【第70話】手をつないで帰る道
「ど、どうしよう。陽花だけまだあの駅に……」
「思いっきりぶつかって、大丈夫だったかしら……」
電車の中で悲痛な思いをしながら、次の駅に着くのを待つ三千花と俺。
ようやく電車に乗れたという安心感と、発車ベルが鳴り終わってドアが閉まる寸前だったので、今からじゃ降りられないのでは……と思ってしまったのがいけなかった。
この電車はあきらめて、3人で降りてしまえばよかったんだ。
「せめて手をつないでいれば、陽花一人だけ残ることはなかったのに……」
「後悔しても、結果は変わらないわ。次の駅で降りて引き返しましょう」
三千花が冷静に提案してくれる。
確かに、1駅だけならすぐに戻れるかもしれない。
――やがて電車が次の駅に到着し、反対ホームへ。だが、そちらの電車に乗る人たちも行列を作っている。
「すぐには乗れなそうね」
「スマホで連絡がきてないか見てみる」
ポケットから取り出すが、陽花からのチャットは無い。
人混みで回線がパンクしているのかもしれない。
「陽花、聞こえたら返事してくれ」
……しかし返答はない。
「向田さんに連絡してみたら?」
そうか、GPSで居場所が分かるかもしれない。
『そうなんですね、陽花ちゃんが駅に一人で、すぐに実験室に連絡して、確認してもらいます』
向田さんは、すでに空港に向かう途中だったが、実験室に連絡してくれるらしい。折角の夏休みなのに、捜索に協力してもらって申し訳ない……しかし、向田さんからの連絡は無情なものだった……
『実験室からGPSで調べてもらいましたが、地下にいるためか場所の特定はできませんでした。それから、駅周辺でスマホの通信障害が起こっているらしく、ネット経由での通信も取れません。GPSからの位置情報が取得できないのは、こちらが原因の可能性もあります』
「分かりました。調べていただいてありがとうございました」
「やっぱり、早く戻らないといけないわね」
「あのまま、ホームで待ってくれていれば、次の電車には乗れると思うから、戻れば合流できるかな」
一番いけないのは、中々戻ってこないと思って、陽花も移動してしまうことだ。そうすると、自分たちが戻っても、すでにその場所に居ないし、今度はどこで落ち合えば良いか分からなくなってしまう。
俺達は、陽花がその場所に留まってくれていることを祈りながら、反対の電車に乗った。
* * *
「ごめんなさい、怪我は無いですか! 何てひどいことをしてしまったんだ!」
「大丈夫ですよ、おじさん。ちゃんと受け身を……怪我はしてないから、ここでお兄ちゃんとお姉ちゃんを待ってます」
「そんな……大丈夫なのか?……頭とかぶつけなかったかい? すぐに検査しないと」
「頭はぶつけてないし、センサーも正常……どこも痛くないから、本当に平気です。それに、ここで待ってないと、今度はお兄ちゃんとお姉ちゃんに会えなくなっちゃいます」
慌てる大人と、冷静な小学生のやり取りに、周りの人々も「この子の言う通りにした方がいい」と思った。
* * *
――そして。
「陽花ちゃん! 大丈夫なの!」
三千花が駆け寄って陽花を抱きしめる。
「大丈夫だよ、お姉ちゃん。怪我もしてないし……どっちかっていうと、おじさんの方が大丈夫じゃないかも……」
そこには、さっき陽花を突き飛ばしたおじさんが、憔悴しきった顔でうなだれていた。
30分も経ってないのに、なぜこんなにやつれているんだ……?
「おじさんが、心配してくれて、どこも痛くないから大丈夫って言ったんだけど、早く病院行かなきゃって……」
だが病院に行くのはアウトだ。ここは穏便に済ませねば。
「おじさん大丈夫だよ。陽花、柔道やってるから受け身得意なんだ。さっきのも痛くなかったし、練習に比べたら、全然へっちゃらだよ」
平然と演技をする陽花だが、ここは合わせておくしかない。
「陽花もこう言ってますし、怪我も無いみたいなので、大丈夫ですよ。もし良ければ、連絡先だけ教えてください。後でもしぶつけたところが痛くなったりしたら、連絡しますので」
「はい、本当に申し訳ありませんでした。こちらが連絡先です。何かあったらすぐに連絡してください」
と、名刺をもらった。
ん? 営業部長って書いてある。何かちょっと偉い人だったみたいだ。
* * *
その後。
おじさんと別れて、家路に着く三千花と陽花と俺……3人の手は、しっかり繋がれていた。
あの後、通信が回復して、実験室とも連絡が取れたところで、センサーからのログも拾えたそうで、衝撃も最小限におさえられていたし、どこにも異常なかったということで、予定通り家に連れて行っても大丈夫という許可が下りた。
「しかし、陽花が柔道やってたとは」
俺が、茶化してそういうと……
「動画とか、ネットとかで、柔道の勉強したのは本当だよ。ぶつかる瞬間、体を丸めて、着地するときは受け身をとったから、平気だったんだよ」
まあ、中身は小学生じゃ無いんだから、そのくらいの知識があっても良いんだろうけど、傍から見たら、綺麗な放物線を描いて飛んでいったから、心臓に悪かった。あと、体を丸めて防御するのは、違う格闘技だと思う。
「でも無事でよかった。一時はどうなるかと思ったわ」
その言葉に俺もうなずいた。子供を心配する親の気持ちが少しわかった気がする。
陽花は手をつながれて嬉しそうに歩いている。
……と、そこで、ばったり、天音ちゃんに出会った。
「えっ、あっ、涼也先輩と三千花さん……と、えーーっ! お二人のお子さんですか!?」
「いやいや、そんなわけないでしょ。これ、ちっちゃいけど陽花だから」
「えーーーーっ! 陽花さん!? 可愛すぎます!」
抱きつく天音ちゃん。やっぱりそうなるのか。
「ちょっと大人の陽花はメンテ中で、今はミニ陽花になってるんだ」
「若さでも負けるなんて……ずるいです」
なぜか勝負を挑む天音ちゃん。相手は子供なんだけどな……。
「そういえば、どうしてここに?」
天音ちゃんの家からは、ちょっと離れてて、どちらかというと俺ん家の近くだ。
「実はカレーをたくさん作ったので、お裾分けに来たんです。お留守だったので帰るところでした」
大きなタッパに入ったカレーを渡される。ありがたすぎる。
「ちょうど、夕飯の仕度もしないで、こんな時間になっちゃって、助かるよ」
「カレーなら明日でも食べられると思って……連絡もしないで来ちゃってすみません」
「いや、いつもありがとう。お母さんにもよろしく」
「はいっ」
手を振って家に帰っていく天音ちゃん。
もう疲れてたので、レトルト食品でも良いかなと思ってたところに、天からの贈り物だった。
と、そのとき。
「あっ、リチウムの充電が切れそうです。おんぶをお願いします」
陽花が真顔で言った。
こうして、俺は陽花をおんぶしながら、残りの道を帰ることになった。
* * *
「先輩にカレー渡せてよかった! ちっちゃい陽花さんも可愛かったし……あれ? 三千花さん、こんな時間に先輩の家に一緒に……もしかして、お泊り!? えーーーーっ!」