【第41話】陽花の身請け話
「まあ、陽花がずっと側にいてくれるのは嬉しいし、そのつもりで居たけど……」
風呂上がりのまったりとした時間。パジャマ姿の陽花と向き合う俺は、自然な気持ちでそう答えた。
今の“3号機”としてではなく、仮にスマホ経由だったとしても、彼女が傍に居てくれるだけで、こんなにも心強い。
「本当ですかっ!」
陽花がぱあっと笑顔を咲かせる。その輝きは、今日一番だったかもしれない。
……でも、どうして急にこんな話を?俺はてっきり、陽花がいてくれるのは当たり前のことだと思ってたけど……
「何か……話してないことがあるの?」
恐る恐る尋ねると、陽花は少しだけ躊躇して、けれど覚悟を決めたように言った。
「正式に決まったわけでもないですし、いつ実現するかも分からないのですが……」
ん?ちょっと抽象的すぎて、まだつかめない。
「私を……“身請け”していただきたいんです」
「…………へ?」
聞き間違えたかと思った。たしか“身請け”って……江戸時代じゃあるまいし、鬼平の頃の話だよね?三千花は食いつきそうだけど……
「いえ、金銭を支払っていただきたいという意味ではありません」
陽花は俺の表情を見て、そっちを誤解されたと思ったらしい。
まあ確かに、これだけの高性能アンドロイドを買い取るとなったら、いくらになるのか想像もつかない。
「実は、私がこれまでに学習した内容を、プログラムに書き起こしているのです。そうすれば、長時間の学習を行わなくても、1号機や2号機も同じように動作できるようになります」
なるほど。AIとしての学習には莫大な時間がかかるが、それを“成果物”として提供するなら、再利用が可能ってことか。
「その成果を、開発元である企業に買い取っていただけるそうなんです」
陽花が続ける。つまり、彼女の知識や経験が、1号機や2号機の性能向上に貢献するってことだ。
「それを累積していって、私の筐体費用を上回ったときに、所有権を涼也さんと悠二さんに譲渡しようという話が出ています」
「……まじか」
思わず声が漏れる。なんというか、もう就職どころか、ビジネスとしても成立しているレベルじゃないか。
「でも、所有権が移ったあとも、メンテナンスとかって……」
「そこもご安心を。譲渡後も継続的にプログラムを提供することで、定期的に点検していただけるそうです。それどころか、報酬までいただけるみたいで……」
なんていうか、俺より先に社会的地位が確立されてる気がするぞ、陽花。
「でも、そんな話をどうして言いづらそうに?」
「涼也さんにも……“男の矜持”というものがあるのではと思いまして」
ああ、そういうことか。確かに、聞きようによっては“養ってもらう”っていう構図に見えなくもない。でも、俺も働けばいいんだよな。
「いや、それは、共働きって感じでいいんじゃない?陽花の稼ぎは陽花のものにしてさ」
「それって……プロポーズみたいですね」
陽花がもじもじしながら視線を逸らす。いや、確かに”共働き”って言っちゃったんで、夫婦を想像するのは分かるけど……
「ふふっ、冗談です。でも、私を“同じ立場”として見ていただけて嬉しいです」
素直に喜ぶ陽花。その笑顔を見て、俺も何だか救われた気持ちになる。そして、この笑顔とずっと一緒にいるという確信のようなものがあった。
「最初の話に戻るけど……やっぱり陽花にはずっと傍にいてほしいし、これからもずっと一緒にいると思う」
俺の言葉に、陽花は一瞬呆けたような表情を浮かべ、すぐに引き締めるように言った。
「それでしたら、まずは大学をしっかり卒業して、仕事に就かないといけませんね!」
やたらと張り切りだした陽花。人差し指をぴんと立てて、先生モード全開である。
「分からないところは、何でも教えてあげますから!」
「う、うん……じゃあ、また続きをお願いします……」
そのまま勉強を再開し、なんとか一通り終えた頃には――
「ふああぁ……」
大きな欠伸がひとつ。
「そろそろ布団敷くから、陽花はベッドで寝てくれ」
自然な流れで、俺はそう提案する。彼女を布団に寝かせて、自分がベッド……という構図は、なぜかしっくりこなかった。それに、何と言うか、悠二がよく使ってる布団より、自分のベッドに寝て欲しかった。
「私がベッドに寝るのは、充電ケーブルが届くので良いのですが……涼也さんも一緒にベッドで寝ましょう」
てっきり、自分が布団で寝ますとか、言い出すと思って説得しようと思ってたけど、まさかの、いきなり一緒に寝ましょう宣言。
「えっ、いやっ、それは、ベッド狭いし……」
一緒に寝るのが恥ずかしいとは言えず、物理的に難しいことを主張する俺。
「寝相は良いので、ベッドの端に置いていただければ大丈夫です」
うん、それは間違いなくそうだろう。アンドロイドなんだし。
「いや、その、男女が一緒にベッドってのは、こう……」
「私はアンドロイドですから。何も起こりませんよ?」
笑顔でそう言って、陽花は背中に充電シートを差し込み、ベッドの隅に横たわる。
「これからずっと一緒にいるんですよね?」
その一言で、俺は観念して、陽花の向かいに横になった。
「こうやって独占できるのも今のうちかもしれませんし……」
何か小さく呟いた気がしたけど、聞き取れなかった。
「おやすみなさい、涼也さん」
ゆっくりと目を閉じる陽花。よく考えると、俺の理想を体現したような容姿の女の子が、この距離で隣にいるなんて……何なんだろうこの状況……ちょっと前の俺からは想像もできない。
「……おやすみ、陽花」
とは言うものの、全く眠れる気がしないけど、目を閉じる。こんなにも距離が近いのに、決して触れられない存在――それが、今の陽花。
でも、この関係も、そう遠くない未来には変わっていくのかもしれない。
そう思いながら、俺は長い夜を過ごすのだった。