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オリジナル短編小説集  作者: 桜餅 詩音


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12/30

【宝物の在処】

ほんの少しの時間を、この物語に預けてみてください。

あなたの心に何かが残れば嬉しいです。

「お兄ちゃん、一緒に帰ろう」


中学校の門を出たところで、弟の遼太が満面の笑みでそう言った。小学三年生の遼太は、いつも僕の中学校まで迎えに来る。小学校は中学校のすぐ隣だから、遼太は先に終わって、僕を待っているのだ。


「……今日、友達と約束あるから」


嘘だった。何の約束もない。ただ、田中たちと一緒に帰りたかっただけだ。


遼太の笑顔が少しだけ曇る。でも、すぐにまた笑った。


「そっか。じゃあね、お兄ちゃん」


ぎこちない発音で、遼太はそう言って手を振った。


僕は背を向けて、友達の田中のところへ向かった。振り返らなかった。遼太の小さな背中を見たくなかったから。


遼太には知的障害がある。医者の説明は難しくてよくわからなかったけど、要するに他の子より発達がゆっくりなんだ、と母さんは言った。言葉も少ない。表情も乏しい。でも、僕のことは大好きで、いつも僕を探している。


小学生の頃は気にならなかった。いや、むしろ誇らしかった。「お兄ちゃん、お兄ちゃん」って慕ってくれる弟が可愛くて、手を繋いで一緒に遊んだ。遼太が転んだら助けて、迷子になったら探して、泣いていたら慰めた。


でも、中学生になって変わった。


制服を着て、少し大人になった気がして、遼太と一緒にいるのが恥ずかしくなった。友達に「お前の弟、ちょっと変じゃね?」って言われたことがある。笑いながら言われた、その言葉が胸に刺さった。


変なんかじゃない。遼太は遼太だ。


でも、否定できなかった。反論もできなかった。


それからだ。僕は遼太を避けるようになった。


遼太が中学校の門で待っていても、わざと遅く出たり、別の門から帰ったりした。休日も、「勉強がある」「友達と遊ぶ」と言い訳をして、遼太と過ごす時間を減らしていった。


本当は遼太と遊びたい。一緒にいたい。


でも、できなかった。


僕は弱虫で、臆病で、最低な兄だった。


その日の夕方、僕は遼太の部屋に入った。母さんに頼まれて、洗濯物を置きに行っただけだ。


遼太の部屋は、いつも通り散らかっていた。おもちゃ、絵本、クレヨン。壁には遼太が描いた絵がたくさん貼ってある。どれも、何を描いているのかよくわからない。


机の上に、一枚の紙があった。


クレヨンで描かれた、ぐちゃぐちゃの線。赤、青、黄色、緑。いろんな色が混ざり合って、迷路みたいになっている。ところどころに丸や三角、星のマークが描いてある。


そして、紙の端に平仮名でこう書いてあった。


「たからもののばしょ」


僕は苦笑した。また意味不明な絵だ。遼太はこういうのをよく描く。本人は真剣なんだろうけど、僕にはさっぱりわからない。


でも、よく見ると、この線はただのぐちゃぐちゃじゃない。何かのルートを示している気がする。


地図?


僕は紙を手に取った。スタート地点らしき場所に、小さく「うち」と書いてある。そこから線が伸びて、最初の丸印に繋がっている。


なんとなく、興味が湧いた。


暇だったし、この地図が本当にどこかに続いているのか、確かめてみたくなった。どうせ適当に描いただけだろう。そう思いながら、僕は家を出た。


地図の最初の丸印は、家から三つ目の交差点にあった。


そこに立って、ようやく思い出した。


ここは、遼太が転んだ場所だ。


確か、僕が小学四年生、遼太が一年生の時だった。遼太を連れて駄菓子屋に行く途中、遼太が走り出して転んだ。膝を擦りむいて、血が出た。遼太は泣かなかったけど、じっと膝を見つめていた。


僕は遼太を抱き起こして、ハンカチで血を拭いた。


「痛くない?」


遼太は首を横に振って、僕の顔を見て笑った。


「お兄ちゃん、ありがと」


たどたどしい言葉だったけど、嬉しかった。


僕は地図を見直した。次の三角印は、コンビニのマークに見える。


家から五分ほど歩いたところにあるコンビニに向かった。


そこは、遼太と一緒にアイスを食べた場所だ。


夏休みのある日、僕は遼太を連れてそのコンビニに行った。遼太はチョコミントのアイスが好きで、僕はバニラが好きだった。二人で店の前のベンチに座って、溶けないうちに必死で食べた。


