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オリジナル短編小説集  作者: 桜餅 詩音


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3/30

【さよならまで一週間】

ほんの少しの時間を、この物語に預けてみてください。

あなたの心に何かが残れば嬉しいです。

卒業まであと一週間。

三月の夕暮れは早くて、放課後の帰り道はもう薄暗かった。いつもの通学路を一人で歩いていると、後ろから息を切らした声が聞こえた。

「水瀬さん!」

振り返ると、久保涼介が走ってきた。クラスでも目立たない、地味な男子だ。

「なに?」

私が立ち止まると、久保は息を整えながら真剣な顔をした。

「あの……好きです。付き合ってください」

え。

私は目を丸くした。久保涼介に告白されるなんて、まったく予想していなかった。

「ごめん、無理」

私は即答した。別に久保のことが嫌いなわけじゃない。でも、好きでもない。それだけのことだ。

「そう、ですよね……」

久保は肩を落とした。でも、その場を離れようとしない。何か言いたそうに、俯いたまま立っている。

「……他に何か?」

「あの……お願いがあります」

久保は顔を上げて、真っ赤な顔で私を見た。

「一週間だけでいいんです。一週間だけ、付き合ったことにしてもらえませんか」

「は? 何それ」

「僕、今まで一度も付き合ったことなくて……クラスの奴らにバカにされて、すごく悔しいんです。だから、卒業までの一週間だけでいいから……僕のこと嫌いでもいいから、付き合ってるフリだけでもさせてください」

久保の声は震えていた。必死なんだ、と思った。なんだか可哀想になって、私はため息をついた。

「……条件は?」

私の言葉に、久保が顔を上げた。

「え?」

「フリでも付き合うなら、それなりの条件がないと割に合わないでしょ。何してくれるの?」

久保は一瞬呆然としたけど、すぐに真剣な顔になった。

「毎日、自転車で送り迎えします。それと、帰りに喫茶店でケーキセット、奢ります」

「……マジで?」

「マジです!」

久保の目が輝いていた。私は少し考えてから、肩をすくめた。

「わかった。一週間だけね。卒業式が終わったら、おしまい」

「本当ですか!?」

久保の顔がぱあっと明るくなった。その嬉しそうな顔を見て、私は少しだけ罪悪感を覚えた。でも、まあいいか。どうせ一週間だけだし。

次の日の朝、久保は本当に自転車で迎えに来た。

「おはようございます、水瀬さん」

「……おはよう」

私は後ろに乗って、久保の背中にそっと手を置いた。久保の背中が一瞬ビクッとした。

「大丈夫? 怖くない?」

「だ、大丈夫です!」

久保は緊張した声で答えた。ペダルを踏む足がぎこちない。

学校まで十分くらいの道のりなのに、久保はやたらとゆっくり漕いだ。まるで、この時間を少しでも長く引き延ばしたいみたいに。

「ねえ、久保」

「は、はい!」

「付き合ってるのに、水瀬さんって呼ぶのおかしくない?」

久保の背中がまた硬くなった。

「え……でも……」

「名前で呼んでよ。涼介」

私がそう言うと、久保は自転車を止めそうになった。

「む、無理です……」

「なんで?」

「恥ずかしいから……」

久保の耳まで真っ赤になっているのが見えた。思わず笑ってしまった。

「変なの。じゃあ、私は涼介って呼ぶけど、涼介は水瀬さんでいいよ」

「す、すみません……」

久保は申し訳なさそうに小さくなった。その姿がなんだか可愛くて、私は久保の背中にもう少し近づいた。

放課後、約束通り久保と喫茶店に行った。学校の近くにある、ちょっとレトロな喫茶店。

「何でも好きなの頼んでください」

久保はメニューを私に差し出した。

「じゃあ、このモンブランとカフェラテ」

「はい。僕はショートケーキとコーヒーで」

注文を終えると、久保は嬉しそうに私を見た。

「水瀬さんと二人で喫茶店に来るなんて、夢みたいです」

「大げさだなあ」

私は笑った。でも、久保は本気の顔をしている。

「本当なんです。水瀬さんのこと、ずっと好きでした」

その真剣な眼差しに、私は少しドキッとした。

「……そうなんだ」

「はい。でも、僕なんかが告白しても無理だってわかってたから……今回、フリでも付き合ってくれて、本当に嬉しいです」

久保の笑顔は無邪気で、まっすぐだった。なんだか、胸がチクリと痛んだ。

ケーキが運ばれてきて、私はフォークを手に取った。モンブランのクリームが、ふわっと口の中で溶ける。

「美味しい?」

久保が心配そうに聞いてきた。

「うん、美味しい」

「よかった……」

久保はほっとしたように笑った。その笑顔を見ていると、なんだか不思議な気持ちになった。

「ねえ、涼介」

「はい」

「また明日も、ここ来る?」

「もちろんです!」

久保の顔がぱあっと明るくなった。その無邪気な笑顔に、私も思わず笑ってしまった。

三日目の朝、久保が迎えに来たとき、雨が降っていた。

「すみません、今日は傘しかなくて……」

久保は申し訳なさそうに言った。

「いいよ、仕方ないじゃん」

「あの、相合い傘で……いいですか?」

久保の顔は真っ赤だった。私は少し笑って、久保の傘に入った。

「涼介、背高いんだね」

「え? そうですか?」

「うん。気づかなかった」

久保は嬉しそうに照れた。二人で歩く道のりは、いつもより近く感じた。久保の肩が私の肩に時々触れる。その度に、久保は少し距離を取ろうとするけど、傘から出ないようにまた近づいてくる。その繰り返しが、なんだか微笑ましかった。

