エピソード3「語るか、黙るか」①
「ババ!!」
ある街で起きる連続失踪事件。
真相を追う刑事、沢登修吾と
街で喫茶店を営む女店主、馬場カーミラルの物語。
「どうする?あなたを語る?それとも黙る?」
=①=
深水市中瀬連続失踪事件。この一年という短い期間に、老若男女を問わず人が忽然と姿を消すという不可解な事件が、深水市中央区、特にこの中瀬という地区を中心に相次いで発生している。手がかりは一向に掴めず、捜査は難航。今や中瀬は“人が消える街”として都市伝説のように語られ、その噂は口コミやネットを通じて急速に広がっていた。
そして奇妙なことに、失踪者を知る人々は、誰もがその話題を避けながらも、口を揃えて「……あれは、自業自得だよ。」と言う。誰もがそれを知っている。だが、誰もがそれを語らない。それはなぜか。
彼ら失踪者の人物像を丹念に掘り下げていくと、彼らには“自業自得”と呼ばれても仕方のない、何かしらの影があったことが見えてくる。
最初の失踪被害者は、昨年十月。深水市内の高校に通っていた女子高生、三猪川優里恵。 明るく活発で、学校内での評判は良かった彼女。だがその裏では、巧妙な心理操作を駆使した陰湿ないじめの首謀者でもあった。
そして最近の失踪者。蓮見克則と白川誠一郎。
株式会社ネオムレクス人事部長、蓮見克則。 法律とルールに忠実な姿勢は、上層部からの評価を得ていたが、 それを絶対視する彼の言動は、現場の従業員たちからは“冷酷”とさえ囁かれていた。
そして、深水市議会議員・白川誠一郎。四十七歳で初当選し、以来六期連続で議席を守るベテラン議員。 若き日は市民の信頼を集めていたが、今では“外面は良いが、裏では何をしているか分からない”という噂が絶えない、深水市政の重鎮である。
表向きは善人だが裏では影を抱えた者。評価が真二つに割れる人物。あるいは、ただの小悪党。深水市中瀬連続失踪事件の被害者たちを並べてみると、そんな者たちが奇妙に並び合っている。
つい最近の失踪者もその一例だ。中瀬商店街でシャッターへの落書き事件を起こした三人の若者、久遠晴馬、芹沢登也、真壁宗次。彼らは犯行の様子を自ら動画に収め、ネットに投稿するという“間違った承認欲求”を露呈した。その軽率さが、犯人特定を早める結果となったが、その数日後、三人は忽然と姿を消した。
善人の顔を持ちながら、裏では何かを抱えていた者。 表と裏の評価が極端に分かれる者。 そして、目立ちたがりの小悪党。
これまでの失踪者は、老若男女を問わず十人。その不可解な消失の中で、強いて言うならばこれが共通点だろう。沢登は思考の中で事件の輪郭を整理しながら、朝のコーヒーに口を付けた。
◇◆◇
十月九日八時十五分の喫茶・風待庵。Terminalと同じく、こじんまりとした喫茶店である。大きく異なるのは、ここの店主が白髪の老人であり、店そのものが長年にわたり中瀬商店街の歴史を静かに支えてきた存在だということ。一年前に若い女店主が始めたTerminalとは、まさに対照的。だが、どちらも店内に漂う“静かな癒し”の空気は、共通している。
風待庵の店内には、大小さまざまな観葉植物が並び、耳に心地よいクラシックのBGMが流れている。店内に濃く香るコーヒーの香り。それはこの店が、自家焙煎の豆を使っていることを強く物語っており、それは長い時間を中瀬の歴史と共に重ねてきた重みを感じるものがあった。
この日の沢登はいつもの喫茶店Terminalには姿を見せていなかった。代わりに彼が座っていたのは、風待庵のテーブル席。深煎りのコーヒーを前に、深水市中瀬連続失踪事件のこれまでの経緯を、静かに手帳にまとめていた。
こうした“思考の時間”を持つには、今のTerminalは少々向いていない。通い始めた昨年十月頃なら、まだその余白があった。だが今は、Terminalの女店主、馬場カーミラルとの関係が近しくなりすぎてしまった。どこか何かと距離感を詰めようとする彼女の存在が、沢登にとって“思考の静寂”を揺らすものにもなっていた。そんなことから事件と向き合うには、彼女との距離が少しだけ必要だった。