遼太は、僕のバニラを一口欲しがった。僕は自分のアイスをスプーンですくって、遼太の口に入れてやった。遼太は嬉しそうに笑って、自分のチョコミントも僕にくれた。


「お兄ちゃんと半分こ」


遼太はそう言った。


僕は地図を握りしめた。手が少し震えていた。


次の星印は、公園だった。


公園に着いた時、もう夕暮れが近かった。


ここは、遼太が迷子になった場所だ。


僕が小学五年生の秋、僕と遼太は母さんと一緒にこの公園に来た。母さんがトイレに行っている間、僕は遊具で遊んでいて、遼太から目を離してしまった。


気づいた時には、遼太がいなくなっていた。


母さんと二人で必死で探した。公園中を走り回って、遼太の名前を叫んだ。


見つけたのは、公園の隅にある小さな茂みの中だった。遼太はしゃがみ込んで、何かを見つめていた。泣いてもいなかった。ただ、じっとそこにいた。


「遼太!」


僕は遼太を抱きしめた。心臓がバクバクしていた。もし見つからなかったらどうしようって、本気で怖かった。


「どこ行ってたんだよ! 心配したじゃないか!」


遼太は僕を見上げて、小さく言った。


「ごめんね、お兄ちゃん」


それから、遼太は手に握っていたものを見せてくれた。


小さな、四つ葉のクローバーだった。


「お兄ちゃんに、あげる」


遼太はそう言って、笑った。


僕はその四つ葉のクローバーを、家に帰ってから本に挟んだ。まだ、どこかにあるはずだ。


地図を見ると、公園の星印から、最後の線が伸びていた。


終点は、ハートのマークになっている。


そこは、家から少し離れた空き地だった。


空き地に着いた頃には、もう空が赤く染まっていた。


ここは、僕と遼太の秘密基地があった場所だ。


正確には、秘密基地と呼べるほど立派なものじゃない。ただの空き地の隅に、段ボールとブルーシートで作った小さな小屋があっただけだ。


小学生の僕と遼太は、よくここで遊んだ。おもちゃを持ってきて、お菓子を食べて、他愛もない話をした。遼太は言葉が少なかったけど、僕の話を静かに聞いてくれた。


でも、僕が中学生になってから、ここには来ていない。


空き地の隅に、あの小屋の残骸があった。もうボロボロで、原型を留めていない。


地図のハートマークは、その場所を指していた。


僕は小屋の跡に近づいた。そして、土が少し盛り上がっているのに気づいた。


誰かが、何かを埋めた跡だ。


僕は素手で土を掘り始めた。


すぐに、小さな箱に当たった。


それは、お菓子の空き缶だった。錆びていて、蓋が固かったけど、なんとか開けることができた。


中には、小さなおもちゃが入っていた。


それは、僕が昔、遼太にあげたミニカーだった。


赤い消防車のミニカー。僕が小学二年生の時、お年玉で買ったものだ。すごく気に入っていたけど、遼太が欲しがったから、あげた。


遼太は大喜びで、いつもそのミニカーを持ち歩いていた。


でも、いつの間にか見なくなった。壊れたのかな、と思っていた。


ミニカーはボロボロだった。塗装が剥げて、タイヤも一つ取れている。それでも、遼太はずっと大切に持っていたんだ。


缶の底に、もう一枚紙が入っていた。


クレヨンで描かれた絵だった。


二人の人間が手を繋いでいる絵。一人は大きくて、一人は小さい。


そして、平仮名でこう書いてあった。


「おにいちゃん だいすき ずっといっしょ」


僕の目から、涙が溢れた。


止められなかった。


遼太は、僕が避けていることに気づいていたんだ。


それでも、僕のことが大好きで、この地図を作ったんだ。


僕と遼太の思い出の場所を辿る地図を。


「ありがとう」を伝えるための地図を。


そして、「ずっと一緒」でいたいという願いを込めた地図を。


僕はどうしようもないくらい、最低な兄だった。


遼太は何も悪くないのに、僕は遼太を避けた。恥ずかしいと思った。一緒にいたくないと思った。


でも、遼太はずっと僕を信じていた。


僕のことを、大好きでいてくれた。


僕は走って家に帰った。


玄関を開けると、母さんが驚いた顔で僕を見た。


