辺境伯に嫁いだ訳あり伯爵令嬢は、今日も内偵に勤しんでいます
一ヶ月ほど前から王宮の居候になっていたセーラは、王妃であるエリノアからの呼び出しにすぐに応じた。
「セラフィーナ。いよいよ明日は、お前がグランバル辺境伯領へと旅立つ日だ。準備と覚悟はできているだろうな?」
エリノアの私室に出向いたセーラは、彼女と向かい合ってソファーに座る。挨拶もそこそこに問われたセーラは、落ち着き払って言葉を返した。
「はい、王妃様。問題ございません。私などのために諸々の手配を整えていただき、誠にありがとうございます」
神妙にセーラは頭を下げたが、エリノアは僅かに不満そうに言い聞かせた。
「己を卑下するようなことを口にするな。一ヶ月の短い間ではあったが、お前はれっきとした私の娘でこの国の王女である。その誇りを忘れることは許さん」
「肝に銘じておきます」
「ところで、あの未熟者の神もどきは、この結婚について何か言っていなかったのか?」
エリノアがあっさりと話題を変えると、セーラは困ったように説明した。
「縁談について王妃様が修道院に書き送ってこられた夜に、たまたまアルス様がいらっしゃいました。それで手紙の内容をお伝えしたら、大層お喜びになっておられました。その後はいらしていないので、詳細についてはお話ししておりません。ですが王妃様。アルス様はれっきとした神様で、私に加護を授けてくださった方なのですから、未熟者などと仰らないでいただけないでしょうか?」
両者から多大な恩を受けていると認識しているセーラは、控えめにエリノアに申し出た。しかしエリノアは、そんな懇願を一蹴する。
「お前が親から縁を切られて修道院送りになったのは、元はと言えば《《あれ》》のせいだろうが。未熟者を未熟者といって何が悪い」
「王妃様も、私の両親をろくでなしだと評しておられたではありませんか。それであれば、そのような方々と縁を切られたのは私にとって幸運なことです。それに修道院での暮らしは、私にとって必要な試練を神が与えたものだと思っております。ですからアルス様を責めるつもりはございませんので」
本気でそう思っている義理の娘を目の当たりにしたエリノアは、呆れ気味に溜め息を吐いてから話を進めた。
「相変わらず、お前は本当に人が良いな。それが少しばかり心配なので、王家からの祝いとは別に、私から個人的にお前に結婚祝いを与える。アニー」
王妃からの呼びかけに、壁際に控えていた二十代半ばと思われる侍女がソファーまで足を進めた。彼女がその横で軽く一礼すると、エリノアが淡々とセーラに告げる。
「このアニーをお前に付ける。辺境伯家に連れて行け」
「え? あの、でも……」
いきなりの話に、セーラは二人の顔を交互に見ながら戸惑った。そんな彼女に、エリノアが言い聞かせる。
「アニーには家族はいないし、本人も了承済みだ。それにお前の教育が終わっていないので、向こうでその補完もやってもらうからな」
それを聞いた途端、セーラは真顔で尋ねた。
「そうなのですか? それはどのようなものでしょう?」
「セラフィーナ様。これでございます」
すかさずアニーが両手で差し出してきた代物を目にしたセーラは、初めて目にしたそれに困惑の色を深めた。それで正直にエリノアに尋ねる。
「あの……、王妃様。物知らずで申し訳ございません。アニーが手にしている物はなんでしょうか?」
「鞭だ」
「そうでございますか。それで鞭はどのように使う物なのでしょうか?」
素っ気なく答えたエリノアに、セーラは恐縮しながら問いを重ねた。するとエリノアが重々しい口調で言い出す。
「お前は教養を習得していても、人の上に立つには決定的に欠けているものがある。それは威厳だ」
そう言い切られてしまったセーラは、硬い表情で頷いた。
「威厳、ですか……。それは確かにそうですね。そして辺境伯夫人となるからには、それが必要不可欠だと……。その視点は欠けておりました。お恥ずかしい限りです」
「恥じることはない。完璧な人間など、世の中に一人もいないのだから」
「そうでございますか? 王妃様は完璧な女性だと思われるのですが」
