1/10
序章:予兆
カイラス山から吹き降ろす風は、まるで古の記憶を運んでくるかのようだった。標高四千五百メートルのこの聖地で、空気は薄く、しかし魂には濃密だった。
ゴンパ(僧院)の朝は、いつものようにホルン(チベットの長いラッパ)の低く響く音色で始まった。だが今朝は違った。いつもなら三十分間続くはずの法螺貝の音が、わずか十分で途切れた。
若い僧侶ドルジェは、師のテンジンの部屋の前で立ち止まった。木製の扉の向こうから聞こえるはずの、規則正しい朝の読経の声がない。代わりに、まるで宇宙の鼓動のような、深く、ゆっくりとした呼吸音だけが漏れ聞こえてきた。
「師父......?」
彼の声は、薄い空気に吸い込まれるように消えた。
ドルジェの心に、奇妙な予感が芽生えた。それは恐怖ではなく、むしろ畏敬にも似た感情だった。二十年間師事してきたテンジンの教えが、突然、頭の中で鮮明によみがえってきた。
「死は終わりではない、ドルジェよ。それは、より大いなる旅の始まりに過ぎない」
師がかつて語った言葉が、今、現実味を帯びて響いていた。




