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オリジナル短編小説集  作者: 桜餅 詩音


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13/30

【名もなき想い】

ほんの少しの時間を、この物語に預けてみてください。

あなたの心に何かが残れば嬉しいです。

プロローグ


大学の講義が終わり、私はキャンパスの中庭で友人たちと座っていた。


「ねぇ、美咲ってタバコ吸わないの?」


友人の一人が、煙草の箱を取り出しながら聞いてきた。


「吸わない」


即答する私に、友人は意外そうな顔をした。


「え、でも高校の時はヤンキーだったんでしょ?イメージ的に吸ってそうだけど」


「…やめた」


私は短く答えた。


「へぇ、いつ?」


「高校の時」


「なんで?健康のため?」


友人は軽い調子で聞いてくる。


私は少しだけ沈黙した。


頭の中に、ある声が蘇る。


『それ、体に悪いんだよ!』


真顔で、本気で心配してくれた、あの声。


「…そんなとこ」


私は笑ってごまかした。


友人は「ふーん」と興味を失ったように、他の話題に移った。


でも、私の胸の奥には、今でも温かいものが残っている。


忘れられない人。


名前もつけられなかった、あの感情。


それは、三年前の冬に始まった。


***


第一章


コンビニの棚の前で、私はチョコレートをポケットに滑り込ませた。


心臓が早鐘を打つ。店員の視線が怖い。でも、もう後戻りはできない。私はそのまま店を出ようとした。


「あ」


背後から声がした。


振り返ると、そこに彼がいた。


歳は私と同じくらいだろうか。でも、その表情は妙に幼く見えた。大きな瞳でじっと私を見ている。


「見た…の?」


私の声が震える。彼は首を傾げた。


「何が?」


本気でわかっていない顔だった。


「い、いや…何でもない」


私は足早にその場を去った。心臓がバクバクいっていた。見られた、と思った。でも、あの反応は…。


数日後、また同じコンビニの前で彼を見かけた。


「あ、この前の人だ!」


彼は嬉しそうに手を振ってきた。


私は無視して通り過ぎようとしたが、彼は駆け寄ってきた。


「ねぇねぇ、よく会うね!」


「…そうね」


「ぼく、隆って言うんだ。君は?」


「…美咲」


なぜか答えていた。


「ミサキちゃん!いい名前だね」


彼の笑顔は、まぶしいくらい無邪気だった。


第二章


それから、なぜか隆とよく会うようになった。


正確には、彼が私を見つけるたびに話しかけてくるのだ。


「ミサキちゃん、今日も会えた!」


「…しつこい」


でも、私は完全に突き放すことができなかった。


彼の笑顔には、何か引き込まれるものがあった。周りの人間が私を見る目とは違う。怖がりもしないし、見下しもしない。ただ、純粋に嬉しそうに笑う。


ある日、いつもの場所でタバコを吸っていると、隆が現れた。


「それ、体に悪いんだよ!先生が言ってた!」


真顔で注意してくる。


「バッカじゃないの!?あんたに関係ないでしょ!」


「でも、ミサキちゃんが病気になったら嫌だもん」


彼は本気だった。


私は何も言い返せなくなって、タバコを消した。


「…うるさい」


それだけ呟いて、その場を離れた。


でも、胸の奥が妙に温かかった。


第三章


秋が深まり、二人で歩くことが増えた。


隆は不思議な子だった。難しいことはわからないみたいだけど、人の気持ちには敏感だった。


「ミサキちゃん、今日元気ないね」


「…別に」


「嘘だ。ミサキちゃん、泣きそうな顔してる」


図星だった。


家のこと、学校のこと、全部が嫌になっていた。誰も私のことなんてわかってくれない。そう思っていた。


「泣いてもいいんだよ」


隆がそう言った。


「ぼく、ミサキちゃんの泣き顔、見たことないけど…泣きたい時は泣いていいと思うよ」


私は堪えていた涙が溢れ出した。


隆は何も言わず、ただそばにいてくれた。


道端に咲いていた小さな花を摘んで、私に差し出した。


「ミサキちゃんに似てる。きれいだから」


「バッカじゃないの!? 雑草じゃん!」


でも、私はその花を捨てられなかった。


家に帰って、コップに挿して飾った。


第四章


冬が来た。


「ミサキちゃん、手、冷たいね。ぼくの手、温かいよ。貸してあげる」


隆は自然に私の手を握った。


「バッカじゃないの!? 人前で手繋ぐな!」


顔が熱くなる。心臓がありえない速度でバクバク言ってる。


「え?どうして?寒いのに?」


彼は本気で不思議そうな顔をしていた。


それ以来、私は意識的に手をポケットに入れて歩くようになった。もう、あんな思いはしたくなかった。


ある日、隆が気づいた。


「あれ?ミサキちゃん、いつもの吸ってないね」


私は数週間前から、タバコをやめていた。


「…やめた」


「え?あれ、どうしたの?」


「捨てた!」


ぶっきらぼうに答える。


「なんで?」


「関係ないだろ!!」


私は顔を背けた。


隆は「そっか…」と少し寂しそうな顔をしたけど、それ以上は聞いてこなかった。


第五章


ある日、隆の母親に会ってしまった。


彼女は私を見て、明らかに警戒した目を向けた。


「あなたが…美咲さん?」


「…はい」


「隆から話は聞いています。あの……」


言葉を濁す彼女。


でも、その目が全てを語っていた。


胸が痛んだ。


わかっていた。こうなることは。


私は隆にふさわしくない。周りからそう見られる。


家に帰ると、母親が待っていた。


「あんた、障害のある子と付き合ってるって?」