セーラは不思議そうに常日頃から思っていることを口にした。彼女が本気でそう思っているのが分かったエリノアは、笑いを堪えながら話を進める。
「嬉しいことを言ってくれる。だがお前に分からないだけで、私にもれっきとした欠点があるのだ。しかしそれを認識し、常にそれを克服する努力を怠らないようにしている。だからできればお前にも、そうして欲しいと願っているのだ」
「私も王妃様に倣って努力したいと思います」
決意に満ちた表情で深く頷いたセーラを見て、エリノアは満足そうに笑った。
「お前ならそう言うと思っていた。アニーは鞭の使い手でな。お前の威厳を高める手段として、鞭の習得が効果的なのだ。だから向こうに着いて落ち着いたら、アニーに教えを乞うと良い」
「王妃様。身に余るご厚情、ありがとうございます。きっと完璧に鞭の扱い方を習得してみせますわ。アニー、これからよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
そしてアニーと主従の挨拶を済ませたセーラは、ありがたく鞭を受け取って与えられた部屋に引き上げていった。そんな彼女を見送ってから、エリノアは含み笑いでアニーに声をかける。
「そういうわけだ。くれぐれもよろしく頼むぞ」
どう見ても面白がっているとしか思えない主人の姿に、アニーは思わず自分の立場を忘れて渋面になった。
「本当によろしいのですか?」
「当たり前だ。人目につくところで修練させて、辺境伯家の面々の度肝を抜いてやれ」
「……かしこまりました」
気の毒に、あの女性は平穏な結婚生活など送れないだろうなと同情したものの、アニーは余計なことを口にせず、恭しく頭を下げた。
※※※
ごく少数の者達に見送られて王宮を後にしたセーラ達は、数日をかけて辺境伯領に到着した。グランバル城に花嫁一行の馬車列が吸い込まれていくのを、周囲の領民達が興味深そうに見守る。自分達の主君の結婚が決まった経緯を知っているだけに、城内の者達が花嫁一行に向ける視線も微妙なものにならざるをえなかった。
「セラフィーナ嬢。ここまで遠路はるばるご苦労でした。お疲れでしょうから、今日はゆっくり休んでください。挙式は三日後ですので、それまでに主だった面々と顔合わせをします」
「ありがとうございます。そうさせていただきます」
大広間で花嫁一行を出迎えたグランバル辺境伯コンラートは、不機嫌さを押し隠しながら淡々とセーラ達を迎え入れた。そんな彼の心の声にセーラが耳を傾けると、ほぼ想像通りの内容を感じ取れる。
(全く……。レオナルドがいるし、後妻など迎えるつもりはなかったものを。我が家の勢力と兵力を妬んで、ちょっかいを出してきた馬鹿どものせいで。それにしてもそちらの勢力を押さえ込むために、王家が無理矢理王女を仕立て上げて送り込んでくるとは思わなかったぞ。しかもよりにもよって我が家に寄越したのが、得体の知れない《《これ》》とはな。見た目は整っているが、それだけの頭が軽そうな女じゃないか)
きちんと体面を取り繕ってはいるものの、彼の内心では不平不満と疑念が渦巻いている状況に、セーラは深く納得してしまった。
(辺境伯様の立場としては当然でしょうね。予想に違わないお考えで、さすがは王妃様だわ)
それは予め、辺境伯はこんなことを思っているだろうとエリノアから聞かされていた内容と大差なく、セーラは改めて彼女に対する尊敬の念を新たにした。そこでコンラートが、隣に立っている子どもを紹介してくる。
「こちらは息子のレオナルド。今五歳です」
「初めまして、セラフィーナ様」
「レオナルド様。こちらこそ、よろしくお願いします」
話には聞いていたけど本当に可愛らしいとセーラがほっこりしていると、彼はどこか不安そうな面持ちで自分を見上げてきた。
(綺麗な人だな……。でも、これからこの人を「母上」と呼ばないといけないのかな? あまりそんな風に言いたくないんだけど……)
(レオナルド様にしてみれば、そう思われるのは当然です。本当にお気遣いいりませんから)
不安と困惑が入り交じったレオナルドの内心を読んだセーラは、真顔になって彼に声をかけた。
