【第78話】セミ採り勝負
「夕花、公園に行きたい!」
いきなりそう言い出した夕花に、思わず固まった。
いや、待て。中身は陽花なんだから、公園で遊びたいとか……無いよな? 無いよね?
「公園でセミさんつかまえるの!」
「セッ、セミ!? だ、だめよそんなの、可哀想だわ!」
三千花が慌てて止めるけど、顔には完全に「セミは苦手です」と書いてあった。
「どうしてセミなんだ?」
素朴な疑問を投げかけると、夕花は胸を張って答えた。
「セミさんはアミがなくても手で捕まえられるんだよ」
……セミ採り名人もビックリな理由だな。なんでそうなるんだ。
「だって、大人の格好でセミ採りしてたらおかしいでしょ?」
ああ、なるほど。つまり陽花のときからセミを捕まえたかったってことか。にしても、どうしてまた。
「研究室にいたとき、ずっとセミさんの鳴き声がしてたんだよ。だから、本物を見てみたいの」
――意外と真っ当な理由だった。
確かに、研究室のサーバーの中にいたときに聞こえていたのは、セミの鳴き声くらいだったもんな……なんか少し切なくなる。
「そういうことなら、行きましょう。セミ採り!」
三千花が若干目をうるませながらそう言った。……けど、表情はまだセミが怖いって言ってる気がする。大丈夫か?
「まあ、じゃあ行ってみるか。近くの公園に……」
思いつく限りの暑さ対策をして、公園へと出発した。
* * *
公園に着いてみると、意外に虫取りをしている小学生が多かった。みんな虫取り網を手にしている。やっぱり普通はそうだよな……。
そんな中、夕花は薄紫のワンピース姿。どう見ても虫取りに来てる格好じゃない。
「あっ、あそこにいる!」
夕花が見つけたのは、公園の資材小屋の壁に止まっているアブラゼミだった。
ゆっくりと近づき、親指と人差し指と中指で――ひょい、と捕まえる。
「ここの羽の付け根を押さえると、おとなしくなるんだよ」
確かにセミは脚をもぞもぞ動かしてはいるけど、バタつくこともなく静かにしていた。
「ちょ、ちょっと……それ、どうするの?」
三千花が顔を引きつらせながら尋ねると、夕花はスタスタと大きな木へ向かって歩いていく。
「はい、どうぞ」
木の幹にセミをくっつけると、すぐに口を差し込んで樹液を吸い始めた。
「セミさんは、木にとまらないとお食事ができないんだよ」
なるほど、壁にとまってても食事できないわけか。
「そうなのね……捕まえたら可哀想って思ってた私が間違ってたわ」
三千花は小さく息をつきながら呟く。いや、そんなに深刻に考えなくても……まあ、認識が変わったなら良かったか。
――と、そこで。
「おい! おまえ! オレとセミ採り勝負だ!」
小学校三年生くらいの坊主頭の少年が、夕花に勝負を挑んできた。
「いいよ。私が勝ったら、そのカゴのセミさんを逃がしてあげて」
「よーし! オレが勝ったら、お前の捕まえたセミ全部もらうからな!」
「私は手で捕まえるんだよ。アミを使わないと勝てないの?」
「うるさい! オレだって手で捕まえてやる! 見てろよ!」
少年は気合いを入れて手を伸ばすが、バサバサッと音を立ててセミは飛び去ってしまう。
「こうやって捕まえるんだよ」
夕花は、壁やフェンスなど、木以外にとまっているセミを次々と見つけては、スカートも気にせず器用に登って――片っ端から捕まえていく。
「ミンミンゼミは十点ね」
すでに大差がついているのに、さらに追い打ちをかける夕花。いや、大人気ないだろ……少年は半泣きだった。
「はい、夕花の勝ち。カゴの中のセミさんも木に戻してあげようね」
少年は意気消沈しつつも、素直に夕花のすごさを認めるしかなかった。
「おまえ……すげえな」
憧れのミンミンゼミをあっさり捕まえる姿に、もう敵わないと思ったらしい。
「セミさん、のどがかわいてるんだよ」
そう言って、一匹ずつ木に戻していく夕花。やがて、一本の木がセミでいっぱいになった。
「すげえ……こんなの見たことないや」
喉を潤したセミたちは、やがて一斉に鳴き始める。
「やっぱり、セミさんは元気に鳴いてるのが一番です」
陽花とも夕花ともつかない、不思議なその言葉に、胸が少し温かくなる。
「こんな近くで、こんな合唱を聞いたことないわね」
三千花は夕花の頭をやさしく撫でながら、微笑んでいた。
夏の木陰に響き渡るセミの声。
大樹の精霊が舞い降りたような少女が、その歌声に満足そうに耳を澄ませていた。