手帳には、沢登の筆による文字がびっしりと並んでいる。それは達筆すぎて、もはや“読めない”と表現しても差し支えないほど。まるで何かの暗号のようにも見えるそれだが、彼にとっては重要な、記憶と推理の地図のようなものである。
その中から、沢登は静かに、新たな手がかりを探していた。風待庵の空気を揺らすクラシックは、そんな彼の思考を邪魔せず、ただそっと柔らかく寄り添っていた。
失踪者たちが「自業自得」と囁かれていることは、捜査を始めた当初から、ぽつぽつと耳に入っていた。それが確信へと変わったのは、蓮見克則の事件。それを境に、沢登は被害者たちのそこに焦点を当てた。第一の事件、当時「深水市女子高生失踪事件」と呼ばれていた三猪川優里恵の件も、調べ直してみれば、確かに“自業自得と言われるに足る”過去が浮かび上がってきた。それが思い込みにならぬよう、慎重に一人ひとりの背景を掘り下げていく。 その過程で、無差別で手がかりなしと思われていた事件に、ひとつの共通点が見えてきた。
“被害者は皆、人によって評価が大きく分かれる人物”。
善人とされながら裏の顔を持つ者。表向きは立派でも、周囲からは疎まれていた者。そこに時に混じる、ただの小悪党。ここまでは、さっき手帳にまとめた通りなのだが、問題はこの先。
この事件の犯人は、一体何を考えてこの事件を起こしているのか。その動機は、まるで黒い霧の中だった。見えて来た共通点はある。だが、それ以外は何も繋がらない。被害者同士の接点もなければ、犯行の痕跡もない。ただひとつ、最後の足取りが深水市中央区、特に中瀬に集中していると言われていることだけ。「…これは、理不尽だよな。」沢登は、手帳を閉じながら小さく呟いた。その言葉は、誰に向けたものでもなく、 ただ彼の思考の底からぽとりと零れ落ちた、ただの独り言だった。
◇◆◇
喫茶・風待庵に初めて足を踏み入れた日から、沢登にはひとつの“お決まり”ができていた。それは、店の新聞雑誌棚からある雑誌を手に取り、それに目を通すこと。
「月刊ヌー!?」様々なオカルトや都市伝説を様々な視点から検証する雑誌。捜査にそうした話を持ち込むことは全く無意味だと、沢登はこれまでの経験からよく理解していた。 実際、彼は今までオカルト話を捜査に持ち込んだことは一度もない。むしろ、そう言う話には興味がない方だった。
だが今は違った。この雑誌に書かれた中瀬連続失踪事件に関する都市伝説的な論調に、彼はどこか引き寄せられるものを感じていた。その記事の中に繰り返し登場する言葉「新進の妖怪」。それが、沢登の思考に妙に強く、奇妙な印象を残していた。
そして今日もまた、お決まりのようにその雑誌の新刊を手に取る。表紙には、黒地に白い文字でこう記されていた。
「人の消える街、深水市中瀬を震撼させる新進の妖怪!理不尽を可視化した怪異とは?」
沢登は目次を確認する。その記事は、紙面の冒頭に配置されていた。
「…理不尽を可視化した…怪異?」
今まで新進の妖怪としか書かれていなかったこの記事に、新たに加わった「理不尽を可視化した怪異」という言葉。その言葉が、彼の胸の奥にスパーンと刺さる。それは彼がまさについさっき呟いた言葉とつながるような一文。沢登は、静かにページを開き、その記事を読み始めた。
◇◆◇
