第10話(柘植の櫛)
5月、指宿に来た。
知りたいことが幾つかある。
誠爾さんは誰なのか?壽工房を訪ねよとのメッセージの意図は?曾祖父と接点はあったのか?
でも80年も昔のことだ。誠爾さんの痕跡はもう残ってないかも知れない。人に聞くにしても、この不可思議な出来事をどう説明すればいいのか。不安要素の方が多い。
指宿駅から歩いて10分ほどの街中に壽工房は健在だった。軒先に「櫛 壽工房」と看板がありかろうじて工房とわかるような、古く小さな建物だ。
僅かな期待を抱き、扉を開いた。中では、50代後半から60代ぐらいの女性が一人、作業をしていた。
「こんにちは、ごめんください」
工房に向け声を掛ける。
おばさまが手を休めてこちらに顔を向け、
「はーい、こんにちは。ちょっと待ってて」
と大きな声で答えてくれる。
「あの、私、人を探しているというか、伝言をつたって来たって言うのか・・・。えっと、なんとお伝えすればいいのか・・・」
「なんか事情があるのかしら。そこに座ってちょっと待ってて。仕掛かり中の作業を片付けて、話を聞くわ」
私はお礼を言ってお店の入り口の横にある応接用の古いソファに座る。どうやって説明しようか。何から話そうか。いや、話したところで信じてくれるかな。考えが整理出来ぬままそんなことを考えているうちにおばさまが来てしまった。
「お待たせ。ごめんなさいね、待たせちゃって」
「いえ、こちらこそ、突然すみません。お忙しい中ありがとうございます」
「いいのよ。あなた、もしかしてアヤさんかしら?」
「えっ!」
私は驚きのあまり絶句した。
「あら、嫌だ。違うわよね。ごめんなさいね、変なこと言って」
「いいえ、あ、いや、はい。そうです。私、篠崎綾といいます。どうして・・・」
「ああ!そうなのね。まさかとは思ったけど。本当に来て下さったのね」
「来て下さったって・・・?あの、私、何から話せば・・・」
「ええ、いいのよ。落ち着いて。壽工房にはね、もう何十年も前からの言伝があるよ。いつかきっと平和な時代になったらアヤさんっていう大学生が訪ねて来るって。そうね、終戦の頃だから80年ぐらい前からかしらね。でも事情は知らないの。伝言はそれだけ。なんで貴方がここに来たのか、興味あるわ。良ければ聞かせてくれないかしら」
「あの、ここに昔、戦争中の頃、誠爾さんという方、いらっしゃいましたか?」
「ええ。この言伝はその誠爾さんからの言伝だと聞いています」
「えっ!?誠爾さんが、いつか平和の時代になったら、と言っていたのですか!?」
知っていたんだ、誠爾さんは。私が未来の時代にいたってこと。それを知った上で最後のメッセージをくれているんだ。私が指宿に来るのが何十年後になるのかもわからないのに。
「ええ、そう聞いてますよ。80年も前になぜあなたが来るってことがわかったのかしらね?」
「不思議な話しなのですが、実は私、誠爾さんとメッセージのやりとりをしていたんです」
私は順を追って誠爾さんとのやりとりの経緯を丁寧に話した。おばさまは、頷きながら熱心に聞いてくれた。
話し終えると
「不思議な話ね。でも信じるわ。貴方が今日ここに来たのは現実だし、この工房にいつかきっとアヤさんが来るって言伝があったのも事実ですもの。ちょっと待ってて」
そう言って、おばさまは奥に下がっていった。そして和紙に包まれた何かを持って来た。その和紙には「アヤ様」と丁寧な文字で書かれていた。
「どうぞ、綾さん。これは貴方のものですよ。80年間お預かりしておりました」
私は丁寧に和紙の包みを開く。中には無垢の木肌が美しい柘植の櫛が入っていた。背は緩やかな弧を描き、櫛は繊細に一本一本が綺麗に並んでいる。滑るような触り心地で、丁寧に研磨されていることがわかる。
「これ・・・。柘植の櫛・・・。どうして私に?」
「誠爾さんからの贈り物だと聞いていますよ。でも詳しいことは知らないのよ」
ふと包みを見ると、もう一つ、二つに折られた小さな和紙が入っている。私は折られた少し厚めの和紙を手に取りゆっくりと開く。誠爾さんの筆跡が目に飛び込んでくる。
我も花も 護国に散れど 花はまた
永代を経て 綾を織りなす
この句を見た瞬間、私は雷に打たれたような衝撃を受けた!
私はこの句を知っている!思い出した!曾祖父の声が脳裏に蘇る。
「大和で亡くなった戦友の辞世の句だ。出撃の直前に艦を降りた若い士官兵が戦後、生き残っていた儂に届けてくれた。戦友は命をかけて儂を守ってくれた。お陰で今、生きていられる」
そうだ。いつだったか、そんな話しをしてくれた。いや、でもあの句は別の紙に書いてあった筈。でも今、ここにあるのは一字一句違わず曾祖父が見せてくれたあの時の句そのものだ!
つまり、曾祖父の無二の親友は誠爾さんということなんだ!
記憶が喚起される。あの時、句に自分の名を見つけて私は曾祖父に聞いたんだ。あの時の曽祖父との会話を鮮明に思い出す。
「綾を織りなすって?」
「綺麗な模様をつくるってことだよ。長い時を経て満開の桜並木に花びらが舞っている平和な時代を夢見ていたのかもしれないな」
なんで今まで忘れていたんだろう?なんで曽祖父の話を真摯に受け止めなかったんだろう?
自己嫌悪に陥りながらも、戦争という国家の愚行に憤る。そして否応なく巻き込まれた人々を思うと悲しみが溢れてきた。
櫛に触れると木の温もりが指先に伝わる。
なぜ死ななくてはならなかったの?未来は自分のものなのに、なぜ人に託さなくてはならなかったの?
そっとおばさまがハンカチを差し出してくれる。そして何も言わず暫く私が落ち着くのを待ってくれている。私が落ち着いたころ、
「大切にお使いになって下さいね」
と声をかけてくれる。
「あの、これ、お代は・・・」
「戴きませんよ。これは壽工房の一之江誠爾からの贈り物ですので」
「ありがとうございます。ありがとうございます。大切にします」
私は櫛を胸に抱いて丁寧に何度もお礼を言った。
「当時、この伝言を届けてくれた方、だいぶ高齢だけどまだご健在なのよ。もし良ければ会ってお話しを聞いてみたらどうかしら?何かわかるかも知れないわ」
曾祖父と同世代の方だ。おそらくもう90代後半か100歳を超えるかも知れない。でも会ってみたい!話しを聞いてみたい!
「是非!もし、その方さえ宜しければ今日、明日にでもお会いしたいです!」
そう返事すると、おばさまはその方のご家族に連絡し、会う手はずを整えてくれた。今からでも良いと仰っている。
曾祖父は、誠爾さんが命を賭けて守ってくれた、と言っていた。誠爾さんと曾祖父に何があったんだろう?
私は教えてもらった中園さんという方に会いに行くことにした。




