【第77話】見えてしまったもの
「もう、どうしてこうなるのかしら……」
三千花は自分の胸の内を持て余すように、ぽつりとつぶやいた。
最初は――ほんの少しでも今の関係に変化があればと願って、勇気を振り絞って“陽花ちゃんと一緒にお泊まりする”なんて約束をしたのだ。
なのに……。
「『私が作った朝ご飯を毎日食べたい』とか……(←言ってない)……」
「『演技でも良いから付き合って欲しい』とか……(←言ってない)……」
「『いつでも来れるように合鍵を作ったよ』とか……(←言ってない)……」
「人畜無害そうな顔して、どうしてそういうことばっかり言えるのよ!」
ぐっと握った拳に、自分でも驚くほど力がこもる。
夕花ちゃんがやけにサポートしてくれているから、今はその流れに乗って色々言ってきてるけど……もしかして、他の子と一緒のときに夕花ちゃんが誘導すれば、その子にも同じことを言うんじゃないか――そんな不安すら頭をかすめる。
「でも……しばらくは一緒に居られるのよね」
これがチャンスなのか、それとも試練なのか。
考えすぎて大事な機会を逃すのだけは絶対に避けたい。
だから昨日は、ちょっと短めのスカートを選んできた。
万が一見られても大丈夫なように、一番気合を入れた下着も身につけてきた。
――それでも、ちゃんと女の子として見てもらえているのか、不安は拭えない。
「お料理も、夕花ちゃんが本気出したらお手伝いしかできなかったし……」
とりあえず、朝ご飯は私が作るんだから、そこが勝負ね。
二人の関係が目まぐるしく変わっていく中で、自分の気持ちだけが取り残されているような、そんな葛藤を抱える三千花だった。
* * *
「ごちそうさま!」
暑さで落ちていた食欲に、ひんやりとパンチのきいた冷やし中華は最高の刺激だった。
気づけばぺろりと平らげてしまって、満足感のあまりその場にごろんと横になってしまう。
「もう……食べてすぐ横になるなんて、牛になるわよ?」
「でも、午前中から暑かったから、ちょっと食休みしたい……」
三千花が片付けるまで、ちょっと休んでいよう。そう思って視線を泳がせたとき――。
……視界の端に、青い何かが映った。
タオルの隙間から覗いたのは、青地に白いレースの上下セット。
「(……って、これはっ!)」
見てはいけないものを見てしまった感覚に、背筋が凍る。
「ごちそうさまでしたー」
ちょうど三千花が食べ終わり、自然を装って立ち上がる俺。
何食わぬ顔でお皿を片付け始めた。……今の挙動、不自然じゃなかったよな?
「お兄ちゃん、ゆっくりしてていいよ。夕花が洗うから」
「いやいや、俺だけ何もしてないから、お皿くらいは……」
自然な流れに見えただろうか。いや、見えていないと困る。
「そんなに急がなくても良いのに。せっかく横になったんだから、ちょっと休んだら?」
三千花がやさしく言ってくれる。けれど逆に、胸がチクチク痛んだ。
だってこれは明らかに――ギルティだ。
陽花のときは下着を“わざと”見えるように干してあったくらいで、罪悪感ゼロだった。
だが今回は……見えないように隠してあったのを偶然とはいえ覗き見てしまったのだから。
「午後はどうするの? 疲れたなら、お昼寝でもする?」
「いや、それはマズイ……じゃなかった、ちょっと体を動かしたいから外に出よう!」
横になったら、下からのぞけるのがバレてしまう。ここは外に連れ出すしかない。
「でも東京、今日の最高気温38度よ? 夕花ちゃん大丈夫?」
「大丈夫だよ! 水分を気化させて温度調整する機能があるから!」
ナイスフォローだ夕花。だがその小さな体にどれだけ水を蓄えられるんだろう。
「夕花、お水が飲めるんだよ。足りなくなった分をちょっとずつ補給するの」
バッグから水筒を取り出し、少しずつ飲む夕花。
その様子に三千花も目を輝かせる。
「すごーい! それなら大丈夫ね。じゃあ、どこか行こうか?」
よし、これで外に……――と思ったら。
「やっぱり、ちょっと休んでからにしようかしら。さっきは牛になるなんて言ったけど、少し横になりたいわね」
そう言って仰向けに寝転がり、腹の上で手を組む三千花。
普段きちんとしている人が、こうして無防備に休んでいる姿は、不思議と癒やされる。
……が。
その位置からだと――さっきと同じ光景が、見えてしまう。
「あっ……もしかして、この角度って……」
バッと身を起こし、俺をまっすぐ見つめる三千花。
「見えた……の?」
その瞳はまっすぐで――俺は、嘘がつけなかった。
「……はい。見えました」
ピシリ、と。三千花が石のように固まる。
「ホントに、一瞬だけだから!」
その一瞬が脳裏に焼き付いて離れないのだが。
「それで外に行こうとか言ってたのね……」
やばい、怒ってる。完全に怒ってる。
「バレないようにするつもりだったのね……」
……はい。すみません。
「正直に言ってくれれば良かったのに! もう! 知らない!」
結局、ごまかそうとしたことが一番まずかったらしい。
このあと三千花が機嫌を直すまで、俺はひたすら謝り続ける羽目になったのだった。