これは過去、ある山間に位置する地域で語られていた話である。その土地はかつて、静かなキャンプ場と清流で知られていたのだが、一時期、不可解な現象に見舞われていたことがある。地元住民の間で囁かれるのは、そのとき現れた“理不尽を可視化した妖怪”の存在だ。その妖怪の姿について、ある者は「顔のない登山者」と語り、またある者は「逆さに歩く子ども」と様々。だが、そこに共通するのは、妖怪が現れた後に起こる“説明不能な消失”だ。そのキャンプ場では、その時だけで七件の「無差別失踪」が報告されており、いずれも目撃者は無く、地元住民はただ「何かがおかしかった」と語る。実は彼らの語る妖怪の姿、「顔のない登山者」「逆さに歩く子ども」も憶測にすぎず、失踪事件について誰一人具体的な説明はできなかった。
地元の民俗研究者・三輪博士は語る。
「この妖怪は、理不尽という人間の感情が形を持った怪異です。筋道の通らない怒り、報われない努力、突然の別れ。それらの思いが形となり、新しい妖怪として生まれたのです。」
この怪異は、ただの都市伝説ではない。理不尽という感情が、妖怪という形で可視化されたとき、人は何を信じ、何を語るのか。そして今、世間を賑わす連続失踪事件の渦中にある深水市中瀬は、まさにその問いの中にある。あなたの隣にも、新進の妖怪は立っているかもしれない。
◇◆◇
沢登は、手にした雑誌を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「…できることなら、この事件の理不尽も、可視化してもらいたいものだな。」
半ば呆れ顔。それは、いつものようにオカルト記事に対する沢登の反応だった。だがその表情の奥には、この記事にどこか惹かれている彼の思いもあった。 “理不尽を可視化する”という言葉。それは、進展のない捜査に対する彼自身の、希望でもあった。
今まだ見えないものが、見えるようになるなら。今まだ語られていないものが、何らかの形を持つなら。この事件の捜査も、きっと動き出すはずだ。
沢登は、雑誌を閉じ、深煎りのコーヒーに口をつけた。その苦味が、思考の深さにじんわりと静かに染み込んでいった。
◇◆◇
そのとき、ポケットの奥からブルブルと振動が伝わってきた。 間違いない。スマートフォンの着信だ。外回り中にかかってくる電話に“良い知らせ”が含まれていた記憶がほとんどない。 それは、何年もかけて沢登の身体に染み込んだ、嫌な予感そのものだった。
だが、今回の着信は違った。彼にとってこれは「良くも悪くも、待っていた電話」なのだ。ポケットに手を入れ、画面を確認する。 そこに表示された名前は、武澤春樹。
沢登は、良い知らせと悪い知らせ、二つの答えを予期しながら、無言のまま通話ボタンを押した。
「もしもし。出たか?」
「はい、出ました。沢登さんの予想通りです。あの欠片は‥‥」
「…そうか。了解だ。ありがとう、武澤君。美恵さんにも、俺から礼を言っていたと伝えてくれ。」
「予想通りです。」その一言だけで、沢登にはすべてが伝わっていた。言葉は少なくとも、確かにこの電話は、この不可解な事件の捜査を僅かでも進める切っ掛けとなるものだった。だが、そこにはまだ解けない部分が多く残されている。そして、それを解くために必要なのは、これまでの経験だけではない。必要なのは、“今までにないもの”を理解する覚悟であると。沢登は、手にしていた「月刊ヌー!?」を雑誌棚に戻す。その表紙の言葉、「理不尽を可視化した怪異」という文字が、彼の目をジッと見つめる。それはどこかまるで何かを訴えかけるようにも見えた。
支払いを済ませ、風待庵を後にする沢登が、店の扉を開けた瞬間、秋を感じさせる空気が彼の頬を撫でた。
深水市中瀬連続失踪事件。
この一年という短い期間で老若男女無差別に人が消え、一向にその手掛かりがつかめていない事件。その中心にある、観光とサブカルチャーが共存する、レトロな商店街やカルチャー系施設、個性豊かな個人店が軒を連ねた、独特の情緒を醸している街、深水市中央区中瀬。“人が消える街”というその噂が口コミとネットで急速に広まっていたこの事件は、次の段階へと進み始めた。そして沢登もまた、これまでとは違う“何か”に向き合う覚悟をしていた。
②へつづく




