第12話(中園弦元の独白)
ワタシは広島県の江田島の海軍兵学校を出て、大和に任官されました。当時、少尉候補生でした。
誠爾さん、宗正さんと同郷でね。そのよしみでお二人にはよく可愛がってもらいました。冨美さんのことも知っております。鹿児島に戻っていた時に何度かお会いしました。誠爾さん、宗正さん、冨美さんは幼馴染で、お三人はいつも一緒におりましたよ。
ワタシの名前は弦楽器の弦に元気の元と書いて、つるもと、と読みます。どちらの漢字もゲンと読めるので、皆にはゲンゲンと呼ばれてました。これもお二人が最初に呼び始めたあだ名です。
大和に乗艦すると直ぐに天一号作戦の命令が下りました。捨て身の最後の作戦です。まだ十代だったワタシは作戦の直前に退艦を命じられたのです。
その時に誠爾さんが「おい、ゲンゲン、お前に託したいものがある」と言って、和紙に丁寧に包まれた柘植の櫛を渡されました。鹿児島に帰ったらこれを指宿の壽工房に届けてくれと。その時、言伝も一緒に預かりました。
「いいか、この言伝も必ず工房の人に伝えるのだぞ。この櫛をアヤさんという人に渡して欲しい。何十年後かわからんが平和な時代になったら必ずアヤさんという大学生が工房に来る。その時にこの櫛を渡してほしい。だからゲンゲン、この櫛とこの言伝をしっかりと工房に届けるのだぞ。頼んだぞ!」
と誠爾さんは言っておりました。
その櫛は誠爾さんが作ったものだそうです。工房にいた時分にようやく師匠に認めてもらえた櫛で、いつか大切な人に使ってもらおうと大事に持っておったそうです。
驚きましたな。本当に綾さんがおいでなすった。伝言を預かった時はまだお生まれになってなかったでしょうに。誠爾さんは未来が見えておったのでしょうか。不思議なことがあるものですなぁ。
戦艦大和の顛末はご存知ですかな?そうです、沈みました。戦艦大和は大勢の乗組員と共に沈んでしまったのです。そこで誠爾さんはお亡くなりになりましたが、宗正さんは生きて帰っていらっしゃいました。
大和が沈む時、誠爾さんと宗正さんに何が起こったのか。辛い話ですが、これもお伝えせねばなりません。
宗正さんは終戦後も暫くは鹿児島におりました。
比較的、鹿児島には食べ物はありました。農家や漁師がたくさんおりましたから。なので戦後、都会に出るよりはここにいたほうが暮らしやすかったそうです。その時分に何度か宗正さんと話をする機会がありました。ここからは終戦後、宗正さんから聞いた話しになります。
誠爾さんと宗正さんは大和に乗っておられた。最後の捨て身の作戦で戦艦大和はなんとか沖縄にくるアメリカ軍を阻止せんとして徳山から沖縄に向けて出航しました。しかし沖縄にたどり着く前に、アメリカの戦闘機から攻撃されてしまいました。
ワタシは後年、戦史について調べておったのですが、それによるとアメリカ軍の戦闘機は300機とも400機とも書かれておりました。とにかくすごい数だったようです。魚雷もどんどん撃ち込まれて・・・。
宗正さんは、船上は地獄の如く酷い状態であったと言っておりましたよ。戦闘機と魚雷による絶え間ない攻撃の最中、大和は大きく傾いていったそうです。海に滑り落ちていく仲間もあったそうです。傾きが大きくなり、横転しそうになったその時、物凄い爆発が起こり大和は二つに割れてしまったのだそうです。
後にこれは大和に保管している弾薬に引火したせいではないかとも考えられています。
ええ、沈みました。そうやって大和は沈んでしまったのです。人も海に投げ出されます。
出撃する海軍は何艘もの船で戦隊を組んでおります。大和が沈んだ時も近くにはまだ動ける他の船がありました。なので、機敏に動ける駆逐艦なんかが、海でもがく船員の救助に入ります。救護用のボートも出たことでしょう。