「拓也、どうしたの? 泣いて……」


「遼太は?」


「遼太なら部屋に……」


僕は靴を脱ぎ捨て、遼太の部屋に駆け込んだ。


遼太は床に座って、また何か描いていた。


僕が入ってくると、遼太は顔を上げた。


「お兄ちゃん」


僕は遼太の前に座り込んで、遼太を抱きしめた。


「ごめん。ごめんな、遼太」


遼太は、何が起きたのかわからない様子だった。でも、僕の背中にそっと手を回した。


「お兄ちゃん、泣いてる?」


「うん。泣いてる」


「どうして?」


僕は遼太の肩を掴んで、顔を見た。


「遼太の地図、見つけたんだ」


遼太の目が、少しだけ大きくなった。


「宝物、見つけた?」


「うん。見つけたよ」


僕はポケットから、あの赤いミニカーを取り出した。


遼太は嬉しそうに笑った。


「お兄ちゃんがくれたやつ」


「これ、遼太の宝物だったんだろ? なんで埋めたの?」


遼太は首を傾げて、ゆっくりと言った。


「お兄ちゃんが、遼太と遊ばなくなったから」


胸が締め付けられた。


「だから、いつも遊んでたとこに宝物、置いた。そしたら、お兄ちゃん、また一緒に遊ぶかなって」


僕はもう一度、遼太を抱きしめた。


「ごめん。本当にごめん」


遼太は僕の背中をポンポンと叩いた。


「いいよ。お兄ちゃん、忙しいから」


違う。忙しいんじゃない。僕が臆病で、弱くて、最低だっただけだ。


「これから、ちゃんと一緒にいるから」


遼太は僕の顔を覗き込んで、笑った。


「ほんと?」


「本当だよ。約束する」


遼太は嬉しそうに頷いた。


それから、遼太は描いていた紙を僕に見せた。


「お兄ちゃん、見て」


そこには、また地図が描かれていた。


でも、今度の地図は前のものより複雑で、線がたくさん描かれている。


「これ、何?」


遼太は笑って言った。


「お兄ちゃんと、これから行く場所の地図」


僕は思わず笑った。涙で顔がぐちゃぐちゃなのに、笑えた。


「どこに行くの?」


「わかんない。これから、一緒に決める」


遼太はクレヨンを僕に差し出した。


「お兄ちゃんも、描いて」


僕はクレヨンを受け取った。


そして、遼太と一緒に、新しい地図を描き始めた。


次の日、僕は中学校の門を出た。


いつものように、遼太が待っていた。


今日は、田中も一緒だった。


「おー、拓也。弟さん?」


「うん」


僕は遼太の頭を撫でた。


「遼太、俺の友達の田中」


遼太は恥ずかしそうに、小さく「こんにちは」と言った。


田中は笑って、遼太にしゃがんで目線を合わせた。


「こんにちは。遼太くん、よろしくな」


遼太は嬉しそうに頷いた。


田中は立ち上がって、僕の肩を叩いた。


「いい弟さんだな」


「ありがとう」


僕は遼太の手を握った。


「じゃあな、田中。また明日」


「おう、また明日」


僕と遼太は手を繋いで、家に向かって歩き始めた。


遼太は嬉しそうに、僕の手をぎゅっと握りしめた。


「お兄ちゃん」


「ん?」


「今日も、秘密基地行く?」


「うん。行こう」


僕たちは手を繋いで歩いていった。


夕日が、僕たちの影を長く伸ばしていた。


でも、もう怖くなかった。


遼太と一緒にいることが、恥ずかしくなかった。


むしろ、誇らしかった。


この小さな手を、僕は二度と離さない。


その日の放課後、僕は遼太を連れて、昔の空き地に行った。


秘密基地の跡はもうなくなっていたけど、僕たちは新しい基地を作ることにした。


段ボールとブルーシートを持ってきて、遼太と一緒に組み立てた。遼太は不器用だったけど、一生懸命手伝ってくれた。


完成した小屋は、前よりも少しだけ立派だった。


僕たちは中に入って、持ってきたお菓子を食べた。


遼太は嬉しそうにポテトチップスを頬張りながら、僕を見た。


「お兄ちゃん」


「ん?」


「ずっと一緒?」


僕は笑って、遼太の頭を撫でた。


「ずっと一緒だよ」


遼太は安心したように笑った。


その時、僕は気づいた。


