【第55話】夏の天使と美少女
「おはようございまーす」
その声に振り向くと、白いTシャツに淡いベージュのミニスカート、そしてサンダルから覗く白い脚――
まるで夏そのものが人の形をしてやって来たかのような、天音ちゃんの姿がそこにあった。
「おはよう、早かったね」
「いえ、先輩のほうが先に来てたじゃないですか? あっ、でも時間前ですね」
小さく笑って、俺の隣に並ぶ天音ちゃん。10分前には待ち合わせ場所に来ていたが、まさかこんなに爽やかな朝を迎えるとは思わなかった。
日焼けのない、透き通るような肌は、やはり受験生だからだろう。屋内中心の生活が、この白さを保っているのか。……いや、そんなことを考えてる場合じゃない。
「まあ、ちょっと余裕持って行動した方が良いかな? 大人数だし」
こんな大人数でプールに行くのは、生まれて初めてかもしれない。というか、俺と悠二以外は全員女の子って、こんなこともあるから人生何が起こるか分からない。
「じゃあ、早く行きましょう。1本前の電車に乗れますよ」
発車時刻の案内板を確認しながら、天音ちゃんがぱっと笑う。
「先輩、早くしてください!」
と腕を引っ張られる。このパターン多いな……
急いでホームへの階段を登ると、ちょうど電車が来るところだった。
***
「空いてますね。座りましょうか」
電車内の空席に座った瞬間、少し後悔した。昨日のバイトの疲れが身体に残っていて、つい、まぶたが重くなる。天音ちゃんが楽しげに話しかけてくれているのに、俺の意識は段々とぼやけていって――
――はっと目を覚ますと、隣には見知らぬお婆さん。え、どこ? 誰? 天音ちゃんは――と、目の前に立っていた。
「良く寝てましたよ」
柔らかく微笑む彼女の言葉と、次の駅で降りていくお婆さんの「ありがとうねぇ」という声で、すべてを理解した。
俺が寝ている間に、天音ちゃんが席を譲ってくれていたのだ。
「昨日、バイトだったんですよね。プールは睡眠不足だと危ないので、ちょっとでも寝られたほうが良いかなと思って」
天使か? この子は天使なのか?
俺のふがいなさに自己嫌悪しつつも、心の奥にふんわりと温かい感情が灯る。
「ありがとう、だいぶすっきりしたよ。ごめん、いつの間にか寝ちゃって」
「いえいえ、全然大丈夫です。まだまだプールに着いてからが本番ですから」
本当に、いい子すぎる。彼女に恥じないように、今日はしっかり楽しんでもらわないとな。
***
待ち合わせの駅に着いた頃には、まだ誰も来ていなかった。
「誰も来てませんね」
「少し早めに着くように設定した上に、1本早かったからね」
ちょっとだけ早く来るつもりだったのに、結果的に一番乗り。そんな会話をしていると――
「あっ、茜、久しぶりー!」
「天音ちゃん、元気そうで良かった」
悠二と茜ちゃんが一緒に現れた。どうやら茜ちゃんの方から連絡をして、2人で合流したらしい。
お互い久しぶりの再会に、女子トークが始まっていた。「夏バテにはこのレシピが……」とか、何やら健康談義をしている。もしかして、天音ちゃんの健康管理って茜ちゃんがしてるの?
「うっす、一緒に来たんだ?」
「茜ちゃんから待ち合わせしましょうって連絡があったん」
あのクールな茜ちゃんから、とは意外だ。これはもしや……って、いや、余計な詮索はやめておこう。
「こんにちは、遅くなりましたー」
集合時間前に到着した陽花が、きちんとした挨拶と共に現れる。彼女の後ろには向田さん、そして――
「……あの、美少女は誰だ?」
俺の脳内が、数秒バグった。
まるで少女漫画のヒロインみたいな、ぱっちりした瞳の少女。だがその口から出たセリフは――
「私の顔に、何か付いているか?」
このしゃべり方……まさか……。
「麗香さん……ですか?」
「そうだが?」
うわあ、眼鏡外すと、こんなに印象変わるんだ……。
「いや、プールでメガネは邪魔だからな、今日はフィギュアを作ることもないし……」
ん? フィギュア作りとメガネは関係あるのか?
「今日はコンタクトを入れているが、これだと手元が見えないのだ。メガネなら外せばちょうど手元が良く見えるから、いつでも作業できるのだが」
なるほど、作業最適化眼鏡だったのか。そんな麗香さんと向田さんを、陽花が「プロジェクトメンバー」として紹介してくれる。
そして、ようやく三千花とサマンサ先生が到着した。
「こんにちは、遅くなりました」
「コンニチハ、遅くなってゴメンナサイ、デンシャむずかしいデス」
うん、サマンサ先生の日本語は相変わらず可愛い。
「こちらは、大学で英語を教えてるサマンサ先生と、大学の同級生の三千花……天音ちゃんと茜ちゃんは初対面だよね」
「初めまして、あらかわいい、2人ともよろしくね」
「ハジメマシテ、こんなカワイイコもいっしょデスネ、リョウヤせんせい、まるでアニメみたいデス」
俺がアニメの先生みたいな言い方はやめて欲しい……
天音ちゃんが「三千花さん、呼び捨て? 涼也先生?」と目を白黒させてる。大丈夫かな?
「はじめまして、赤城 茜です。悠二さんにお誘い頂いて、今日は楽しみです。よろしくお願いします」
「ハジメマシテ、天野 天音です。リョウヤ先生に数学を教わっています。今日はよろしくお願いシマス」
うん、天音ちゃんはガチガチに緊張してるな。話し方がカタコトになっちゃってる。むしろ、茜ちゃんの方が落ち着いてるかも……
「みんな揃いましたので、プールに移動しましょうか」
陽花が、旅行の添乗員のような完璧な誘導力でメンバーをまとめていく。
……思わず、深く息を吐いた。
集合するだけで、これだけ神経を使うとは思わなかった。これからプールで何が起きるのか……少しだけ不安と、そして楽しみが入り混じる。
長い、長い夏の一日が、ようやく幕を開けた。