあれやこれは、処分しなきゃまずかったし。うん。
今からそう考えると、かなり恥ずかしいこと言ってたな。目が覚めてからの方が、やばかった気もするけど。
ぼくはさらに朝食までごちそうになり。
いや、本当に申し訳なかった。
でも、めっちゃ美味かった。
「お父さん、本当に料理上手ですね」
「いやいや、私なんてまだまだだよ」
なにも謙遜しなくても、コックにでもなれそうですよ。本当に。
ぼくはそう思ったが、どこか遠くを見るような目で男は言う。
「妻は……もっと上手かったから」
ぼくは言葉を失う。
「そう……ですか」
ようやくそれだけをぼくが絞り出すと、そんなことないよ、と小夜ちゃんが言った。
「お父さんもすごく料理上手だよ」
それは、たんたんとした口調だったけど。
お父さんは嬉しそうに頷いていた。
……きっと、いろいろあるんだろう。
*
帰るときには小夜ちゃんにお見送りまでしてもらった。
どうでもいいけど、うちに帰ったら怒られそうだな。いろいろ。
学校は連休で休みだからいいけど。
とにかく、ぼくはお礼を言う。
「ありがとうね、わざわざ」
「ううん、べつに」
「……楽しかったよ」
「……うん」
短い間だったけど。
本当に楽しかったし、嬉しかった。
「まぁ、主役にはなりそこねたけどね」
彼女の髪が揺れる。なに、と尋ねるような目。
「……いや、こっちの話」
まぁ、あれは聞き間違いかなにかだったんだろう。
まだ残念がっている自分がいるのがなんか怖いけど。
……また、来てもいいのかな。
駄目、だろうな。
いつもは遠慮しないのに、変なところでしちゃうから駄目なんだ、とよく後悔していたことを思い出した。でも、どうしようもないから後悔するんであって。
わかっていても素直にはなれない。
「それじゃ、ね」
ぼくは歩き出す。
名残惜しいけど。
「ねぇ」
小夜ちゃんは、声を絞り出すように言った。
「ん?」
「また、来てくれる?」
それは今まで言われたことのない言葉だった。
あれ? 嬉しいなコレ。
初めて知った、人に会いたいと言われることはこんなに嬉しいんだな。
「ああ、もちろん」
絶対に。
小夜ちゃんは嬉しそうに笑った。花でも咲いたようだった。
今度は……そうだね。
「また、満月の日にでも」
「だめ」
――なんだって?
「それは、だめ」
彼女の赤い唇が歪む。三日月を形づくる。
「だって、また我慢しないといけないでしょう?」
それはやっぱり、ぼく好みな表情だった。
ぼくは笑い返す。
うん、また来よう。
―――満月の日に。
……かは、わからないけど、ね。
絶対に、また、ここに来よう。そう思った。
その時には、少しはまともなことを話したい。
あと、残しておくとやばいものは一応捨てとくことにして。
どちらのエンドにしても幸せだった、そう思う。
って言うか、この主人公が不幸になる気がしない。