【第63話】専業主婦モードと思わぬ来訪者
「えっ、来られないんですか?」
朝。向田さんから電話が掛かってきた。
どうやら、1号機の調子が思わしくないらしく、今日は迎えに来られないらしい。
「はい、でも今日は大学に行かないといけなくて……」
夏休みなのに大学に行っていると言ったら、『研究熱心なんですね』などと感心されてしまった。
本当は英語の単位を取るためのサマースクールなんて、言える雰囲気ではない。
――いや、研究室にも行く予定はあるから、あながち嘘でもないか。
「大学には、学生証を見せるか、受付で誰に面会するか書かないと入れないんです」
「そうなんですね。それでは今日は、自宅警備訓練ということで、家事をしながら留守番するミッションをお願いできますか?」
なんか、仰々しい言い方だけど、家で待ってろってことだよね?
「明日の朝、迎えに行きますので、連泊の訓練も兼ねてお願いします」
「分かりました。陽花にもそう伝えます」
「くれぐれも、1人で外出させないように」
確かに、1人で何かあったら大変だ。下手をすると、アンドロイドだということが知られて大騒ぎになってしまうかもしれない。
「はい、そこは、良く言い聞かせます」
――電話を切って、陽花に趣旨を説明すると、ルンルン気分で、朝食を作り始めた。大丈夫かな? ちゃんと人の話、聞いてた?
「大丈夫ですよ、専業主婦モードに入りますので」
やっぱり、大事なところをちゃんと聞いてないんじゃない? 1人で出かけないでって言ったよね。
「はい、もちろん“1人”では出かけません」
……すごく心配だが、ここはもう本人に任せるしかない。
俺は陽花の作った朝食を食べ、大学へ向かう。
「行ってらっしゃいませ」
エプロンをしたまま、お玉を手に持って見送る陽花……なぜ、とっくに朝食は作り終えているのに、お玉を持ってる?
「これもやってみたかったんです」
というが、なんか路線が変わってきてない? サマンサから悪影響を受けてなければ良いけど……
* * *
「まずは、お洗濯からですね」
最初に洗濯をしないと、私の水着や下着は外に干せないので、乾かないかもしれません。帰ってきたときに部屋に干してあると、恥ずかしいです……それはそれで、涼也さんは喜ぶかもしれませんが……
「洗濯機を回している間に、お掃除ですね」
窓を開けて、ハンディモップで高いところから順にホコリをとるようにします。その後、ぞうきんで窓などを拭いて、掃除機は最後にかけます。洗濯機と一緒に使うと、ブレーカーが落ちるかもしれませんので……
「少し、本も整理しましょうか」
雑誌は、発行日順に並べるのと、教科書とパソコン関係の専門書もたくさんありますね。直ぐに読むものと、読み終わっているもの、おそらくもう読まないものに分けて、使いそうな順に取り出しやすく並べておくようにしましょう。
「洗濯が終わったので、先に干してしまいましょう」
洗い終わった洗濯物を順番に干していきますが、水着と私の下着は別のハンガーに分けて、部屋干しします。おそらく夕方までには乾くと思いますが、これはこれで夏っぽくて風情がありますので、このままにしておきましょう。
「整理整頓も一通り終わりましたので、最後に掃除機をかけましょう」
サッシを全開にして、ハイパワー掃除機で一気に吸い込みます。本当は毎日かけられると良いんですが、目ぼしいホコリはとれたと思います。
「トイレは比較的きれいですが、せっかくですので、入念に掃除しましょう」
お掃除シートを何枚かに分けると、色んなところを綺麗にできますね。
「次はお風呂を洗っておきましょうか……」
と、そのとき、ピンポーンと玄関のチャイムが鳴った。
「どうしましょう。新聞の勧誘とかでしたら、出ないほうが良いですね」
ドアスコープから覗くと、大屋さんの早苗さんが立っていた。
「窓を開けて掃除機をかけたりしていましたので、居留守は使えませんね……」
ドアをゆっくり開けると、早苗さんはびっくりして
「あら? 涼也くんが出かけた後に、部屋から音がするので、気になって来てみたんですが……」
「涼也さんの親戚の陽花といいます。昨日、プールに連れて行ってもらって、そのお礼という訳ではないですが、学校に行っている間にお掃除していました」
「そうなのね、若いのにえらいわね。何か困ったことがあれば、何でも言ってね」
困ったことと言えば、1人ではお出かけ出来ないので、晩ご飯の買い物に行けないことだ。
「実は、買い物に行きたいのですが、この辺のお店が分からなくて……」
「あら、私もこれから買い物に行くから、一緒に行く?」
「本当ですか!ありがとうございます。お願いします」
こうして、早苗さんと一緒に買い物に行くことになった。
* * *
「涼也くんも、陽花さんみたいに可愛いご親戚の子が居るなら、紹介してくれれば良かったのに」
「私がプールで疲れてしまって、急に泊めていただいたので、ご連絡せずに申し訳ありませんでした」
「良いのよ、しっかりしたお嬢さんで、安心したわ」
八百屋、肉屋、魚屋――商店街を巡り、必要な食材を揃えていく。
「涼也くんとは、小さい頃から一緒だったの?」
「はい、私が生まれた頃から、良く面倒をみていただいて」
生まれたときから、ずっと面倒をみてもらっているし、親戚以上の関係なので、嘘をついている訳ではないものの、何だかもやもやした、変な感じがする。
「あらー、そうだったのね、お姉さんが泊まりに来ることはあったけど、女の子を連れてくることなんてなかったから、心配してたのよ。陽花ちゃんが居たからなのかしらね」
そう言われると、涼也さんに大切にされているようで、少し嬉しい。
「おいしい晩ご飯作ってあげてね。応援してるわ」
「本当に助かりました。ありがとうございました」
アパートの階段のところで、早苗さんと別れると、涼也さんのことを考えてしまう。また私の作った料理をおいしそうに食べてくれるだろうか。
自分のことを応援してくれる人が居るということに、温かい何かを感じて、これからも頑張ろうと思う陽花だった。