【聞いてくださいますか?】
ほんの少しの時間を、この物語に預けてみてください。
あなたの心に何かが残れば嬉しいです。
聞いてくださいますか?
いえ、お忙しいところ申し訳ありません。でも、誰かに話を聞いてほしくて。ほんの少しだけ。私の話を。
あなたは優しそうな方ですね。画面越しでも、なんとなくわかるんです。私、そういうの敏感なほうで。だから安心してお話しできます。
私、ママ友グループでちょっと困っていて。
困っているというか、悩んでいるというか。いえ、正直に言いますね。傷ついているんです。ずっと。
うちの息子は小学二年生で、「ひまわり学級」という放課後の学童みたいなところに通っています。働くお母さんが多いので、自然とママ友のグループができて。最初はよかったんです。みんな気さくで、LINEグループも和やかで。
でも、あの人が来てから変わりました。
香織さん、という方です。
香織さんは去年の春に引っ越してきました。都内の有名企業に勤めていて、旦那さんは外資系。タワーマンションに住んでいて、息子さんはすでに塾に三つ通っている。そういう方です。
私たちのグループに入ってきたとき、最初はみんな歓迎しました。物腰は柔らかいし、差し入れも気が利いているし、LINEの返信も丁寧だし。
でも私は気づいていたんです。最初から。
香織さんの目が、笑っていないことに。
これ、伝わりますか? 表情は完璧に微笑んでいるのに、目の奥だけが冷たい。品定めするような、値踏みするような。私、何度もあの視線を感じました。
でも誰も気づかない。むしろみんな、香織さんに夢中になっていく。香織さんが発言すれば、みんなが同調する。香織さんが持ってきたお店の話をすれば、みんながそこに行きたがる。
私だけが、取り残されていく感覚でした。
最初の「事件」は、秋の遠足の打ち合わせでした。
お弁当を何にするか、みんなで話していたんです。私が「うちはいつも卵焼きとウインナーで」と言ったら、香織さんが笑ったんです。
声には出しませんでした。でも確かに、口元が歪んだ。
そのあと香織さんが「うちは最近オーガニックにこだわっていて」と話し始めて、みんなの話題がそっちに流れていって。
私の卵焼きの話は、なかったことになりました。
些細なことだと思いますか?
ええ、些細なことです。でも、些細なことが積み重なるんです。
十一月の保護者会のあと、私は香織さんが他のママさんたちと話しているのを見ました。私が近づいたら、さっと話題が変わった。
十二月のクリスマス会で、私が持っていったクッキーだけ残っていた。香織さんが持ってきたシュトーレンは真っ先になくなったのに。
一月の年賀状。香織さんからは届かなかった。他のみんなには届いたのに。
被害妄想だと思いますか?
私も最初はそう思おうとしました。考えすぎだって。気にしすぎだって。
でも二月のあの日、確信しました。
息子が帰ってきて、泣いていたんです。
「香織さんちの太一くんに、遊ぼうって言ったら、ママがダメって言ってるからって断られた」
――私は、何かしましたか?