「レオナルド様、よろしいですか?」
「はい、セラフィーナ様。何でしょうか?」
「私を母上と呼ばなくても構いませんよ? あなたのお母様は、お亡くなりになった前辺境伯夫人だけなのですから。ですから私のことは、セラフィーナかセーラと名前でお呼びください」
真摯に申し出たセーラだったが、何故かレオナルドは口ごもりながら弁解する。
「あ、いえ……、決して母上と呼びたくないというのではなくて、母上と呼んだらセラフィーナ様に申し訳ないと思いまして……」
「あら、どうしてですか?」
「その……、セラフィーナ様は三十歳になっている父上と比べたらかなり年下ですし、僕のような子どもがいたら嫌がりそうだなと思ったもので……」
控え目に息子が申し出た内容に、コンラートが僅かに反応して視線を向けた。それに気がつかないまま、セーラが真顔で話を続ける。
「私は別に気にしませんが、確かにレオナルド様に母上と呼ばれたら周囲の皆さんが気分を害すると思いますので、やはり名前で呼んでいただけないでしょうか?」
重ねて要請されたレオナルドは、ここで素直に頷いてみせる。
「分かりました。それではセーラ様とお呼びします。ですから私のことは、レオナルドかレオと呼んでください」
「分かりました」
「ですが、どうして僕があなたを母上と呼んだら、皆の機嫌が悪くなるのですか?」
心底不思議そうに尋ねられたセーラは、笑みを深めながら説明を加えた。
「それは『無理矢理仕立て上げた王女もどき』とか『いかにも見た目だけの頭が軽そうな女』とか『使い放題の財布を手に入れたと勘違いされたら困る』とか『王都の連中から面倒なものを押しつけられた』とか『修道院育ちの厄介者』とか『あの程度の容姿で辺境伯を誑かせると思われたのは腹立たしい』とか、他にも色々と私のことを快く思っておられない方々が、早速辺境伯の後継者を手懐けたと、反感を持つと思われるからです」
「…………」
周囲の男達の心の中を読んでいたセーラは、その内容を抜粋して語って聞かせた。見事に言い当てられた彼らは揃って顔を強張らせ、レオナルドは怪訝な顔になって反論する。
「はい? そこまで失礼なことを思っている人間など、ここにはいないと思いますよ? 皆、セーラ様を歓迎していますから」
そんな純粋な子どもに余計なことを言うつもりはなかったセーラは、苦笑して軽く頭を下げた。
「それは大変失礼いたしました。お城で色々と忠告されたもので、万事控えめにして騒ぎを起こさないようにと考えていたものですから」
「セーラ様だったら大丈夫だと思いますよ?」
「ありがとうございます」
そこで話に一区切りついたと判断したコンラートは、内心の動揺を押し隠しながら横柄に言い放つ。
「賢明な判断でなによりだ。一応、あなたに辺境伯夫人としての待遇は与えるが、レオナルドに関して余計な口出しはしないでもらいたい。私の妻として、息子の母親としての役割など微塵も求めていないからそのつもりでいてくれ」
「かしこまりました」
「え? 父上? あの、セーラ様も何を言っておられるんですか?」
レオナルドが狼狽しながら二人を見上げたが、セーラは微笑んだまま頷いた。そんな彼女を面白くなさそうに眺めたコンラートは、斜め後ろを振り返りながら命じる。
「それでは長旅で疲れているだろうし、早速休んでもらおうか。カリナ、後を頼む」
それを受けてコンラートの背後から、年配の女性が進み出た。
「セラフィーナ様、侍女長のカリナです。以後、よろしくお願いします」
「こちらこそ、アニーともどもよろしくお願いします」
「それではお部屋にご案内します」
早速歩き出そうとしたカリナを、セーラは引き止めた。
「あ、ちょっと待ってもらって良いかしら?」
「はい、構いません」
無表情でカリナが足を止めると、セーラは彼女とは別方向に歩き出した。
「コンラート様、ちょっとこちらに来ていただけますか?」
「どうかしましたか?」
控えめに申し出たセーラに、彼は不審に思いながらも歩み寄った。そして他の者達とは少し距離を取ると、セーラが真剣な面持ちで囁く。
