【第42話】目覚めと、ささやかな朝
「おはようございます」
ふと目を開けると、視界に飛び込んできたのは――陽花の顔だった。
「おっ……おはよう」
数秒、頭がこの状況に追いつかなかったが、昨夜の出来事を思い出してすぐに納得がいく。そうだ、昨晩は一緒にベッドで寝たんだった。
「よく、眠ってましたよ」
ドキドキして眠れないかとも思っていたが、結局は勉強の疲れもあり、あっという間に眠ってしまったようだ。
「……ずっと見てたの?」
「いえ、夜は実験室の外部モジュールと通信して夜間学習を行っていましたので、朝になってからですね」
それでも、それなりに長い時間見られていたのかもしれない。
「本当は、中々起きない涼也さんを無理やり起こすというのをやりたかったんですが……」
「いや、夏場は結構ちゃんと目が覚めるんだよね……」
「朝一番に『おはようございます』ができたので、良しとします」
本当に、やりたいことリストにでも入っていそうな勢いだった。
「朝食を作りますから、顔を洗ってきてください」
促されるままに洗面所へ向かい、顔を洗って髪を整える。部屋に戻ると、すでにテーブルにはトースト、ソーセージ、スクランブルエッグ、そしてトマトジュースが並んでいた。
「どうぞ、お召し上がりください」
朝はトマトジュース、という好みまで把握しているあたり、PCのカメラ越しに生活を観察されていたのかもしれない。いや、冷蔵庫に入ってたしな……。
「ちょっと着替えてきますね」
そう言って立ち上がる陽花。パジャマ姿も名残惜しいが、これから大学へ行くので、駅まで一緒に行って向田さんに引き渡す必要がある。
「お待たせしました」
そう言って戻ってきた陽花は、どこか社会人っぽい落ち着いた夏コーデを纏っていた。今日から会社へ戻るので、そういった装いなのかもしれない。
「朝食はいかがでしたか?」
「うん、とっても美味しかったです。ごちそうさまでした」
「気に入って頂けたようで良かったです」
その笑顔を見ていると、毎朝こんな朝食が出てくるなら、絶対朝食を抜いたりなんてしないと思った。
「これから会社に戻りますので、駅までご一緒しましょう」
そうだ、陽花は夜間学習のテストのために泊まりに来ていたのだから、今日には戻らないといけない。名残惜しさを振り払って、大学の準備を済ませ、二人で家を出た。
道すがら、昨日の復習問題を出してくれる陽花。その教え方は的確で、記憶もよく定着していた。スマホ版陽花まで使っての解説には、もはや至れり尽くせりと言うしかない。
駅に着くと、改札口に向田さんの姿はなかった。どうやらホームでの待ち合わせらしい。ホームまで行って待っていると、電車から降りてきた向田さんの姿が見えた。
「それでは、お世話になりました」
陽花が深々と頭を下げてくる。いや、頭を下げるのはこちらのほうじゃないだろうか。むしろ、こちらが世話になった側のような気がする。
「突然のお願いでしたが、ありがとうございました」
向田さんまで頭を下げてくる。
「いえいえ、全然大丈夫です。いつでも言ってください」
そう答えると、
「本当ですか、またすぐお願いすると思います」
……やっぱり遠慮ない人だな。でも、いつでもOKなのは本当だから、それでいい。
こうして、陽花のお泊りテストは無事に終了したのだった。
――
「あれっ、先輩?」
朝、駅へと向かう途中の道で、涼也先輩を見かけた。
これから大学かな……そう思って声をかけようとしたその瞬間、隣に立っていたのは――女の人だった。
横顔しか見えないが、大人っぽくて落ち着いた雰囲気の、とても綺麗な人だった。しかも、自然に並んで歩くその様子は、お姉さんや妹さんじゃなさそう。
まさか、お泊まり……? 朝から一緒に駅ってことは、やっぱりそういう関係なの?
せっかく、お母さんから「家庭教師をお願いしてみたら?」って背中を押されて、OKもらったばっかりだったのに。「ITでAIの研究してる子なら、将来有望ね」なんて、太鼓判まで押してもらってたのに……。
付き合ってる人がいるなんて、聞いてない……。
でも――
今なら、何気なく話しかけてたら、どんな関係の人か分かるかも……そう思ってみたけど、やっぱり無理だった。私はそのまま、改札へと消えていく二人の背中を、ただ見つめるしかなかった。
……でも、まだチャンスがなくなったわけじゃない。
そう、自分に言い聞かせて、拳をぎゅっと握る。
受験、頑張って――絶対に、先輩と同じ大学へ行くんだから。