【第97話】勇気を出したお誘い
「えーっと、三千花さん?」
「は、はいっ!」
しまった、いきなり”さん”付けで呼んでしまったのがいけなかったみたいだ。ものすごく身構えられてしまった。
「夕花の件とか、色々ありがとう。三千花が居てくれて助かったし、本当に心強かったよ」
姉貴から言われたことももっともだったが、それがなくても感謝しているのは本心なので、まず、それは伝えておこう。
「そ、そんなに、改めて言われなくても、私も充実してて、なんというか……楽しかったから」
「でもなんか、お礼がしたくって」
「お礼って、そんなことしてもらわなくても良いのよ……」
お礼をしたところで、感謝に報いられるわけではないけど、何となくそうしないと気持ちが落ち着かない。
「前に言ってた、俺が育った本所を案内するっていうのなんだけど……」
三千花の好きなことじゃないとお礼にならないし、かといって三千花ほど歴史に詳しくないので、案内できるっていったら、そこくらいかな。
「えっ、本当! それは行きたいわ!」
いや、メチャクチャ食いついてくれた……チョイスとしては間違ってなかったか。
「じゃ、じゃあ、2人でどっかで待ち合わせて行こうか?」
「2人で? 陽花ちゃんと一緒とかじゃなくて?」
今までは、ほとんど誰かと一緒だったから、ゆっくり話したりは出来なかったんだけど。
「えーっと、それって……もしかして……」
そうなんだよね、夏祭りに行ったときは、悠二とか、陽花とかも誘ったけど、最終的に2人で行ったっていうだけで、最初から2人でどこか行くってなかったから……
「デ、デートのお誘いってことでいいのかしら?」
「そ、そうやって言われると……まあ2人だけで出かけるんだから……デートという括りにはなるんじゃないかな」
我ながら、なんだろう、このお茶を濁すような回答は……これが姉貴に言われたやつか……ヘタレすぎる……
「デートなら、おめかししていくわ」
それは、デートの誘いにOKしてくれるってことだよね……そこまで言ってくれてるのに、またはぐらかすのか……
――俺は、拳をぎゅっと握りしめると、意を決して、こういった。
「うん、俺と一緒にデートに行って欲しいです」
「はい、嬉しいわ。行きましょう、デート」
相手の気持ちって、分かっているようで、きちんと言葉にしてくれないと不安になったりするけど、こうしてちゃんと伝えて、それを「嬉しい」って言ってもらえるって、こんな幸せなことはないんだな。
「楽しみだわ、いつにするの?」
そうだ、まだOKもらっただけで、ノープランだった。ここで失望させたら、元も子もない。
「えっと、バイトが無い日が良いかな? 今度の日曜日とかは?」
三千花のバイト先は、基本、平日の授業の後に入れてるはずだから、夏休みとはいえ、土日は休みのはず。
「日曜日ね、大丈夫よ、どこに行こうかしら、結構行きたいところあるのよね」
これは、地元とはいえ、三千花の行きたいところにした方がいいのかも。
「小学校のとき、社会科見学で行ったところとかしか分からないから、そんなに詳しくはないけど、場所は分かるよ……吉良上野介の屋敷跡とか、鼠小僧の墓のある回向院とか、東京大空襲と関東大震災の資料館のある横網町公園とか、あっ、江戸東京博物館もあるか」
「えっ、ほんと、忠臣蔵大好きだから吉良邸は行きたいわね、回向院は猫塚も行ってみたいわ……」
――と、そこへ、風呂上がりの姉が帰ってきた。
「話がはずんでるみたいね。どこか一緒にいくのかしら?」
うっ、するどい。どこから聞いてたんだろうか……そう思ったら、姉が「『俺と一緒にデートに行って欲しいです』辺りからよ」と耳打ちした……うっ、そこから聞かれてたか……って、どんだけ風呂入るの早いんだ。
「えーっと、涼也さんが昔住んでいたところを案内してくれることになって……」
「二人の楽しみだから、詳しくは聞かないわ、気をつけて行ってらっしゃい」
姉貴は、俺の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「ほら、あなただけ、お風呂まだなんだから、入ってらっしゃい」
と、風呂に入るよう言われるが、ここって、俺んちなんだよね……
しかも、姉貴の着てるTシャツと短パン、俺のじゃないかな? 泊まるつもりなら着替えぐらい持ってこい。
「じゃあ、お風呂入ってくるから、後で話そう」
と三千花にいうと、「うん、後でね」と、軽く手を振ってくれた。
……しかし、今日の三千花、やけに素直だな。もしかして、アルコールのせいか? だとすると、明日ちゃんと覚えてるか確認しないと……
――着替えを持って、脱衣所の扉を開けると、そこには長い髪をドライヤーで乾かしている陽花がいた。しかもパンツしか履いていない。
「ご、ごめんなさい」
慌ててドアを閉めた。そういえば、姉貴に連れられて一緒に入ってたんだっけ、陽花だけ戻ってきてないの忘れてた。姉貴が入れって言うから……って良いわけだなコレ。
「いえ、パジャマが濡れると思って、着ていなかった私が悪いので、お気になさらずに」
ドアの向こうから陽花がそんな聖女のような言ってくれるが、気にならない訳がない。
注意力散漫だな、酔っ払ってるのは俺か――
「はい、終わりましたので、どうぞ、お入りください」
どうぞって、いや、陽花が出てきてくれ。
「お背中ぐらい、お流ししようかと思ったのですが、駄目でしたか……」
うん、絶対にやめてくれ。そんなことしたら姉貴に一生ネタにされる……
――陽花と入れ替わりで、お風呂に入って、一人で考える。
自分の気持ちを伝えることは大切だな。悔しいけど姉貴の言う通りだった。
きちんとデートだと言ったときの、三千花の嬉しそうな顔。そして、嬉しいと言ってもらえたことが、何よりの心の支えになる。
お酒の力を少し借りてしまったけど、一歩踏み出せて良かった。
とはいえ、まだデートに誘ったところまでなので、これからが勝負だ。
少しずつでも、確実に距離を縮めるためにはまだまだ勇気を振り絞らないとだめだな……そう決心するのだった。