「後列の緑色の上着の方、私が万が一散財して予算の再編成を余儀なくされたら、帳簿が精査される可能性が生じて困るというような顔をしておりますね」
「なんだと?」
瞬時に険しい表情になったコンラートだったが、セーラは恐れげもなく言葉を継いだ。
「私、人の表情を読むのが得意ですの。それでは失礼いたします」
そしてセーラは待たせていたカリナの後に続き、大広間から出て行った。それを見送った男達が、遠慮のない感想を口にし始める。
「何やら妙な方でしたな」
「まともな方とは思っていませんでしたが。何と言っても、例の十五年前の騒動の原因の方ですし」
「確かあの方の言動のせいで、当時の側室が産んだ第一王子が、実は陛下の血を引いていないのが露見したのですよね?」
「あの騒ぎは凄かったらしいな。結局、側室に連なる家がこぞって失脚したし」
「あの方のご実家もその憂き目をみて、あの方を修道院に放り込んだのだろう? なんとなく浮世離れしているとは思ったが」
好き勝手に言い合う家臣達を無視しながら、コンラートは目線で長年の重臣を呼び寄せる。
「何かご用ですか?」
「ラング。内密に話がある」
真剣そのものの主君の表情に、ラングも瞬時に真顔になってコンラートと共に歩き出した。
与えられた部屋にセーラが落ち着くと、アニーがお茶を淹れながらさりげなく尋ねてみた。
「セーラ様。早速、幅広く聞いてみたのですか?」
「一応ね。初対面の時、念のために聞いておくようにと王妃様に指示されていたから」
「それで、親切にも教えて差し上げたと? ですが、素直に信じると思っておられるのですか? 下手をすると胡散臭く思われるだけですよ?」
アニーは控えめに苦言を呈したが、セーラは全く動じずに言葉を返す。
「信じる信じないは向こう次第でしょう。結果までは責任を持たなくても良いと思うの。これから一応夫婦になるわけだし、それなりの誠意は示すべきだと思うから」
「そうですね。セーラ様の判断にお任せします」
こうなったらなるようにしかならないなと、アニーはあっさりと腹を括って話を終わらせた。
※※※
来訪当初はほとんどの者から隔意を持たれていたセーラだったが、半年ほど経過する頃にはグレンバル城内ですっかり受け入れられていた。そしてその頃には表には出せない彼女の活動も、水面下で広がりを見せていた。
「コンラート様。こちらがアーリアス商会に関する報告書になります。ご確認ください」
少し前に城下の調査を依頼していたコンラートは、執務室の机でセーラから報告書を受け取った。
「ああ。目を通しておく。それから今回雇い入れた者達に関してはどうだろうか?」
「そちらに関しても、問題ございません。変なところに繋がっている方はおりませんでしたから」
「それなら良かった」
「それから帳簿に一通り目を通しておきました」
淡々と交わされる会話に、室内にいる補佐官達は溜め息を吐きたいのを堪えながら仕事を続ける。
「それでは報告は終わりましたし、失礼します」
「ちょっと待ってくれ」
「はい、どうかされましたか?」
全ての報告を済ませたセーラは、あっさりと引き上げようとした。それを若干焦った様子で、コンラートが引き留める。それで不思議そうに自分の言葉を待っている彼女に向かって、コンラートが重い口を開いた。
「その……、ここに来てから色々手伝ってもらって、助かっている。きちんと礼を言っていなかったと思ってな。それで」
「それは当然です。王妃様に、妻になるからには辺境伯様のお仕事の手助けをするように厳命されておりますので、お気遣いなく」
神妙に話し出したコンラートの台詞を、セーラが大真面目に遮る。それを聞いた彼の顔が、僅かに引き攣った。
「……私の手伝いをするのは、王妃がそう言ったからか?」
「はい、そうです。それ以外に特に理由はありませんが」
「…………」
何を言っているのかと言わんばかりの顔つきで、セーラが不思議そうに述べる。恋愛感情など微塵も窺えない彼女の様子に、コンラートは口を閉ざした。
(ご領主様! それくらいで挫けたら駄目ですよ!)
(できればそういうデリケートな話は、他に誰もいないところでして欲しいのですが!?)