遼太が地図の最後に埋めたのは、ミニカーだけじゃなかったんだ。


あの缶の中には、僕と遼太の思い出が詰まっていた。


転んだ交差点。アイスを食べたコンビニ。迷子になった公園。秘密基地のあった空き地。


遼太はそのすべてを覚えていて、大切にしていた。


そして、僕がまたそれを思い出してくれることを、信じて待っていた。


遼太の地図は、過去への地図じゃなかった。


僕を、未来へと導く地図だったんだ。


僕と遼太が、これからも一緒に歩いていくための地図だったんだ。


それから数週間後、僕は学校の廊下で担任に呼び止められた。


「佐藤、ちょっといいか」


「はい」


担任は少し困った顔をしていた。


「実は、お前の弟さんのことなんだが……」


僕は緊張した。遼太に何かあったんだろうか。


「遼太がどうかしましたか?」


「いや、悪いことじゃないんだ。むしろ、いいことなんだが……」


担任は封筒を取り出した。


「これ、遼太くんが描いた絵なんだが、市のコンクールで賞を取ったらしい。隣の小学校の先生から連絡があってな」


僕は驚いて、封筒を受け取った。


中には、一枚の絵が入っていた。


それは、僕と遼太が手を繋いで歩いている絵だった。


背景には、あの空き地の秘密基地が描かれている。


そして、空には虹がかかっていた。


絵の下に、タイトルが書かれていた。


「おにいちゃんとぼく」


僕は涙をこらえるのに必死だった。


「遼太くん、すごく嬉しそうに絵を描いていたらしいぞ。お兄ちゃんのことを描くんだって言ってな」


担任は笑って、僕の肩を叩いた。


「いい弟さんだな」


「はい」


僕は小さく頷いた。


「自慢の弟です」


家に帰ると、遼太が玄関で待っていた。


「お兄ちゃん!」


遼太は僕に駆け寄ってきた。


「遼太の絵、ほめられたよ」


「うん。先生から聞いたよ。すごいな、遼太」


遼太は照れくさそうに笑った。


「お兄ちゃんと一緒の絵、描いたんだ」


「見せてもらったよ。すごくいい絵だった」


僕は遼太の頭を撫でた。


「ありがとう、遼太」


「どうして、ありがとう?」


「遼太が、僕のことを描いてくれたから」


遼太は首を傾げた。


「お兄ちゃん、大好きだから」


その言葉に、僕はまた泣きそうになった。


「僕も、遼太のこと大好きだよ」


遼太は嬉しそうに笑って、僕の手を掴んだ。


「お兄ちゃん、今日も秘密基地行く?」


「うん。行こう」


僕たちは手を繋いで、家を出た。


夕日が、僕たちの影を長く伸ばしていた。


でも、もう怖くなかった。


遼太と一緒にいることが、恥ずかしくなかった。


むしろ、誇らしかった。


この小さな手を、僕は二度と離さない。


遼太が作ってくれた地図は、僕の宝物だ。


そして、これから僕たちが一緒に描いていく地図が、僕の人生になる。


エピローグ

僕のポケットには、あの赤いミニカーが入っている。


遼太からもらった宝物。


そして、遼太が教えてくれた、本当に大切なもの。


それは、一緒にいることの意味だった。


血が繋がっているとか、家族だからとか、そういうことじゃない。


ただ、お互いを大切に思う気持ち。


一緒に笑って、一緒に泣いて、一緒に歩いていくこと。


遼太の地図は、僕にそれを思い出させてくれた。


僕は遼太の手を握りしめた。


「遼太」


「なあに、お兄ちゃん」


「これからも、ずっと一緒だよ」


遼太は笑って、力強く頷いた。


「うん。ずっと一緒」


僕たちは夕日の中を歩いていった。


新しい地図を描くために。


新しい思い出を作るために。


そして、これからもずっと、一緒にいるために。


宝物は、探すものじゃない。


宝物は、いつも隣にあったんだ。


(完)

お読みいただき、ありがとうございました。

この物語が、皆さまの時間に少しでも寄り添えていたら嬉しいです。

よろしければ、次の話も楽しみにしていただけると幸いです。

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