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元魔法少女は変身しない

作者: 千歳 ケイ
掲載日:2026/06/15

 無数の光を放つガラスの巨塔があちらこちらにそびえ立ち、漆黒の空をきらびやかに染め上げている。摩天楼と呼ぶにふさわしいこの場所のはるか上空に、怪人―ギルバルタは姿を現した。


「世界の皆さん、こんばんは。これからこの世界は、私たちのものになります」

 能面をかぶったかのような不気味な笑みを浮かべ、男が空へ手をかざすと、夜空よりもさらに一段深い闇が上空を覆った。大都会を歩く人々は異様な光景を見て逃げまどい、車はけたたましいクラクションをそこら中で鳴らす。男が腕を振り下ろす刹那――


「ギルバルタ! そこまでよ!」


 桜色のフリルが揺れる。世界を闇が覆う寸前のところで、光の障壁が圧倒的な魔力を打ち消した。その中心で一人の少女が杖を握りしめている。


「何者だ!?」


 ギルバルタは焦ったような口調で叫んだ。少女は先端に深紅の石が埋め込まれた杖をひと振りして答える。


「私はチェリー・セラフィ! 魔法少女よ!」


 逃げまどっていた人々が足を止め、空を仰いでいた。チェリーと名乗った少女の姿を見て、「魔法少女だ! 頑張れ!」と歓喜の声を上げる者もいる。


「魔法少女だと……ふざけるな! そんなものに、俺の計画を邪魔されてたまるか!」


 ギルバルタがチェリーに向かって指を差す。指先には魔力が集まっているのか、禍々しい光が集まっている。


「おとなしくしなさい! あなたに勝ち目はないわ!」


 杖の先端に光の粒子が集まり、バチバチと音を立てながら爆ぜる。そして特大の一撃を放とうと杖を振るうその刹那――強烈な異音が鳴り響き、鈍い痛みが頭にのしかかってきた。そして、世界は白に包まれた。



「起きろ、社畜」


「……んん」


 重たい瞼を押し上げると、目に飛び込んできたのは煌びやかな摩天楼ではなく、賃貸マンションの白い天井だった。枕元ではスマホのアラームと目覚まし時計がけたたましい音を立てている。のそのそと毛布から這い出してきた白いモフモフに声を掛ける。


「おはよ、コタロー。今何時……?」


 ウサギのように長い耳に、くりくりとした目、真っ白な毛並みはふんわりしていて、とてもやわらかい。小さく手のひらに乗るサイズのモフモフは、見た目だけはとても愛くるしい。


「7時10分、そろそろ出ないと遅刻じゃないの?」


 見た目には似合わないしわがれた声でコタローは平然という。


「……って、やばいじゃないの! コタロー、悪いけどパン一枚トーストしてもらえる?」


 7時50分には家を出なければ遅刻してしまう、私はベッドから飛び起きて洗面所へ向かった。


「うわ、ひどい顔。昨日夜更かししすぎたかぁ……。これだから月曜日は嫌なのよ……」


 昨日は日曜日ともあって、昼過ぎまで寝てしまい、当然のように夜、上手く寝付くことができなかった。翌日は朝から仕事だというのに深夜まで起きてSNSや動画サイトをだらだらと観てしまったことを後悔した。鏡を見ると目にはくっきりとクマが出来上がり、顔色も悪くくすんだ色をしている。寝ぐせでぼさぼさになってしまった栗色の髪を急いで櫛で整える。


「ほら、トースト焼けたぞ」


 キッチンからコタローの低い声が響いてきた。「ごめん、ドライヤーしたらすぐ行く!」と応答して、急いで髪を整えた。



「――日中は晴れ、夕方からゲリラ雷雨に警戒が必要となるので折り畳み傘の準備を忘れないように――」


「ほら、見ろよ、今日のお姉さん。やっぱり、こういう清楚な子が一番かわいいんだわ」


 コタローは私がトーストを食べるのを横目に、器用に後ろ脚で頭を搔き、おっさんのような感想を言いながらテレビを見ている。これでも昔は世界を救うために私の元にやってきた使い魔と呼ばれる神聖な存在だ。それが今では完全に力を失っていて、残ったのは完全に性格がおっさんと化した謎の獣だった。