ひたすら空気になって業務を進めている補佐官達の心の叫びは、当事者達には届かなかった。
「それから……、初対面の時にかなり気分を害するような内容を口にしたし、それについてきちんと謝罪をしておこうと思ったのだが」
「初対面の時ですか? 特に気分を害するようなことを言われた覚えはないのですが……。どのような内容でしょう?」
ここでセーラは本気で戸惑った表情になった。本当に思い当たる節がないらしいのを察したコンラートは、思い切って申し出る。
「だから、『私の妻として、息子の母親としての役割など微塵も求めていない』との発言を撤回して、きちんと謝罪をしたいのだが」
「撤回も謝罪も必要ありませんが。そもそも私とコンラート様は政略結婚ですもの。そういう場合、往々にして妻として母親としての役割を求められないのが当然だと、王妃様から教えていただいております。初対面なので一応どんなことを考えておられるのか探ってみた時も、私のことをかなり胡散臭い女と思っておられましたし、それも当然だと思っておりました」
すこぶる冷静に返されたコンラートは、顔色を変えながら食い下がった。
「確かにあの時はそうだったのだが、今ではそんなことを思ったりはしていないぞ!?」
「ええ。勿論、存じ上げております。皆様に温かく接していただき、受け入れていただいて感謝しておりますわ」
「確かにそうだが、そうではなくて! いっそのこと、今の私の心を読んでみてもらっても構わないのだが!」
何やら必死の面持ちで訴えてきたコンラートに向かって、セーラは穏やかな微笑みを浮かべながら告げた。
「コンラート様は誠実でいらっしゃいますのね。ですが『親しき仲にも礼儀あり』という言葉もございます。軽々しく他人の心を読むべきではございませんし、節度は守っておりますので。コンラート様のお気持ちは、重々承知しております」
「いや、全然分かってないだろう!?」
コンラートがなおも言い募ろうとしたところで、無粋にも程があるノックの音が響いた。
「入るわよ! セーラ、話は終わった?」
コンラートの妹であるレイチェルが、ドアを開けて颯爽と現れた。そんな年上の義妹に向き直ったセーラは、笑顔で頷く。
「ええ、レイチェル。ちょうど終わったところよ。行きましょうか」
そんな予定を聞いていなかったコンラートは、不思議そうに尋ねた。
「どこかに出かけるのか?」
「はい、城下町に行ってきます。ちょっとした捜しものがありますので、レイチェルに同行をお願いしました」
それを聞いた彼は一瞬不満そうな顔つきになったものの、傍目には落ち着き払って声をかける。
「そうか……、それでは二人とも、気をつけて行ってきなさい」
「はい。行って参ります」
女二人が執務室から姿を消すと、コンラートは室内にいた補佐官の一人に確認を入れた。
「二人にきちんと護衛を同行させているだろうな?」
「勿論です。目立たないように付けてあります。ご心配なく」
元々男勝りで武芸に通じた妹の行く末について頭が痛かったコンラートだったが、最近では妻に関しての悩みが増える一方だった。
※※※
執務室から引き上げた二人は、セーラが目立たない衣服に着替えを済ませてから、連れ立って城下町へ出かけた。
「ねえ、セーラ。行き先を聞いていないけど、今日は買い物でもあるの? 商人に必要な物を持たせて、城に出向かせれば良いのに」
並んで街路を歩きながら、レイチェルは不思議に思いながら尋ねた。それにセーラが苦笑気味に答える。
「買い物ではなくて、捜しものなのよ。今日一日で見つかるとは思えないから、これから時々出歩くことになるかもしれないの」
「そんなに面倒くさい捜しものなの? それなら大勢を動員した方が良いから、遠慮しないで言って頂戴」
嫁いできてからそれなりの日数が過ぎていても、いまだに控えめなところがある義姉に、レイチェルは真顔で申し出た。それにセーラは笑って首を振る。
「人手が多ければ見つかりやすいというものではないから。それに、わざわざ付いて来てくれなくても大丈夫よ? いつも城下町に出ると、レイチェルは美人だから囲まれて大変そうだもの」
「セーラを一人で城から出すわけにいかないもの。それに男の護衛を付けるわけにもいかないから、私で良ければいつでも付き合うから。だけどどうして男の格好をしてるのに、女性にまとわりつかれるのか意味が分からないのだけど」