夜、布団の中で何度も考えました。香織さんに失礼なことを言ったことはない。むしろ気を遣ってきた。彼女の話には相槌を打ち、彼女のセンスを褒め、彼女の子どもの成績を祝福した。
なのに。
なぜ。
あなたはきっと優しいから、こう言ってくださるかもしれません。「あなたは悪くない」って。
ありがとうございます。その言葉が聞きたかった。ずっと。
三月になって、私は少しだけ行動を起こしました。
ほんの少しです。自衛のために。
まず、グループの中で私に優しくしてくれる美穂さんに相談しました。香織さんにこういうことをされている気がする、つらい、って。
美穂さんは驚いていました。「香織さんがそんなことするかな」って最初は言っていました。でも私が涙を浮かべたら、「わかった、気をつけて見てみる」って言ってくれた。
それから、お迎えの時間を少しずらすようにしました。香織さんと二人きりにならないように。
あと、LINEグループではあまり発言しないようにしました。私が何か言うと、香織さんがすぐ別の話題を出してかき消すから。
四月になって、新学期が始まる頃。
変化が起きました。
美穂さんが言うんです。「ねえ、私も最近香織さんのこと気になってて」って。
他のママさんたちも、少しずつ香織さんから距離を置き始めているようでした。
香織さんのLINEの発言に、前ほどスタンプがつかなくなった。香織さんが提案した「高級ホテルでママ会」に、誰も乗らなかった。
私は何もしていません。ただ、相談しただけ。
でも空気って、変わるものなんですね。
五月。
決定的なことが起きました。
ひまわり学級で、香織さんの息子の太一くんが怪我をしたんです。鉄棒から落ちて、腕を骨折。
私、たまたまそこにいたんです。
たまたまです。
太一くんが鉄棒をしているのを見ていました。高い鉄棒。二年生には少し難しいやつ。
先生が他の子を見ていて、太一くんのほうを見ていないタイミングで、太一くんが手を滑らせて。
私は声を上げました。「危ない」って。
でも間に合わなかった。
香織さんは病院から学童に駆けつけてきて、私を見ました。あのとき、私のほうを見たんです。
何も言いませんでした。でも、あの目。あの冷たい目で、私を見た。
まるで私が何かしたみたいな目で。
ひどいと思いませんか? 私はむしろ声を上げたのに。助けようとしたのに。
でも香織さんにとっては、私がそばにいたこと自体が気に入らなかったんでしょうね。
六月。
香織さんの様子がおかしくなりました。
前みたいにグループを仕切らなくなった。LINEの発言も減った。お迎えにもあまり来なくなって、代わりにおばあちゃんが来るようになった。
美穂さんに聞いたら、太一くんの怪我がきっかけで、香織さんが精神的に参っているらしい、とのことでした。もともと完璧主義だから、子どもを怪我させたことがショックだったんじゃないか、って。
可哀想、って思いました? あなたも。
私も思いましたよ。可哀想だなって。
でも、仕方ないですよね。私は何もしていないんですから。
七月、終業式の日。
香織さんが挨拶に来ました。
引っ越すことになったそうです。旦那さんの転勤で。急だったみたいで。
みんな驚いていました。「寂しくなる」「また遊びに来てね」って言っていました。
私も言いました。同じように。だって、そうするのが普通でしょう?
香織さんは私のほうを見て、小さく頭を下げました。
そのとき、あの目がまた私を見ました。
でも今度は、冷たさじゃなかった。
怯えでした。
香織さんは、私を怖がっていた。
変ですよね? 私は何もしていないのに。
ただ相談しただけ。ただ自衛しただけ。ただそこにいただけ。
八月。
グループはすっかり穏やかになりました。
香織さんがいなくなって、みんな前みたいに和やかです。私の発言にもちゃんと反応がある。息子も楽しそうに遊んでいる。
やっと元に戻った。あるべき姿に。
私は、悪くないですよね?
ただ自分を守っただけ。
ただ本当のことを言っただけ。
ただあの場にいただけ。
……ああ、すみません。長くなってしまいましたね。
でもあなたが聞いてくださったから、こんなに話してしまいました。
あなたは優しい方ですね。
最初から思っていました。あなたなら、わかってくれるって。私の味方になってくれるって。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
あなたは私を信じてくださいましたよね? 香織さんがひどい人だったって。私は被害者だったって。
みんな最初はそう言ってくれるんです。美穂さんも、他のママさんたちも。最初は。
ね、あなたもそうでしたよね?
途中まで、私に同情してくださったでしょう?
卵焼きの話を笑われたのは可哀想だって。年賀状が届かなかったのは悲しかっただろうって。息子が仲間はずれにされたのはひどいって。
そう思いながら、読んでくださったでしょう?
