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【第76話】合鍵と冷やし中華

『ピンポーン』


 ドアのチャイムが鳴った。


「開いてるー」


 ガチャリと音を立ててドアが開き、三千花が帰ってくる。


「ただいまー。……あのね、鍵はちゃんと閉めておきなさいよ」


「おかえり。こっちもちょうど今帰ってきたところだよ。三千花が帰ってくると思ったから」


「私じゃなかったらどうするのよ」


「大屋さんとかだったら、『すみません、友達と間違えました』って言う」


 三千花は呆れ顔で「そういうことじゃないのよ、セキュリティ意識とかあるのかしら……」とつぶやきながら鍵を閉めてる。どうやら回答はお気に召さなかったらしい。


「三千花お姉ちゃん、おかえりー!」


 台所から、夕花が顔をひょこっと覗かせる。


「ただいま、夕花ちゃん!」


 三千花が一瞬で笑顔になったのを見て、俺はホッとする。……渡すならこのタイミングかな?


「あの、これ……必要だと思って」


 小さな紙袋を差し出すと、三千花は首をかしげながら受け取った。


「なにこれ? 開けていいの?」


 袋から取り出されたのは、銀色に光る鍵と、猫の形をした小さなキーホルダー。


「えっ、えーっと……これはもしかして合鍵かしら?」


 まあそうだよな。本当の恋人同士でもないのに、男から突然合鍵を渡されたら身構えるのも無理はない。ここはあくまで事務的に。


「さっきみたいなとき鍵かけておいても、これがあればそのまま入れるし。チャイムを鳴らさなくてもいいから」


「そ、そうよね……確かに必要よね。気を遣ってくれてありがとう」


 三千花はそう言いながらも、どこかぎこちない。


「そのキーホルダーは夕花がえらんだんだよ!」


 と、夕花が胸を張る。


「……そうなのね。夕花ちゃんと一緒に選んだのよね。うん、可愛いわ。ありがとう!」


 ようやく自然な笑顔に戻った三千花を見て、胸をなでおろす。……合鍵ってやっぱり重いよな。今度からは気をつけよう。今後があるのか分からないけど……


「今からお昼ご飯作るね!」


「えっ、夕花ちゃんが? 大丈夫?」


「うん。これ買ってもらったから!」


 夕花が両手で掲げたのは、今日買ってきた折りたたみ式の踏み台だった。


「夕花が欲しいって言うから、買いに行ったんだ」


「そうよね、踏み台がないと台所に届かないものね」


「これがあれば大丈夫! 今作るから待ってて!」


 そう言って夕花が取りかかったのは、冷やし中華。タレから作るらしい。


 酢、醤油、砂糖、塩を混ぜ、最後にごま油を垂らしてまた混ぜる。それを冷凍庫に入れて冷やしていく。――タレ付きのを買ったことはあるけど、そこから作るのは初めて見た。


「一人で大丈夫? 手伝おうか?」


 俺が声をかけると、ちょうど鶏肉と生姜をどんぶりに入れ、お酒と水を加えてラップをかけるところだった。


「これをレンジに入れて欲しいの」


「あっ、うん。蒸し鶏にするのね? 何分くらい?」


「よく蒸したいから、5分くらい!」


「分かったわ。それじゃ5分ね」


「ありがとう! それから、冷蔵庫から卵をひとつ出して欲しいの」


「薄焼き卵を作るのね。了解」


 三千花でさえアシスタント扱い。俺の出番はなさそうだ。


「じゃあ俺、洗濯物干してくるよ」


「えっ!? あーっ、それは私がやるから! 代わって!」


 全力で拒否される。……そういえば三千花の洗濯物も混ざってるんだった。俺が触ったらアウトだよな。危ない危ない。


「お兄ちゃん、お鍋でお湯を沸かしてください」


「あ、はい」


 俺でもできる簡単なお手伝いを任されて、なんとか存在感を保つ。


 その後は蒸し上がった鶏肉を取り出し、トマトやきゅうりを切り揃え、麺を茹でて冷水で締め……気づけば、見事な冷やし中華が完成していた。


「「いただきます!」」


 箸を手に取った瞬間、冷やし中華特有の爽やかな香りが鼻をくすぐる。


「おいしい! 外が暑かったから、余計に体に染みるわね」


「うん、すごいおいしい。タレの酸味がちょうど良くて、今まさに食べたかった味だ」


「ありがとう! またいろいろ作るね!」


 夕花は、充電モードに入りながらも満足げに俺たちの顔を眺めている。


 ちなみに、洗濯物は女性陣の下着をタオルでぐるっと囲んで室内に干してある。……これなら、全く見えないから大丈夫だな。


 三千花もいる。夕花も家事万能。となると俺の出番はますます少ない。……掃除機くらいはかけるか。


 本当にここは俺の部屋なのかと疑いたくなるほど、賑やかで不思議な光景。


 最初に向田さんに頼まれたときは不安しかなかったけど、今はただ感謝している。


 今年の夏休みは、例年とはまるで違うものになりそうだ。おいしい料理でパワーをチャージしたし、午後からは今までできなかったことをやってみよう――そう思いながら、俺は箸を置いたのだった。

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