第8話(綾の部)
4月になった。桜並木も美しい。新学期も間近だ。私は春休みに友人と旅行に出ていたため、祖父の喫茶店に立ち寄るのは二週間振りになってしまった。
呉にいると書いてきた誠爾に、ここは東京だ、ときつめのニュアンスで書いたことを反省している。もう少し穏やかな伝え方があったよね。あれからしばらくお返事ないし。
そんな悶々とした気分のまま、久しぶりに短編集を手に取る。あ、返事が来ている!
でも・・・。なんか内容が穏やかではない。
<満開の櫻を見ました。無二の友がいつかきっと櫻の下でまた会おうと言うので、貴様は生きろ、再会するのは貴様が人生を全うした60年後のあの世だ、と言ったら、大喧嘩になりました。二発殴られました。>
<徳山の地を発ちます。覚悟は決めました。無二の親友とは喧嘩をしたままですが彼には妻がいます。将来、子もできることでしょう。必ず私が彼を生かして帰します。文のやり取りはこれで最後になります。これから戦艦大和は最後の作戦の為、出撃します。もしアヤさんに機会があれば、指宿にある壽工房を訪ねてください。>
戦艦大和?最後の出撃?
理解が追いつかない。どういうこと?
呉にいるってこともそうだけど、なんかずっと噛み合わないなと思っていた。でも、戦艦大和はさすがにズレ過ぎている。
スマホで戦艦大和について調べてみる。
呉で造船され1941年12月に就役。その後、幾つかの作戦に出向いている。1942年から1943年はトラック島と呉、トラック島と横須賀を行き来しているみたい。1944年はマニラやリンガ島(シンガポールの南に位置する島)を訪れ、同年、レイテ沖海戦という大きな戦いに参戦している様だ。そしてブルネイを経由して呉に戻ってきている。
呉という地名が目につく。「呉におります」と書いていた誠爾さんの返事を思い出し、戦艦大和の歴史と誠爾さんの返事が妙に符合することに微かな不安を感じる。
まさか、とは思うけど、もしかしてこの手紙はタイムリープしている!?誠爾さんは本当に戦時中の戦艦大和にいる!?
そう考えるとこれまで感じていた違和感に説明が付く。でも、そうなると、最後の作戦って?徳山を発つってあるけど、戦艦大和って確か・・・。心の中で不安が増幅していく。
嫌な汗が額をジワリと湿らす。深呼吸をして気持ちを落ち着かせて、震える手でスマホを持ち戦艦大和の辿った軌跡を読み進めていく。
呉に戻ったあと、戦艦大和はどうなっている?返事にあった「徳山を発つ」に合致する状況を探すんだ。今、誠爾さんはどこにいるの?どんな状況なの?
あった!1945年!呉から徳山に停泊地を移している。そして、そこ徳山からの出撃は・・・
「1945年4月7日14時23分沈没」という文字を見つけ、背筋につーっと冷たい汗が流れる。
もし誠爾さんが戦艦大和からこのお返事を寄越してくれていたのなら・・・。沈没した4月7日って・・・。今日だ!
慌てて誠爾さんに返信を書こうとするが、手が震えて上手く書けない。
<誠爾さん 今どこですか?無事ですか?どんな状況ですか?何でもいいからお返事下さい>
と書いて本に挟む。居てもたってもいられず、すぐ本を開く。返信はない。
そうだよね。私しか触れてないもん。物理的にあり得ないよね。いや、そういうことではなくって。これまでも物理的にあり得ないところからの返信だよね。
私は、本を閉じて、開いてを繰り返す。やはり結果は同じ。私の返事は届いているのかな?どうすれば返信は来るのかな?本はここの本棚にないと向こうの時代に繋がらないのかな?本を持ち出すと僅かに繋がっている糸を断ち切りそうな気がして、持ち出せない。無事でいてほしい。なんとか無事でいてほしい。
居ても立ってもいられず再び本を手に取りページを開いて愕然とした!ポストカードがもう何十年も昔の手紙の様に紙が寄れ色褪せていた。まるで何か魔法が切れてしまったかの様だ。
時計を見るともう既に15時を回っている。
もう返事は来ない。戦艦大和は沈んでしまった。あまりにも実感がない。でも、涙がとめどなく溢れてくる。耐え切れず嗚咽が漏れる。
戦争で戦艦大和が沈んだことは、曾祖父も話してくれたし、知っていたよ。でもこれまで、それがどんな事なのか考えたことがなかった。そこに乗っている人のことを真剣に考えたことがなかった。その時、たくさんの命が奪われたってことをちゃんと考えたことがなかった。なんで今までそんな当たり前のことに思いを馳せることができなかったんだろう。曾祖父の話しを右から左に聞き流していた自分が思い出され自己嫌悪に陥る。
私は椅子に座り一人、大泣きした。




