【第33話】陽花、来たる――そして衝撃の……
『ピンポーン』
三千花から借りたノートを開いて試験勉強に取り組んでいたとき、不意にドアチャイムが鳴った。
……誰だ?
宅配の予定もないし、勧誘か?と一瞬警戒して、ドアチェーンをかけたまま覗き窓から外を確認する。
「来ちゃった……」
そこに立っていたのは――リアル陽花だった。
えっ。嘘でしょ。脱走……?
慌ててドアを閉めてチェーンを外し、もう一度扉を開けると、陽花の後ろには向田さんの姿もあった。
「来ちゃいました……」
いやいやいや、なんでそんな申し訳なさそうに言うの。
とりあえず家に上がってもらって、ちゃぶ台の所に座ってもらう。俺は台所で冷蔵庫から麦茶のペットボトルを取り出し、コップに注ぐ。――あ、そういえば陽花の分はいらないんだった。
「とりあえず、お茶どうぞ」
冷たい麦茶のグラスを差し出すと、向田さんは「いただきます」と言って、グビグビと一気に飲み干した。よほど喉が渇いていたらしい。
「それで、なんで急に陽花がうちに?」
疑問を向けると、向田さんが答えてくれた。
「実は今日、3時間だけ外出テストを行うことになりまして……」
おお、ついに来たか。体温調整のテストとか言ってたけど、思ったより早いな。
「それで、3時間で行ける場所を陽花さんに聞いたところ……」
うん?陽花に聞いた?
「涼也さんのお家が、ちょうど良いってことになりまして」
……俺んち?
「スマホを通して連絡しておくと言っていたので……」
え?スマホ?慌てて確認すると、通知は来ていない。LIMEにもメールにも、何の連絡もない。
「サプライズです」
陽花はいつもの調子で、さらっと言った。
「いや、俺が外出してたらどうするんだよ」
「それは今日の予定、研究室で確認しましたから」
あー……そういえば聞かれたな、何気なく答えちゃったけど。
「つまり確信犯ってことか」
「です、です」
……俺は頭を抱えた。
「申し訳ありません。私から一報差し上げていればよかったのですが……」
うーん、今後は頼みますよ、ほんと。
「でも、なぜ俺んちだったんですか?」
「電車や徒歩など、温度差のある場所を経由し、かつ目的地に着いても充電可能で、プロジェクトの内容をご存じの方が居る場所……という条件で、涼也さんのお宅が最適でした」
……陽花に丸め込まれたんじゃないの?と一瞬思ったが、まあ、理屈としては納得できる。
「ということで、今回、家庭用の非接触型充電のテストを行わせていただけますか?」
向田さんが、やわらかそうなシート状の充電器をカバンから取り出す。それを陽花の背中と服の間に滑り込ませていく。
「充電開始しました。90%からどれだけ増えるか、ログに記録します」
会社からここまで来て、バッテリーが10%しか減ってないってことは……陽花、意外とバッテリー持つんだな。
「あ、電気代や協力費は会社から支給されますのでご安心ください」
どのくらい電気使うんだろう?と疑問を口にすると、
「低圧充電なので、100V、400Wです。1時間で12円くらいです」
へぇ、12円か。10時間充電しても120円、1カ月毎日でも3,600円。意外とリーズナブルかも。
「一般家庭への普及も目指しているので、大変貴重なデータになります」
まあ、試験勉強の時間を削られるというデメリットはあるが……。
「そういえば、試験近いんですよね? 勉強、教えますよ」
えっ、陽花が?
「充電中でも活動可能ですので。陽花先生にお任せを」
マジで? じゃあお願いしようかな……と思っていたら、
「あ、私は陽花さんの動作確認をしているだけですので、お気になさらず」
向田さん、完全にモニター役。
こうして、試験勉強の続きが再開された。
「三千花さんのノート、文字が綺麗ですね。認識しやすいです」
とか言いながら、陽花がノートをスキャンして解析している。
「この部分は、こうやって覚えると記憶しやすいですよ」
勉強法まで提案してくる。どこで仕入れてきた情報か分からんけど、マジで分かりやすい。
「これなら、英語以外はなんとかなりそうですね」
……いや、英語も頑張りたかったんだけどな。お前たちが諦めろって言ったんだろ。
とはいえ、サマースクール確定だし、今さら愚痴っても急に単語が覚えられる訳でもない。
「そろそろ戻らないと、規定の時間に間に合わなくなります」
向田さんが帰還時間を告げる。時計を見ると、もう1時間近く経っていた。
「じゃあ戻りますね。……といっても、スマホ経由なら、いつでもお話できますから」
それ前提とか寂しいやつみたいだな……まあ、彼女いないし……。
「いや、まあ、また何かあったらスマホで聞くよ」
「それでは、涼也さんはお勉強続けてください。こちらで失礼いたします」
そう言って片付けを始める向田さん。ふと陽花が告げる。
「1時間弱で、97%まで充電できました」
おおっ。なかなかの充電効率。さすが神栄グループ。
「では、陽花戻ります。しばしのお別れです」
玄関まで見送ろうとした、その時だった。
「ん?」
陽花が急に近づいてきて――
……俺のほっぺたにキスをした。
「これで、勉強、頑張ってください」
え、えぇぇぇぇぇっ!?
マジか!? ちょっと!? 向田さんも固まってるぞ!?
「ネット情報によると、男性はこうすると頑張れるとのことでした」
そ、それ、対象が人間の女性の場合じゃないのか!? いやいや、陽花、アンドロイドだろ!? でも……意外と……唇の感触、柔らか――
って、何考えてんだ俺は!?
「し、失礼します!」
向田さんの動揺をよそに、にこやかに手を振る陽花。
キスの余韻を残しながら、2人は去って行った――。