【第80話】餃子の夜
「ただいまー」
小声でそう言って玄関を開ける。
部屋の電気は消えていて、しんと静まり返っていた。深夜に帰ってきたんだから当然だ。
けれど、今日はなぜか――ほんの少しだけ寂しい気がした。普段なら、誰もいないのが当たり前だから気にもならないのに。
「おかえりー」
暗闇から少女がぬ―っと現れて、小声でそう言った。
思わずドキッしたけど、少し幸せな気持ちになった。
「ありがとう夕花、起きてたんだ」
「うん、夜間の学習はもうちょっとしてから始めるから、寝たふりしてたの」
そうそう、陽花は昼間の記憶を使って研究室のサーバーで学習するんだけど、夕花も同じ機能があるんだな。
「夜は餃子を作ったんだけど、ちょっとあまってるから涼也お兄ちゃんも食べて」
そういって、冷蔵庫から餃子の残りを取り出した。餃子は3個だけ残っていた……微妙な数だ。
「ほんとは、三千花お姉ちゃんが全部食べてもよかったんだけど、せっかくだからって、3個残してくれたんだよ」
そうなのか、まあ、夕花が作るだから美味しいんだろうけど、それを取っておいてくれたのか、感謝しないと……
「今、チンするから、ちょっと待ってね」
といって、電子レンジで温めてくれる。
「涼也お兄ちゃんもビール飲むの?」
台所を見ると、見慣れぬビールの缶がゆすいで置いてある。三千花が買ってきて飲んだんだな。冷蔵庫のビール勝手に飲んでも良かったのに。
「コンビニに行ったけど、まだ涼也お兄ちゃんは居なかったって言ってた」
そうか、シフトに入る前に買いに来たのか。とはいえ、居るときだと気まずくはあるけど……
「最初は柚子こしょうだけ買いに行ったんだけど、餃子だからビールも買ってきたんだって」
夕花が、電子レンジの停止ボタンを押した。三千花が寝てるからピーピーならないように寸前で止めるところが小学生離れしてる。
「はい、どうぞ、温かいうちに」
といって、渡された。部屋はもう電気消してるから、台所で食べようかな。なんだかつまみ食いしてるみたいな感じだ。
「じゃあ、いただきます」
夕花が冷蔵庫から、柚子胡椒とビールを出してくれる。うん、ビールに良く合う味だ。皮もモチモチしてて、具はニンニクなしの野菜多めだ。細かく刻んだ野菜の食感が残っててメチャクチャ美味しい。
「皮から作ったんだよ」
そりゃ美味しいはずだ。ビールもすすんで、あっという間に餃子もビールもなくなってしまった。レンチンしてこの味って、出来立てはどんなに美味しかったことか。
「ごちそうさま」
「うん、また今度もっといっぱい作るね」
小腹が満たされて、ふっと力が抜ける。バイトで肉体労働してきた体には、ありがたい夜食だった。
「お風呂は、残り湯とってあるから、眠くならないうちに入っちゃって」
残り湯ということは、三千花の入った後のお湯ってことだな……いやいや、多少酔っ払ってるからっていっても変な妄想はやめとこう。
「着替えは持ってくるから」
といって、背中を押されて風呂場に誘導される。これはまさに出来の良い妹に面倒見られる駄目兄貴の図だな。いかん、この状態じゃ、姉貴と大差ない気がする。
早速風呂に入ると、
「着替え置いとくね」
と夕花の声がする。流石に乱入とかはしてこないよね。
このお湯に三千花が浸かってたと思うと、あらぬ妄想をしてしまう……いかん、いかん。
* * *
お風呂から出ると、パジャマと下着が綺麗に畳まれて置いてあった。これを着たら、髪の毛を乾かして、歯を磨いて寝るだけだ。いたれりつくせりだな。
――部屋に戻ると、布団も敷いてあって、本当にあとは寝るだけになってた。三千花はぐっすり眠ってるみたいだ。
「……涼也くん、だめよ、そんなことしちゃ……」
三千花が寝言でそんなことを言うので、一瞬ドキッとした。いや、なんだろう、夢の中でも怒られてるのかな?
「駄目ですよ、涼也お兄ちゃん、そんなことしちゃ」
夕花が追従してからかってくる。何もしてないのにダブルで責められるのは理不尽だ……
布団に横になると、夕花がうちわで仰いでくれる。心地よい風にまぶたがどんどん重くなる。
――俺が眠りにつくまで、夕花は仰ぎ続けてくれていたらしい。
いつもとは違う、少しだけ特別なバイト帰りの夜。
安らぎの中で、俺はあっという間に眠りへと落ちていった。