雨音だけが聞こえる静かな道。久保の傘は少し私の方に傾いていて、久保の肩がびしょ濡れになっているのに気づいた。

「涼介、濡れてるよ」

「あ、大丈夫です」

「大丈夫じゃないでしょ。ちゃんと真ん中に」

私が久保の腕を引っ張ると、久保の顔が真っ赤になった。

「ねえ、涼介」

「はい」

「名前、まだ呼んでくれないの?」

久保の足が止まった。

「……本当にすみません。どうしても恥ずかしくて……」

「別にいいけど。でも、ちょっと寂しいかも」

私がそう言うと、久保は苦しそうな顔をした。

「頑張ります……いつか、絶対……」

その「いつか」は来るのかな、と思った。だって、卒業まであと四日しかないんだから。

四日目の放課後、喫茶店でいつものようにケーキを食べていると、久保が急に話し始めた。

「水瀬さん、卒業したらどうするんですか?」

「大学。県外に行く予定」

「そうなんですね……」

久保は少し寂しそうに笑った。

「涼介は?」

「僕も大学です。でも、地元に残ります」

「そっか」

二人とも、違う道を歩くんだ。当たり前のことなのに、なんだか胸が締め付けられた。

「あの、水瀬さん」

「なに?」

「この一週間、本当に楽しかったです。ありがとうございます」

久保の笑顔は、少し切なそうだった。

「まだ終わってないよ。あと三日あるじゃん」

「そうですね。あと三日……」

久保は俯いて、コーヒーカップを両手で包んだ。その手が少し震えているのに気づいて、私は何も言えなくなった。

窓の外を見ると、桜の木が見えた。まだ蕾だけど、もうすぐ咲く。卒業式の頃には、きっと満開だ。

「涼介」

「はい」

「大学生活、頑張ってね」

「……水瀬さんも」

二人とも、これ以上何も言えなかった。

五日目の朝、久保はいつもより少し早く迎えに来た。

「今日は少し遠回りしてもいいですか?」

「うん、いいよ」

久保は川沿いの道を選んだ。桜の蕾がほんの少しだけ膨らんでいる。

「もうすぐ春ですね」

「そうだね」

「水瀬さん、大学生活楽しんでくださいね」

「……うん」

久保の声が優しくて、私は胸が苦しくなった。いつの間にか、久保のことを考える時間が増えていた。久保の笑顔、久保の声、久保の優しさ。全部が、私の中に残っている。

これって、もしかして……。

「水瀬さん?」

「……ん?」

「どうかしました? ぼうっとしてて」

「ううん、なんでもない」

私は首を振った。久保の背中に、もう少しだけ強く手を置いた。

六日目の放課後、喫茶店で久保が突然言った。

「明日で最後ですね」

「……うん」

「約束通り、卒業式が終わったら、別れます」

久保は笑っていたけど、その笑顔はどこか無理をしているように見えた。

「涼介……」

「でも、本当に楽しかったです。水瀬さんと過ごせて、幸せでした」

私は何も言えなかった。胸の奥が熱くなって、言葉が出てこなかった。

「水瀬さん、ありがとうございました」

久保は深々と頭を下げた。

「……こちらこそ」

私の声は、少し震えていた。

そして、卒業式の日。

式が終わって、教室で最後のホームルームを終えた後、久保が私を呼び止めた。

「水瀬さん、少しだけ話せますか?」

「うん」

二人で屋上に行った。三月の風が少し冷たい。校庭の桜が、ちらほらと咲き始めていた。

「一週間、ありがとうございました」

久保は深々と頭を下げた。

「こちらこそ。毎日送り迎えしてくれて、ケーキもご馳走してくれて」

「いえ、僕の方こそ……本当に楽しかったです」

久保は笑った。でも、その目は少し潤んでいた。

私は久保の胸に、そっとおでこを預けた。

「……え?」

久保の声が震えた。

「ねえ、一回だけでいいから」

「は、はい……」

「陽菜って、呼んで」

久保の心臓の音が、ドクドクと早くなるのが聞こえた。久保の体が震えている。でも、何も言わない。

何秒経ったんだろう。久保は、ついに私の名前を呼ぶことができなかった。

「……もういいよ」

私は顔を上げて、久保から離れた。

「すみません……本当に、すみません……」

久保は泣きそうな顔で謝った。

「ううん、いいの。約束だもんね。一週間で、おしまい」

「……はい」

「じゃあね、涼介」

「……さようなら、水瀬さん」

私は振り返らずに、屋上を出た。階段を降りながら、小さく呟いた。

「結構いいとこまで来てたんだけどなぁ」

春の風が、私の頬を撫でた。桜の花びらが一枚、ひらりと舞い落ちた。

お読みいただき、ありがとうございました。

この物語が、皆さまの時間に少しでも寄り添えていたら嬉しいです。

よろしければ、次の話も楽しみにしていただけると幸いです。

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