ただ戦闘の最中ですから全員を救えるわけではないのです。人数?それもありますが戦時中は助かる者しか助けんのです。回復の見込みがないものを救っても、そのあと戦力にならんでしょう。だから回復の見込みのある者しか救わないのです。手を施しても死んでしまう者、回復が困難な者は後回しです。だから、まずは自力で船に登れる者だけを救うのです。
救助している間にも敵の戦闘機は機銃で攻撃をしてきますので救助も命懸けです。敵が来ればやむなく退避です。船に乗せるのに手間と時間をかける訳にもいかないのです。
大和が撃沈され宗正さんは海に放り出されました。アメリカの戦闘機が飛び交う中、波にのまれない様必死に漂う木片などをつかみもがいていると、波にもまれながら誠爾さんが近づいて来たと言います。
誠爾さんは船上の爆発で怪我を負っとったそうです。足をやられていたそうですわ。だから泳げんのです。木の小さな板でなんとか水を掻いて進んでおりました。
宗正さんは、近づいてくる誠爾さんに気がつき泳いでそばまで行き、大丈夫か、と声をかけました。
誠爾さんは
「見ろ、足の骨が折れている。自力では登れない、俺はここで大和と共に沈む。宗正、貴様は生きろ」
と言ったそうです。誠爾さんの怪我は酷く、確かにロープや梯子をつたい自力で船に乗ることは難しい状態でした。
宗正さんは
「自力では無理なことは承知だ。だからこうしてやる」
と言って、駆逐艦のタラップから下がったロープを掴み、誠爾さんの体に巻き付け、大声で船員に、引っ張り上げろ!と叫んだそうです。
助かるものしか助けないというのは戦争の合理性の話です。このように船に引き上げられる状態をつくられたら、それをわざわざ見捨てるということではありません。人間ですから誰だって仲間を救えるのであれば救いたいのです。
早く上げろ!と宗正さんが叫んで、誠爾さんが少しずつ船に引っ張られている最中、F6F、アメリカの戦闘機ですな、そいつが機銃を放ちながら物凄い速さで近づきてきました。
宗正さんはロープで引っ張り上げられつつある誠爾さんをなんとか庇おうとしました。しかし海の上です。上に飛びあがれるわけもなく、水を掻いている間に、海面を弾く機銃の飛沫が近づいてきます。
機銃の飛沫が自分達に襲い掛かるまさにその時、何かが宗正さんの視界を覆い、機銃から守ってくれました。そして次の瞬間には機銃の飛沫は自分を通過してF6Fは遠ざかって行ったそうです。
ふと見ると目の前には血まみれになった誠爾さんが海に浮いておりました。そこで宗正さんは自分の視界を覆ったものがなんだったのかを知ったそうです。誠爾さんはロープを解き、宗正さんに向かって飛び出していったのです。宗正さんは、ぐったりと海に浮かぶ誠爾さんを抱えました。その時の誠爾さんは左の腰から右の肩にかけて酷く被弾し、右腕を失っておったそうです。
宗正さんは海の上で、抱えている誠爾さんに向かい、誠爾!誠爾ぃ!と何度も叫びました。誠爾さんにはもう声を出せる力は残っておりませんでしたが、最後に、にこっと微笑んで宗正さんの腕の中でお亡くなりになったそうです。
F6Fが上空で旋回し再び近づいてくる中、宗正さんは、断腸の思いで駆逐艦によじ登ったそうです。そして生きて還っていらっしゃいました。
ワタシは艦を降りる時、実は誠爾さんから櫛の他に本を一冊、預かりました。小説のようでしたか、ワタシはあまり読まないので、よくは覚えてないのですが。
櫛は言伝と共に壽屋へ届けるように言われましたが、本の方は特に何も言われませんでした。誠爾さんの形見としてワタシが持っておこうかとも思ったのですが、親友である宗正さんがお持ちになるのが良いだろうと思い、宗正さんにお渡ししました。