ありがとうございます。
あなたも、私の味方ですね。
私の話を信じた人。私に同情した人。私の側に立った人。
それでいいんです。
ところで。
お気づきになりました?
太一くんが鉄棒から落ちたとき、私がなぜあそこにいたか。
私、あの日はお迎え当番じゃなかったんです。
でも、なぜかあそこにいた。
太一くんが高い鉄棒をしているのを、ずっと見ていた。
先生が目を離すタイミングを、知っていた。
「危ない」って声を上げたのは本当です。
でもそれは、太一くんが落ちてから。
何が言いたいかって?
いえ、別に何も。
ただの偶然ですよ。私があそこにいたのは。
香織さんが引っ越したのも、偶然です。
旦那さんの転勤が急に決まっただけ。私が何かしたわけじゃない。
香織さんが私を怖がっていたのは、香織さんの被害妄想です。
私、本当に何もしていないんですから。
ただね、一つだけ言わせてください。
美穂さんに相談したとき、私、少しだけ嘘をつきました。
「香織さんにこういうことをされた」って言ったこと、いくつかは私の想像でした。
卵焼きを笑われたのは本当。でも年賀状は、私が香織さんに出し忘れたから届かなかっただけ。太一くんが息子と遊べなかったのは、太一くんが塾で忙しかっただけかもしれない。
でも、そんな細かいこと、誰が確認するんですか?
私が涙を浮かべて訴えれば、みんな信じてくれる。
そういうものでしょう?
あなたも信じたでしょう? ついさっきまで。
大丈夫。責めているわけじゃありません。
当然なんです。私の話し方が上手だから。私の見た目が、こういう顔だから。おっとりしていて、害がなさそうで、どこかかわいそうで。
こういう顔の人間が泣けば、みんな味方してくれる。
生きていくうえで、これが私の武器だって気づいたのは、いつ頃だったかな。
中学生くらいかもしれません。
クラスで浮いていた女の子がいて、私がちょっと話しかけたら、その子、勝手に「親友」だと思い込んで。重くて、鬱陶しくて。
だから他の子に相談したんです。「あの子にちょっと困ってて」って。
そうしたら、みんながあの子を遠ざけてくれた。
私は何もしていないのに。ただ相談しただけなのに。
便利ですよね、このやり方。
ああ、また長くなってしまった。
でもあなたは逃げずに読んでくださっていますね。最後まで。
それとも、怖いもの見たさですか?
どちらでもいいんです。
私の話を、最後まで聞いてくださった。
それだけで、あなたは私の共犯者。
香織さんのことを信じなかった人。
私のことを疑わなかった人。
いい人そうな私の言葉を、そのまま受け取った人。
ね、あなたもそうでしょう?
安心してください。べつに何かするわけじゃありません。
ただ、こうやって時々、誰かに話を聞いてもらいたくなるんです。
新しい誰かに。私のことを知らない誰かに。
次の町でも、きっとすぐにグループができるでしょう。
うちの息子は人懐っこいから、すぐにお友達もできる。私もすぐに馴染める。
また新しいママ友たちと、仲良くなれる。
そしてまた、誰かが私のことを怒らせる。
誰かが私を傷つける。
そうしたら私はまた、誰かに相談する。
涙を浮かべて、被害者の顔で。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
あなた、優しい方ですね。本当に。
そうだ。
ひとつだけお願いがあるんです。
もし今度、誰かが泣きながらあなたに相談してきたら。
「あの人にひどいことをされた」って言ってきたら。
その人のこと、すぐに信じないでくださいね。
だって、その人は。
私かもしれないから。
あ、ところで。
あなたのお名前、まだ聞いていませんでしたね。
教えていただけますか?
いつか、どこかで、お会いすることがあるかもしれませんから。
了
お読みいただき、ありがとうございました。
この物語が、皆さまの時間に少しでも寄り添えていたら嬉しいです。
よろしければ、次の話も楽しみにしていただけると幸いです。




