【第53話】そして、水ようかんは静かに溶けていく
「先生、この前の模試、過去最高の出来だったんですよ!」
天音ちゃんの瞳がキラキラと輝いている。その呼び方に、ふと違和感を覚える。
――あれ? 先生?
そういえば、以前までは「先輩」と呼ばれていたはずだ。最近、やたらと「先生」と呼ばれることが増えてきたな……ちょっと、くすぐったいような、落ち着かないような。
「ここは、何かご褒美が欲しいところです」
えっ、ご褒美?
女子高生のご褒美って、スイーツとかかな?
「今度の日曜日、夏期講習がお休みなので、その1日だけ、どこか連れて行ってください!」
と、天音ちゃんが満面の笑顔でぐいっと詰め寄ってくる。圧がすごい。
が、その日程にはすでに予定が入っている――そう、陽花たちとプールに行く約束だ。
「えーっと、その日は、陽花たちとプールに行くことになってて……」
天音ちゃんが目を点にする。
あ、やばい、思ったよりショック受けてる?……
「良かったら、一緒に行く?」
この流れで誘わなかったら、人でなしというやつだ。もしかして、陽花がこの日を設定したのって、天音ちゃんの夏期講習休みの日を狙ってたのか? 最近、完全に手のひらの上で踊らされている気がする……。
「えーーーっ、アンドロイドって、プール入れるんですか!?」
うん、その反応は普通。というか、正しい。
「完全防水機能をテストしたいって、言ってた」
「……あの、美人アンドロイドさんが水着姿に……勝負になりません!」
いや、何を勝負するつもりなんだ。
『ありがとうございます。「美人」だなんて……麗香さんにお伝えしておきます』
陽花が突然、スマホから反応してくる。しかも、なぜか「麗香さん」という名前まで出してきた。これ、俺に説明しろってことだよね。
「えーっと、麗香さんというのは、陽花の外見デザインを担当した人で、彼女が本気を出してくれたおかげで、あの……外見になったんだ」
「そうなんですね……こんにちは、陽花さん。スマホ越しでも雰囲気が伝わってきますね。やっぱり、リアル陽花さんに会って話がしてみたいです」
まあ、そうなるよね。アンドロイドとプールに行くなんて、ふつう一生に一度あるかないかの体験だし……いや、ふつうないか……
『あまり、紫外線を浴びすぎるのも良くありませんので、露出は控えめの水着にする予定ですよ』
「そうなんですね、じゃあ、私は、悩殺セクシー水着で行くしかないですね」
聞き捨てならない単語が混じっていた気がするけど、そっと流すことにした。
そのとき、コンコン、とドアをノックする音が響き、天音ちゃんのお母さん――佳乃さんが入ってきた。手には水ようかんと熱ーい緑茶。
「実は、天音さんが模試の成績が良かったので、ご褒美にと、夏期講習がお休みの日、ちょうど知人たちとプールに行くことになっていたので、良ければご一緒にとお話をしていたところでしたが、1日だけ娘さんをお連れしても良いでしょうか……あっ、知人はほとんど女性です」
誠心誠意、最大限丁寧に、しかも「ご褒美」を全面に押し出す構成でプレゼンする。
「まあ、プールですか? それならぜひ私も……ではありませんね、天音も喜ぶと思います。是非連れて行ってあげてください」
一瞬、佳乃さんも参加しそうになったが、天音ちゃんの視線が鋭く飛び、軌道修正された。危ないところだった。
「ありがとうございます。それでは、1日娘さんをお借りします」
「ええっ、1日でも2日でも、一週間でも、いえ、プールの日はよろしくお願いします」
いや、一週間とか借りたら確実に通報されるな。三千花あたりに。
「良かったー!ありがとうお母さん!」
テンションが一気に跳ね上がる天音ちゃん。これで、彼女の参加は確定。問題は……三千花への説明か。
『良ければ、うまく伝えられる理由を、私の方で考えておきます』
頼もしい。そういうのは任せた。
――佳乃さんが退室して、水ようかんを食べながら、少し話をする。
「陽花さんって、涼也先生とずっと一緒に居るんですよね?」
『スマホの中で、ですけど……育ての親ですし……』
「そういえば、そう言ってましたね。育てのお父さんって」
何やら、ふむふむと納得する様子の天音ちゃん。いや、お父さんじゃないから。
「プール楽しみです。それまで、勉強がんばります!」
うん、プールがモチベーションにつながってるなら、効果はあるのかな、まあ、ちょっとくらい息抜きしないと、根詰めたって効率はあがらないよね。
「そういえば、茜ちゃんも来れるかな?」
受験勉強ばかりで会えていなかった悠二のためにも、茜ちゃんにも少し息抜きをさせてあげたい。
「ちょっと、連絡してみます」
天音ちゃんは爆速でLIMEを操作する。両手フリックって本当に存在するんだ……
「来れるみたいです。というか、悠二さんが誘ってくれてたみたいで、天音も来れるなら恥ずかしくないからってことでOKになりました!」
悠二、やるじゃん。
――というわけで、プールメンバーはほぼ出揃った。あとは水着を買いに行くという、ある意味本番ともいえるイベントが控えている。
まさか、本当にこうなるとは思ってなかったけど……ちょっと楽しみで、ちょっと怖い、そんな複雑な気持ちを抱きながら――
俺は、ゆっくりと水ようかんを口に運んだのだった。