「あら、十分中性的で素敵よ?」
愚痴っぽい呟きに、微笑みながらセーラが感想を述べた。それを聞いたレイチェルが、少しばかりうんざりとした表情で述べる。
「正統派美人のセーラに、そう言われてもね……。だけど不思議よね。どうして顔を隠しているわけでもないのに、城下町を歩いていてもセーラは絡まれないのかしら?」
(それは、アルス様がおまけでつけてくれた加護のおかげだけど)
本気で首を傾げている義妹に、人ならざる存在について言及するわけにはいかなかったセーラは、真顔でしらを切った。
「それほど印象に残らない顔なのよ」
そこでレイチェルが、いかにも疑わしそうに尋ねてくる。
「……それ、本気で言ってるの?」
「勿論、言っているけど。おかしいかしら?」
「セーラの常識が少しばかりおかしいのは、分かっているつもりだったけど。まだまだ理解を深める必要がありそうだわ。これはお兄様も前途多難よね」
平然と答えるセーラを見て、レイチェルは肩を落としながら呻くように呟いた。
※※※
セーラが城下に出かけて静寂が戻った執務室に、勢いよくドアを開け放って少年が乱入してきた。
「父上! いらっしゃいますよね!?」
「どうしたレオナルド。騒々しいぞ。ここをどこだと思っている」
場を弁えない息子の行為に、コンラートは苦言を呈した。しかし六歳になる息子は恐れ入るどころか、憤然として父親を睨みつける。
「父上、いい加減にしてもらえませんか? セーラ様を『母上』とお呼びしたいのですが?」
「……呼べば良いだろうが」
分が悪いのを悟ったコンラートは、微妙に息子から視線を外しながら言葉を返した。しかしレオナルドが言葉を続ける。
「さりげなく『母上とお呼びしても良いですか?』と尋ねても、『そんなことをしたら天国のミリーナ様が悲しく寂しく思われます』と泣きそうな顔で言われてしまったので、無理強いもできないじゃないですか!」
「…………自分で説得しろ」
語気強く訴えてくる息子から目を逸らしたままの領主に、室内にいる補佐官達は生温かい視線を送った。ここでレオナルドが、悲鳴じみた叫びを上げる。
「そもそもセーラ様はいまだに、子どもというのは夫婦が揃って神様に願いを立てて、それが通じると準備した揺りかごに子どもを授けてくださると本気で信じている方なんですよ!? 一体全体、どういうことですか!?」
「………………子どもの頃から修道院で養育されたから、仕方がないといえば仕方がないだろう」
父の弁解じみた台詞を耳にしたレオナルドは、決定的な一言を放つ。
「はっきり言わせてもらえば父上の、夫としての甲斐性は皆無だということですね! 王国の剣、ガルニー山脈の盾と言われた父上がそんな体たらくだとは、情けなくて涙が出そうですよ!」
「………………」
息子からの容赦がなさすぎる一言に、コンラートは椅子に座ったまま片手で顔を覆った。さすがに彼を不憫に思った補佐官達が、レオナルドに懇願する。
「レオナルド様。事実ですが、面と向かって言わないであげてください」
「自分の不甲斐なさは、本人が一番分かっておりますので。どうかこれ以上は」
「お前達……、揃いも揃って私を擁護するつもりはないのか?」
息子同様、この件に関しては容赦がない側近達に、コンラートは恨みがましい視線を向けた。するとレオナルドが、真剣な面持ちで再度口を開く。
「話を変えます。午前中にセーラ様と顔を合わせた時、今年の誕生日プレゼントで欲しい物はないかと聞かれました」
「そう言えばそろそろだったな。それで? お前は何と言ったのだ?」
話題が変わったことにコンラートは安堵しながら、話の続きを促した。
「『当ててみてください』と言って考えてもらったら、彼女は少し考えて『弟か妹が欲しいのですね? レオだったら優しいお兄さんになりそうです』と笑顔で言い当てました。相変わらずセーラ様の洞察力と占星術の能力は凄いですね」
「そうか……」
セーラが他人の心が読める事実をいまだに知らない息子に、コンラートは曖昧に頷いてみせた。するとレオナルドが淡々と話を続ける。
「そしてその後、『それでは城下町でコンラート様の愛人になってくださる女性を探してきましょう』と言われました」
「どうしてそうなる!?」
予想外の話の流れに、コンラートは思わず声を荒らげた。するとレオナルドは、負けじと父親に怒鳴り返す。
