【第57話】波のプールと大人の浮輪
「波のプールが良いです」
陽花の一言で、俺たちはそのまま波のプールに向かうことになった。
「波のプールで問題なければ、海に行けるかもしれません」
なるほどな。いきなり海に突撃して、防水性能が不十分でしたー、なんてことになったら大惨事だ。忘れかけていたけど、今回は陽花の防水性能のテストも兼ねたプールだったっけ。
「ですが、ひとつ問題があります」
ん? 何だ?
「人間には肺がありますので、息を吸った状態で浮かぶことが可能ですが、私はその機能がありません。つまり……」
「つまり、普通に沈むってこと?」
「はい、有り体に言えば、そうですね」
サラッと怖いことを言う。さっきの事故もあるし、沈んだまま浮かんでこなかったら、確実に監視員が飛んでくる。
「そこで、向田さんにアタッチメントを用意してもらいました」
向田さんが、折りたたまれた何かを取り出して手渡してくる。これは……
「……どう見ても浮輪ですよね?」
「その通り、普通の浮輪です」
たしかに、仰々しいアタッチメントなんて付けてたら目立つけど、浮輪ならごく自然だ。ただ、もっと普通に渡せなかったのか。
「これを俺に、膨らませろと?」
「はい、私は肺がありませんので」
あー、そこまでセットの流れか……はいはい、膨らませますよ。
***
「ぜぇ……ぜぇ……」
「大丈夫ですか?」
「……なんとか」
久しぶりに浮輪を膨らませたが、大人用の浮輪って、けっこう体力使う。思った以上にヘビーだった。
「ありがとうございます。では、さっそく装着させていただきます」
陽花は淡々と浮輪の中に入る。脇で抱える姿は、容姿とのギャップが激しくて、ちょっと微笑ましい。
「ママー、あのお姉ちゃんうきわしてるー! ちーちゃんもうきわするー!」
近くの女の子が、母親におねだりしてる。父親に浮輪が手渡されて、彼も必死に膨らまし始めた。頑張れ、お父さん。
周囲を見渡すと、悠二も茜ちゃん用の浮輪を膨らませている。うん、頑張れ、お父さん。
と、そこへ。
「あの……先輩……」
天音ちゃんが、少し困ったような顔で声をかけてきた。
「どうしたの?」
「じつは、私も、あんまり浮かばない方で……その……波のプールだと、浮輪が欲しいです……」
なるほど、陽花と同じタイプか。
「こちらに、予備の浮輪がありますので」
向田さんが、さらっと浮輪をもう一つ取り出してくる。仕事が早い。
「ありがとうございます!」
そして、俺が膨らませるんですね、分かります。
***
浮輪×2で完全に息切れしたが、なんとか水に入ることができた。ああ……水、気持ちいい。
サマンサと麗香さんは隣で大はしゃぎしている。意外とウマが合うのか、この二人。
「そういえば、三千花は泳げるの?」
「そうね、遠泳とかじゃなければ、普通に泳げるわよ」
いや、そもそも遠泳を求めてないから。これはガチで泳げるタイプだな。
視線を移すと、陽花、天音ちゃん、茜ちゃんの三人が、プカプカと浮かんで波を楽しんでいた。
陽花を中心に、天音ちゃんと茜ちゃんが積極的に質問を投げかけ、それに丁寧に答える陽花。仲良きことは美しきかな……
「はー……やっと夏休みって感じがする」
「たしかに、大学やバイトばかりで、ようやく実感が湧いてきたわね」
真夏の陽射しと、冷たい水と、仲間たちの笑い声。ようやく、俺たちの夏が始まった気がした。