 私は特に味わう暇もなくトーストを食べ終えて、化粧をする。面倒くさいと思いつつも、社会人たるもの、会社に行くときの最低限の化粧は欠かせない。昨日の夜更かしのせいで、ファンデーションが思うようにのらないので、肌のくすみと目元のクマは最低限コンシーラーで隠した。今日はそこまで気合を入れる必要も時間もないので、左右の眉のバランスだけ整え、簡単にアイラインを引いたら、あとはマスクで顔を隠すことにした。我ながら、ものの数分で最低限のお化粧ができるようになったのは一種の魔法なのではないかと思う。


 そして、タンスからストッキングを取り出して、履こうとすると見事に伝線した。


「うそでしょ! ちょっとコタロー、テレビ見ながらでいいから、新しいストッキング取って!」


「まったく、こき使いやがって」


「使い魔なんだから主人の命令は聞くの! ほら早く!」


 やれやれといった様子でコタローはパッケージに入った新しいストッキングを持ってくる。スカートを履き、ブラウスにジャケットを羽織ったら立派なOLの姿だ。テレビを見るとギリギリ7時48分。何とか出社には遅れずに間に合いそうだ。


 足早にパンプスに足を通して、玄関を開ける。


「じゃあ、行ってきます! ごめん、コタロー、鍵はお願いね。ご飯はカリカリ置いてあるから適当に食べて!」


 黒須レイナ、28歳。10年前まで魔法少女だった私は、今、立派に社畜をやっています。



 駅の改札を抜けるとホームにはすでにスーツの集団が押し寄せていた。自宅の最寄り駅は車庫があり、この駅から始発の電車が多い。少し待てば確実に座って通勤できるという評判もあり、郊外とはいえそれなりに人気のエリアだ。駅の周辺は大規模な開発が行われていて、駅ビルも立派なものが建っている。

 飛行魔法が使えたら、こんなに焦らなくても会社までひとっ飛びなのにといつも思ってしまう。


 魔法少女でいられる年齢は成人するまで。それ以降は急激に魔力量が減少してしまい、簡単な魔法すら行使できなくなってしまう。引退した後は育成機関に勤める人も多いみたいだけど、私は何となく成り行きで大学に進学し、そのまま社会の荒波に揉まれる方を選んだ。


『まもなく電車が参りますので、ホームドアから離れて――』


 喧噪の中で駅員のアナウンスが流れた。熱心にSNSを見る人、本を読む人、新聞を読む人、黙って電車を待つ人、大勢が気だるそうな顔をしながら電車が来るのを待っている。


 ややあって、ホームに電車が滑り込んできた。ドアが開くと人々が一斉になだれ込んだ。私は列の前方にいたので、どうにか電車のロングシートの端っこに腰を掛けることができた。


 昨日は全然寝れなかったし、会社までゆっくり寝ようかな。


 イヤホンで耳をふさごうとすると、斜め前方に白髪のおばあさんが杖を突きながら居心地が悪そうに立っているのが目に入った。おばあさんの目の前に座るサラリーマンは見ないふりをするかのように瞼を下ろし、さらにその隣の女子高生3人組は周りの様子を気にする様子もなく、友達との会話に花を咲かせていた。


 ああいうの見ちゃうと、ほっとけないな。私はおもむろに席を立って、声を掛けた。


「おばあさん、良かったらどうぞ」


 私だって寝不足だ。決して元気ではない。でも、このまま何もしないほうがもっと気分が悪かった。


「あら、ごめんね。ありがとう」


 おばあさんは笑顔でお礼をいうと、私の座っていた席に小さな体を収めた。隣に座っていたサラリーマンの男はこちらを一瞥し、小さく舌打ちをした。女子高生たちは特に気にかけた様子もなく談笑を続けている。


