【第36話】出遅れ気味の女神
「えっ、それって大丈夫なの?」
そんな反応が返ってくるだろうな、とは思っていた。けれど、実際に言葉にされると、やっぱり胸にズシンとくるものがある。
「でも、家庭教師は親御さんから頼まれてるし……」
自分でもちょっと釈然としないまま、なんとなく打ち明けないのも後ろめたくて、天音ちゃんの家庭教師の件をみんなに話してみた。
「勉強を教えたお礼はもらってるんっしょ?」
悠二の鋭い指摘に、俺は思わず頷く。ポテトとドリンクバー、夕飯に傘……そして、これからは正式に家庭教師代も発生する予定だ。
「塾に行ってて、ある程度受験勉強はそっちでできてるのよね? 苦手な数学だけ教えて欲しいってことか……そんな上手い話しあるの?」
三千花が半信半疑の目でこちらを見てくるが――あるんだよ、しかも、受験勉強を教えるのは自信がないとまで言ってあるのにだ。
「まあ、ちゃんとした子だったし、大丈夫っしょ」
「えっ、悠二くん会ったことあるの?」
三千花の目が光った。しまった、余計なことを言わせてしまった。
「いや、文化祭のチケットをもらって、悠二と2人で行ってきたんだ……学校は共学の高校で……」
言い訳が癖になってきている自分が情けない。
「なるほど、そこで連絡先を交換したと?」
見透かしたように三千花が言う。やめてくれ、鬼平みたいな洞察力は今いらない。
「最近の高校生の行動力、侮れないわ……」
三千花がブツブツ何かを言ってる。でも、よく聞き取れない。
「悠二くんも交換したのよね?」
「はい、4人で交換しました」
悠二、お前……話し方が急に真面目になってないか? しかも、それ言っていいやつなのか?
「4人? もう一人いるの? 女の子?」
これはマズい。三千花に隠し事は通用しない。
「実は、その天音ちゃんの友達の茜ちゃんって子が、一緒だったんだけど、悠二はその子と仲良くなって……」
ここは悠二を売る。生贄はいつだって身近なところから。
「えっ、悠二くんと? じゃあ、悠二くんはその子と連絡とってるの?」
俺も興味ある。そこまで聞いてなかった。
「その……おすすめのYouTube動画の話とか……ほぼ毎日……」
今まで見たことないくらい縮こまった悠二がそこにいた。毎日って、お前。
「えっ? それって、お付き合いしてるってこと?」
三千花が驚きつつ問いかける。その問いには俺も興味津々だ。
「えーっと……受験生だから……お付き合いとかは……まだ……」
つまり、受験が終わったら、そういう流れになるってことか。三千花と顔を見合わせた。
「なんか、家庭教師の話が普通に思えてきたわ……」
三千花が頭を抱える。俺も今、全く同じ気持ちだ。
しかし、茜ちゃんは見た目とは裏腹に、既に18歳で成人してる。……けど、それは今言わないほうがいい気がしたので、黙っておいた。
「ちょっと、油断しすぎてたかしら……」
またもや三千花が何かを呟く。が、よく聞き取れない。
「とにかく、分かったわ。2人とも大学生なんだから、節度をもって行動してね」
もはや母親ポジションである三千花の正論に、俺たちは「「はいっ」」と声を揃えて返事した。
『人間は、色々面倒ですね……考えた通りに行動しててもダメなんですね』
そうスマホから呟いたのは陽花だった。……そういえば、最初のファミレスと俺の部屋のときは、陽花も会話を聞いてたよな。だから、完全な二人きりってわけじゃなかった。――って、それは口に出さないでおこう。話がこじれるから。
「そうね、思った通りに行動してばっかりもダメなのよ」
陽花に向けての言葉のはずなのに、妙に自分に言われてる気がした。
行き当たりばったりじゃ、だめだ。もっと計画的に、理性的に行動しよう――少なくとも、家庭教師に関しては、しっかり理性を保たなきゃ。
◆ ◆ ◆
一方そんな話をしながら――
(えーっ、最近の高校生って、そんなに積極的なんだ……)
三千花は焦っていた。
文化祭で連絡先を交換して、ファミレスで勉強して、お礼に夕飯、そこから家庭教師の依頼、相合い傘、挙句の果てに涼也の部屋で一緒に勉強――
(話がトントン拍子すぎる……!)
油断していた。研究室でいつでも会えるという安心感に胡坐をかいていた自分を、今、全力で責めている。
(でも、この話を私にもしてくれるってことは、まだチャンスはあるってことよね?)
希望は、まだある。けれど、のんびりしていたら、悠二くんのように気づけば恋愛成就なんてことも……。
(試験が終わったら夏休み! サマースクール受けるなら、バイト前に研究室に来れば会えるし……)
今からでも遅くない。どこかに一緒に出かける約束だけでもしておかなきゃ。そう思った。
夏休み中って、研究室に来るのかな?
陽花ちゃんも居ないし、悠二くんが来ないなら、研究室に来る理由がない。
えーっ、じゃあ、夏休み前までに何とかしないとダメってこと?
とはいえ、予定を立てるチャンスはまだある。いや、立てなければならない。今ここで焦らなければ、何も変わらない。
遅れてきた女神は、密かに決意を新たにする。
夏――それは恋の季節。出遅れ気味の彼女にとって、ここが勝負どころなのかもしれない。