【第81話】ハードボイルドな朝
……チュンチュン。
小鳥――いや、雀のさえずりが耳に届いた。
「……もう、朝か」
まぶたを開くと、そこには――三千花の顔。
一瞬、心臓が止まるかと思った。
まさか、夜中寝ぼけて、三千花のベッドに潜り込んでしまったのか……? そう思ったが、どうやら違うらしい。俺はちゃんと布団に寝ている。じゃあこれは――
「三千花が寝ぼけて……こっちに来たんだよな?」
とりあえず、自分がやらかしていないことに安堵する。
近くで見る三千花は、普段のきつめな表情とは違って、あどけない。縮こまるようにスヤスヤ眠っているその寝顔は、守ってあげたくなるくらい華奢で、夢見る少女のようだった。
「……こんなに小さかったんだな」
俺と同じくらいの目線だと思っていたけれど、実際はこうして間近に見ると、繊細で、柔らかい。夢の中で何か楽しいことがあるのか、ふっと微笑んだような表情を浮かべた。
――その瞬間。
ぱちりと、目が開いた。
「お、おはよう……」
不意を突かれた俺は、思わず朝の挨拶を口にした。三千花はゆっくり何度かまばたきをして、寝ぼけたようにぽつり。
「……うん……おはよう……」
その声はまだ半分夢の中にいるみたいに、柔らかかった。
窓の向こうでは雀がチュンチュンと鳴き、カーテン越しに朝の光が差し込んでいた。
* * *
その後。
当然のように修羅場が待っていた。
「どうして一緒の布団で寝てるのよ!」
「なんで起こしてくれなかったの!」
「……何も変なことしてないでしょうね?」
俺はただただ頭を下げ、平身低頭、謝罪を繰り返すしかなかった。いや、そもそも寝ぼけて俺の布団に入り込んできたのは三千花の方なんじゃ――と一瞬思ったが、そんなことを口にできるはずもなく。
ただひたすら「すみません!」を繰り返していると、自分がベッドではなく布団に寝ていたことに気づいたのか、
「……もういいわよ」
小さくため息をついて、台所の方へ歩いていった。どうやら、約束どおり朝ご飯を作ってくれるらしい。律儀というか、責任感が強いというか……。
そして、出来上がった朝食。
大根おろしにしらすをのせた「しらすおろし」。味付け海苔。シンプルな卵焼き。味噌汁はなすと油揚げ。そして、白いご飯。
あの状況にもかかわらず朝ご飯を用意してくれたことには感謝しつつ、俺はここにもう一つとんでもない話を投入しないといけないのだった。
「あのさ……今夜、天音ちゃんが泊まりに来るんだけど」
一応、この部屋の主としては、既に決定した事項として伝えた訳だが……
「勉強合宿ってことで。数学を見てもらうのが目的なんだ」
言い訳のように、大義名分というか建前を話したものの……
「天音ちゃんのお母さんにも“是非お願いします”って言われてて……」
保護者の許可というか推薦があるということも伝えてみるが……
「……で、泊まってもらってもいいでしょうか?」
なぜか俺は、三千花にお伺いを立てていた。俺の部屋なのに。
「私はいいけど……あなたの部屋でしょ?」
それはそうなんだけど、夕花を預かってる間、三千花に一緒に泊まって欲しいとお願いをしている分際で、他の女の子を更に家に泊めるって、いつから俺、そんなハードボイルドな人生を歩むようになったんだ……
「ベッドと布団、一組ずつしかないけど……まあ夏だから、なんとかなるわね」
そういう現実的なところを心配してくれるのが、三千花さんの良いところで、
「本当に“勉強だけ”なんでしょうね。受験生なんだから」
そういった釘はしっかり差してくるのだが、
「夕飯もここで食べてもらうのよね? いつもご馳走になってるお返しに」
そう言われて、ありがたいやら気まずいやら。
「……事前に相談してほしかったわ」
最後は冷ややかな目でそう告げられた。ぐうの音も出ない。
「夕飯は夕花も作るね!」
ここで夕花が助け舟を出してくれた。
「少し部屋の整理もしないとね」
あ、それはつまり俺の不要品を一掃される未来が……。
「お掃除なら任せて! 涼也お兄ちゃん!」
夕花のお掃除スキルなら百人力だ、大変ありがたい。
「……ほんと、どうしてあなたって、いつもこうやってあれこれ引き寄せてくるのかしら」
ようやく、三千花さんからあきらめにも似た一言がでたのだった。
――話を一つ伝えるだけなのに、なんでこんなに苦労するんだろう。だまって寝顔を見てたのがいけないのか?
まあ、夕花も助けてくれるし、三千花も渋々協力してくれるみたいなので、良かった……のか?
ひしひしと波乱の予感を感じつつ、味噌汁をすするのであった。