「……別にいいじゃんね」


 小さくつぶやく。お年寄りの笑顔を見て、少し誇らしい気持ちでつり革につかまった。



「おはようございます!」

 定時の15分ほど前に会社に着くと、多くの社員が自席に腰を掛けて、パソコンのモニターとにらめっこしている。私も自席に座ると、そそくさとパソコンの電源を入れた。


「黒須さん、おはようございます」


「あ、宮内くん、おはよう」


 ログイン情報を入力していると、隣の席の宮内くんが黒いスーツに身を包んでやってきた。


 彼は半年前にこの会社に入社してきた新人だ。うちの会社は小規模なシステム開発をしていて、私はこの会社でエンジニアとして働いている。プログラムを書くのは、昔、魔術式を考えていた時のようで、私には合った仕事ではないかと思っている。


 宮内くんも情報系の大学を卒業して入社してきた。うちの会社は服装の縛りがゆるく、外部との打ち合わせがないときはオフィスカジュアルで働くことも許されているけど、今日の宮内くんはネクタイまで締めてかっちりした格好に見える。


 彼もパソコンにログインをすると、切れ長な目に細い黒縁の眼鏡を装着した。このメガネはブルーライトをカットするために掛けているらしく、度は入っていないようだ。確かにずっと画面と向き合う仕事をしていると目を酷使するし、私も買ってみようかな、と思って彼に聞いてからすでに3か月が経過していた。


「宮内くんは、今日は外部と打ち合わせがあるんだっけ?」


 開発アプリを開きながら聞いてみる。


「そうなんです。私がそんなに話すわけではないのですが、課長に同席するように言われてまして……お客さんとのやり取りは初めてなので緊張します……」


「そっか、勉強と思って頑張ってね!」


 いずれ顧客に仕様の説明などをする機会も出てくるだろう。私も最初同席したときは緊張したなと思いながら自信なさげな彼にエールを送った。



「宮内さん、ちょっと来てもらえる?」


 打ち合わせが終わると、手を招きながら課長が宮内くんを自分の席に呼んだ。課長の表情はどこか厳しいものに感じる。


「宮内さんが真面目に仕事をやっているのはわかっているけどね、もうちょっと自信もって話さないとダメだよ」


「はい……すみません」


 宮内くんが課長に頭を下げる。自分でも悔しいと思っているのか、しょんぼりした表情だ。


「お客さんからこれでお金をもらっているわけだし、僕らもプロとして仕事しているわけだから、次からはもっと堂々とね。そうしないとお客さんも不安に思っちゃうよ」


「……はい」


 落ち込む宮内くんに課長は「次は期待しているから、戻っていいよ」と伝えた。課長が言っていることは全面的に正しいし、宮内くんも反省はすべきだろう。でも、落ち込んでいる彼の表情を見たら、どうしても黙っていられなかった。


 宮内くんが席に戻ってくると声を掛けた。


「怒られちゃったね、緊張した?」


「はい……」


 普段のフレッシュな笑顔はなく、暗いトーンで宮内くんは相槌を打つ。


「私もね、初めてお客さんと打ち合わせした時、緊張して課長に大目玉喰らったなぁ」


「そうだったんですか?」


「そうよ。私なんて、自分の名前を噛んだ挙句、先方の名刺落として、拾おうとしたら机に思いっきり頭ぶつけたんだから」


 自分の失敗エピソードを語るのはちょっぴり恥ずかしいけど、笑いながらそんな話をすると淀んでいた彼の目にかすかに光が戻っているように見えた。


「だから気にするな、とは言わないし、反省もしたほうがいい。けど、最初から完璧にできる人なんていないから、安心してね」


「ありがとうございます!」


 気が付けばいつもの明るい笑顔に戻っていた。


「じゃあ、今日のランチは私のおごりだ、後輩くん!」


「いや、さすがに悪いですよ……」


「いいの、落ち込んでるときは遠慮なく先輩に甘えて。……あ、でも給料日前だからほどほどにお願いね」


 落ち込んでいる後輩を前に、ちょっとだけ先輩らしく、恰好をつけさせてもらうことにする。宮内くんは「あはは……じゃあ」と笑いながら立ち上がった。宮内くんはすっかりしょんぼりした顔ではなくなっていた。