「それは僕の台詞です! 思わず『セーラ様が産んでくれれば良いと思いますが!』と言いましたよ!」
「言ったのか……。それで、彼女は何と?」
「『私とコンラート様とは政略結婚ですから、それは無理です。ですが正式な夫婦以外で愛人を作る行為を不倫と言って、その愛人との間に愛があれば神様が子どもを授けると修道院にいた人から教えてもらいました。だからコンラート様と愛人の方に子どもが授かるように、妻の私もお祈りすればきっと大丈夫です』と自信に満ちあふれた眩い笑顔で言われてしまいましたよ! それに僕は、何と返せば良いんですか!?」
「…………」
息子の憤然とした叫びに、コンラートは両手で顔を覆って項垂れる。補佐官達はそんな親子に対し、無言のままなんとも言えない視線を向けていた。
※※※
「今日も一日、健やかに平穏に過ごすことができました。変わらず私を見守ってくださる神様に、感謝の祈りを捧げます」
後は寝るだけとなった状態で、セーラがベッドに座りながら神への祈りを捧げていると、背後から皮肉っぽい声がかけられた。
「相変わらず感心なことだな」
聞き覚えのある声に、セーラは顔つきを明るくして振り向く。すると自分以外に人がいないはずの寝室で、中空に浮かんでいる子どもの姿を認めた彼女は、嬉しそうに彼に向かって挨拶した。
「まあ、アルス様。ご無沙汰しております。二ヶ月ぶりくらいでしょうか? お忙しそうで何よりです」
「……それは嫌味か?」
「今の台詞の、どこがどう嫌みに聞こえるのでしょうか?」
「そうだな……、お前はそういう女だったな。ところでその後、ここでの暮らしはどうだ?」
一瞬不愉快そうに顔を歪めた子どもは、外見には似合わない疲れた表情を浮かべながら話を切り出した。それにセーラが嬉々として応じる。
「はい。この二ヶ月ほどの間に、領内に潜んでいた敵国の密偵を一人、その人物の協力者を五人捕縛できました。それから密輸業者も」
「違う! そんなことはどうでも良い!」
苛立った様子のアルスに報告を遮られてしまった彼女は、不思議そうに考えを述べる。
「でもアルス様。王妃様に『王城や王都もそうだが、辺境伯の領地でもそこそこ鼠はいるだろう。片手間で良いから捕えておけ』と命じられましたので。夫であるコンラート様に協力するのは、妻として当然の務めだと思います」
「それはそれ、これはこれだろう! そもそも妻の勤めの中に、密偵を捕縛することなど入るわけがないよな!?」
「それは一般的な妻の場合で、王族や貴族の妻であれば含まれるのではありませんか?」
「そんなわけあるか!! もっと真っ当に考えろ! この前も、きちんとお前自身の幸せについて考えろと言ったはずだが!?」
セーラの人生に関しては、前々から予想外の展開になりがちであったため、自分よりも上位の神から叱責を受け続けていたアルスとしては、なんとか軌道修正を図りたかった。しかしそんな事情を知ってか知らずか、セーラはのんびりとした口調で話題を変えてくる。
「幸せといえば、レオナルドからお誕生日のお祝いに、弟か妹が欲しいと言われましたの。それで今、コンラート様の愛人になってくれる方を探しておりますので、見つかったら子どもを授けてくださいね? よろしくお願いします」
「……は?」
「あ、もしかして、神様にも分担があるのですか? そうですよね。アルス様は生まれてくる子どもに加護を授ける神様でした。すっかり失念していましたわ。それなら子どもを授ける担当の方に、よろしくお伝えください」
満面の笑みで言われてしまった内容が咄嗟に理解できず、アルスは呆気に取られた。そして自分に向かって深々と頭を下げたセーラに、重々しく声をかける。
「……あのな、セラフィーナ」
「何でしょうか?」
心底不思議そうな顔で問い返されたアルスは、色々な意味で面倒くさくなってしまった。
「いや、もういい。邪魔したな。それではお前なりに頑張れ。また様子を見に来る」
「はい、それでは失礼します」
一礼したセーラが頭を上げた時、室内には自分しか存在していなかった。それを確認した彼女は、満足しながらベッドに潜り込む。
「最後にアルス様にお目にかかることができたし、今日は良い一日だったわ」
周囲の困惑など全く気がつかないまま、彼女はその日一日を思い返しながら、幸せな気持ちで眠りに就いた。