「別に付き合ってるわけじゃ…」


噂はすぐに広まった。


「恥ずかしいと思わないの?」


思わない。


でも、隆が傷つくのは嫌だった。


第六章


私は隆を避けるようになった。


でも、彼は気づいていた。


「ミサキちゃん、最近会ってくれないね」


「…忙しいだけ」


「嘘だ。ミサキちゃん、ぼくから逃げてる」


隆の声が震えていた。


「ぼく、何か悪いことした?」


違う。あんたは何も悪くない。


「ミサキちゃんがいないと、ぼく…」


彼の目に涙が浮かんでいた。


「ぼく、最近ずっと胸が痛いんだ。ミサキちゃんに会えないと、すごく苦しい」


「隆…」


「何でなんだろう。ミサキちゃんのこと考えると、心臓がギューってなる。ずっと一緒にいたい。ミサキちゃんがいると、ポカポカなの…」


彼は必死に言葉を探していた。


「何だか分からない!でも、ミサキちゃんに会いたくなる。一番会いたくなるんだ。」


私は泣いていた。


それが、恋だと気づいているのは私だけ。


彼はまだ、その感情に名前がつけられずにいる。


第七章


真冬の夕暮れ。


私たちは二人で歩いていた。


私の中で、決意は固まっていた。もう会わない。それが彼のためだ。


沈黙が重い。


手はポケットの中。もう、繋がない。繋げない。


でも、胸が痛かった。


「…ねぇ」


気づけば、私は立ち止まっていた。


「ん?」


隆が振り返る。


私はポケットから手を出した。


「手が…」


「なに?」


「だから!手が!冷たいんだけど!」


ツンとした口調で言った。でも、声が震えていた。


隆の顔がパッと明るくなった。


「じゃあ、温めてあげる!」


彼は私の手を握った。


温かかった。


涙が溢れた。


これが最後。


私は知っている。でも、隆は知らない。


「ミサキちゃん、泣いてるの?」


「…寒いから」


「そっか。じゃあ、もっとぎゅってしてあげる」


彼は私の手を強く握った。


私は泣いた。声を殺して泣いた。


第八章


別れの日。


「もう会えないよ」


私は言った。


隆は理解できない顔をしていた。


「会えないって…どういうこと?」


「あたしといたら、あんたが傷つく。あたしは、あんたの邪魔なの」


「なんで?邪魔じゃない!」


「忘れて」


「できない!」


隆は泣いていた。


「ぼく、ミサキちゃんのことずっと考えてた。いつもいつも、ずっと。ミサキちゃんに会いたくなったら、ぼく、どうしたらいいかわからない!またここがギューってなる。」


隆は胸の辺りを押さえながら言った。


「ねぇ…これって、なんなの?」


彼は必死に聞いてきた。


でも、私は答えなかった。


「…またね」


「また会える??」


「…うん、またね」


もう二度と会わないと決めていた。


隆は笑顔を作ろうとしていた。


「またね、隆」


私は振り返らずに歩き出した。


涙で前が見えなかった。


エピローグ


三年後。


隆は支援施設で穏やかに過ごしていた。


「隆くん、昔、仲良しの人とかいた?」と支援員が尋ねた。


「うん、いたよ」


隆は嬉しそうに答えた。


「ミサキちゃん。ぼくが…ぼくがすごく大事だと思った人」


「今も覚えてるんだ?」


「うん。忘れられない。ミサキちゃんのこと考えると、胸がギューってなるんだ」


隆は窓の外を見た。


「ねぇ、これって何なのかな?」


支援員は優しく微笑んだ。


「大切な思い出だね」


「そっか。大切な思い出か」


隆は頷いた。


彼は最後まで、それが恋だったと知ることはなかった。


でも、確かにそこには、名前のない、本物の感情があった。


***


一方、美咲は高校を卒業し、街を出ていた。


新しい生活。新しい出会い。


大学のキャンパス。友人たちとの何気ない会話。


「ねぇ、美咲ってタバコ吸わないの?」


「吸わない。やめた」


「へぇ、なんで?」


なんで…それは…


あいつの言葉が、今でも私の中に生きているから。


***


美咲は今でも、ふとした瞬間に思い出す。


冬の日に握られた、温かい手。


「ミサキちゃんに似てる」と差し出された雑草の花。


そして、寒い日には、無意識に自分の手を握りしめる。


もう二度と、あの温かさは感じられないとわかっているのに。


彼女のスマホには、あの日撮った一枚の写真が残っている。


二人で並んで笑っている写真。


彼は無邪気に笑い、彼女は少しだけ照れくさそうに微笑んでいる。


美咲はその写真を見るたび、涙が溢れる。


「バッカじゃないの…」


そう呟きながら、でも画面から目を離せない。


タバコをやめた理由。


それは、彼が私を心配してくれたから。


たったそれだけのこと。


でも、それが私にとって、どれほど大きな意味を持っているか。


友人たちは知らない。


これからも、きっと話すことはない。


でも、それでいい。


この想いは、私だけの宝物だから。


***


祝福されなかった恋。


名前もつけられなかった感情。


でも、それは確かに、本物だった。


二人の心に、永遠に残る、かけがえのないものだった。


隆は今でも、あの感情が何だったのかわからないまま。


美咲は今でも、タバコを吸わずに生きている。


二人は、もう会うことはない。


でも、確かにあの日々は、二人の人生を変えた。


それは、誰にも奪えない、本物の愛だった。


— 終 —

お読みいただき、ありがとうございました。

この物語が、皆さまの時間に少しでも寄り添えていたら嬉しいです。

よろしければ、次の話も楽しみにしていただけると幸いです。

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