 家に着いたのは夜9時過ぎ。明日納期の会議資料がなかなかまとまらず、すっかり残業となってしまった。


「――つっかれったぁ」

 私は玄関でパンプスを左右もそろえずに脱ぎ捨てて家に上がった。着ていたジャケットをソファに放り投げて冷蔵庫を開けた。冷蔵庫にはキンキンに冷えた350mlの缶が数本、私を待ってくれている。缶を一本取りだすと、私はベランダに向かう。1LDKの小さな賃貸マンションの5階のベランダ。ここでビールを開けることがすっかり習慣になっていた。9月になったとはいえ、まだまだ暑い日が続いていて、生暖かい風が体にあたる。蒸し暑いからこそ、外で冷えたビールを飲むのが最高だ。


「ぷはぁ、ビールおいしー!」


 ベランダで黄昏れながら缶ビールに一口付けると、コタローが足元にやってきて、嘆息したように声を漏らした。


「お前はおっさんか」


「平日真面目に働いたOLなんて、みんなこんなもんなんですぅ」


 口をとがらせてコタローに言う。


「――ったく、いいけどよ」


 ベランダからは少し遠くにたくさんのビルの光が見える。夜を彩っているようで、私はこの景色が好きだ。ぼーっと遠くを眺めていると、今朝の夢を思い出した。


「今日ね、久々に夢を見たんだよね。私が魔法少女やってたころの夢。なんかあの頃はキラキラしてて良かったなって思った」


 足元のコタローに漏らすようにつぶやく。


「お前が魔法少女やってたって、今考えると笑えるな」


「うるさいわね、アンタだって使い魔でしょ」


 しゃがんでコタローの頬をつねった。口はうるさいけど、モフモフしてるし触り心地はいい。コタローはくりくりした目を嫌そうに細めた。


「まあ、でもああいうの大変だったけど楽しかったな。みんなのヒーローって感じがしてさ。みんなにありがとうとか言われると、嬉しくなったりしてさ」


「……とかいって、どうせお前のことだから、今でもどこかで世話焼いてんだろ?」


 コタローは呆れと感心が半分混ざったような、しわがれた声で言った。


「だって、困っている人を見かけたら助けたくなるじゃない?」


「それってさ、誰かにとってはお前がヒーローになれてるんじゃないの?」


「たまにはいいこと言うじゃん」


 少しだけ嬉しくなって、コタローの頭を撫でてやった。私に触られるのは好きじゃないのか、嫌そうな顔を浮かべている。


「じゃ、今日の夕飯はカリカリじゃなくて、高級な缶詰な」


「まったく、調子いいんだから……」


 1LDKのベランダにまた一つ生ぬるい風が吹いた。



 私が世界を救ったのは昔の話だ。もう変身もできないし、魔法も使えない。だから、私はきっと明日も会社に行く。今の私はみんなにとってのヒーローなんかじゃない。それでも、こんな人生も悪くないなと思った。


 ……だから、どうか明日の会議はなくなってほしい。

はじめましての方ははじめまして、10年余年ぶりにこのサイトへ投稿をしました。千歳ケイです。


魔法"少女"が"少女"でなくなったあとどうなるのか、その先を描いてみたいと思い執筆した作品になります。魔法の世界で活躍する作品ではなく、あえてただのOLになった魔法少女が少しだけ誰かに優しくする、そんなテイストに仕上げてみました。

少しでもクスッときたり、ほっこりした気持ちになれるような作品になっていたら幸いです。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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